14 その腕輪、善か悪か
帰路、駱駝に揺られながら自身と向き合い、心の整理をつけたアイシャは、その晩の野営地で、クトゥーブとファイサルに、聖地での幻影について語った。
クトゥーブはただ腕を組み、つい先日まで色事で浮ついていた青年とは別人であるかように神妙な面持ちで、耳を傾けた。また、アイシャの言葉を常々妄言であると断言し、茶化してきたファイサルも、この時ばかりはいつになく生真面目な顔をしている。
全てを聞き終えてクトゥーブは、焚火の朱を弾き、アイシャの右手首で煌めく天竜の腕輪を一瞥して言った。
「聖地が見せた光景ならば、何らかの啓示だろうけど。実はアイシャが倒れる寸前に、微かに腕輪が光ったように見えた。見間違いかと思ったけど、もしかしたら何か関係しているのかもな」
「光った……」
「そういえば、紫の族長ニダールも、巡礼の時似たようなこと言ってなかったか」
ファイサルの言葉に、アイシャは頷く。ちょうど同じことを想起していた。紫の聖地涸れ川で。あの日もアイシャは、過去の幻影と思しきものを目にしたのだ。その直後、困惑するアイシャらに、ニダールは確かに言ったはず。「腕輪が光ったように見えた」と。
「紫のニダール兄がねえ。腕輪が二人の願いを叶えて過去を見せてくれたのだとしたら、それは善い存在なんだろう。だけど、気掛かりなことも多すぎる。……その腕輪は、捨てるべきなのかもしれないな。だが、単に砂に埋めてもいつかどこかで不穏な者の手に渡るかもしれないし、そもそもそれは皇妹から下賜された品。陛下のお耳に入れるか、それとも」
クトゥーブは思考を整理するかのように独りで捲し立て、やがて一切の問いかけを拒絶するような調子で締めくくる。
「ごめん、少し考えさせて」
アイシャは腕輪を抱いて、小さく頷いた。これは、母の形見なのだ。簡単に放棄するなど、あり得ぬことだった。
※
翌日、沈黙を纏った人間を背に乗せて、青き砂竜と駱駝が砂上に足跡を刻む。まだ太陽が垂直にもならぬ時刻に集落に帰着した。
塞ぎ込んで帰還した三人に、アーディラが駆け寄り経緯を問いただしたが、一切の口を閉ざす兄の様子に、ただならぬものを感じたらしく、詰問を受けることはなかった。
いつになく沈んだアイシャを気遣って、アーディラと二人の妹は、日が暮れ始めても天幕には戻らない。アイシャは一人掛け布に包まって、鼻先から拳二つ分ほど離れた絨毯の上に腕を投げ出した。ぼんやりとした眼差しで、鈍く光る天竜の腕輪を眺める。
一つ、喉元に閊えるものがある。この腕輪は、以前も光を放ち、アジュルを包み込んだことがある。紫の集落、聖地の水が流れ落ちる深淵での出来事だ。
あの時、アジュルは腕輪から溢れた白い光を纏い、風に乗った。そういえば、空を飛ぶ直前には赤い光を発し、炎を吐いた。
さらに、今になり考えてみれば、紫の氏族の町を襲った水害も、関連性があると思えなくもない。突如やってきた紫色の雷雲と、涸れ川を決壊させるほどの豪雨。それを呼んだのも、腕輪から漏れてアジュルを包み込んだ紫色の光のせいなのではあるまいか。
あれが、単に聖地から流れ出た水が見せた奇跡ではなく、何か禍々しい力の作用によるものなのだとしたら。力の根源は、腕輪で間違いないだろう。そしてその力は、それぞれの氏族の聖地に因んでいるようだ。
英雄ハイサムの猛る炎の気性を留めた、赤の聖地間歇泉。そこで孵る竜卵は、赤銀の鱗を持ち生まれ、炎纏う赤き砂竜と呼ばれる。
同様に、それぞれの聖地に満ちる英雄らの性質を受け継いで、風纏う白き砂竜と、雷霆呼ぶ紫の砂竜、そして、豊穣の大地抱く青き砂竜が存在する。
そのうち、火と風と雷については、アイシャの眼前で顕現したのだ。
母の形見が、不可解な現象を起こした。その上、ただでさえ異様な成長を見せるアジュルが砂竜ならざる能力を発揮した。誰かの耳に入れば、ナージファやアジュルが悪者のように扱われてしまうかもしれない。そう思えば、「腕輪がアジュルを飛ばした」などという、まともに取り合ってもらえたことのない主張を蒸し返す気にもならない。
一人悶々と考え続けたアイシャの耳に、砂を蹴散らすような豪快な足音が届く。アイシャは上体を持ち上げて、開け放たれた垂れ幕の方へと目を向けた。誰何するまでもない。良く知った足音だった。
「アイシャ。ちょっといいか」




