表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
砂竜使いナージファの養女  作者: 平本りこ
青の章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

64/91

12 あの日の光景


 次に目を開くと、そこは赤茶けた大地の只中(ただなか)であった。不快な臭気が鼻を刺し、水蒸気を帯びた白煙が天へと立ち昇る。肌に纏わりつくのはじっとりとした、湿気(しけ)った熱気。砂漠ではほとんど体感することのない、異様な熱だ。しかしアイシャはその正体を知っている。間歇泉(かんけつせん)。そう、ここは赤の聖地である。


「どうして」


 思わず呟いた時、アイシャの背を轟音(ごうおん)が叩いた。思わず悲鳴を漏らし、頭部を守るように両腕で抱え、その場にしゃがみ込む。冷静になって考えれば、大音量の正体は間歇泉の噴水であろう。目視で確認する間もなく、アイシャの側で歓声が上がる。


「生まれるぞ!」


 アイシャは弾かれたように顔を上げる。先ほどまで、見渡す限りの蒸気、小石と砂に覆われていた世界に、赤の祭壇と数名の人間の姿が現れた。ずっと焦がれていた懐かしい姿に、アイシャは思わず手を伸ばす。


母様(かあさま)、ギナ、みんな……」


 指先は、宙を掴む。アイシャは落胆に呻く。これも幻影なのだろう。超常的な現象を、どこか心の深い部分で当然のように受け入れていることに気づき、アイシャは戸惑った。


 ナージファが歌を止め、アイシャの隣を素通りし、慌ただしく祭壇に駆け寄る。赤い幾何学模様(きかがくもよう)の絨毯の上で祈りを捧げていたファイサルの姉ギナが、祈りの形に組んでいた指を解き、身を乗り出した。


 祭壇の上、人間の頭部ほどの竜卵(りゅうらん)が微細動を繰り返し、滑らかだった殻に亀裂が走る。その様子を眺めながら、アイシャは目を疑い、思わず拳で目元を擦った。


 竜卵が、黒色の(もや)を纏っているように見えたのだ。


 腐っている。クトゥーブの口から語られた、在りし日の母の懸念が、脳裏で理解の実を結ぶ。本来であれば竜卵は、砂漠の熱射を照り返し、神々しいまでに白く輝くはずなのだ。それなのに、今眼前で揺れている卵は、何か悪質な瘴気(しょうき)を帯びているようにも見える。


 さらに不可解なのは、ナージファ以外の者らは、一欠片(ひとかけら)の不安も頬に浮かべていないことだった。その靄に気づいていないのか、それとも気に留めていないだけなのか。


「あたしの、竜」


 ギナの赤茶色の瞳が歓喜に煌めく。彼女は当時十八歳で、現在のアイシャと同年代。八年前には首をのけ反らせて見上げた活発そうな笑顔も、今やアイシャとさほど変わらぬ高さにある。


 この光景は、ただの妄想。もしくは水が目撃した過去の記憶の再現だと思ったが、あの頃のまま何一つ変わらぬ従姉(いとこ)の姿に、止まってしまったギナの時間を思い、胸に重苦しいものが、のしかかるようだった。


 一同が固唾(かたず)を飲んで見守る中、闇を帯びる竜卵は、一つ一つと乳白色の破片を落とす。やがて小さな角が殻を突き、竜の頭部が陽光の下に(あら)わになる。再び歓声が上がる。ナージファは隻眼(せきがん)を細め、沈黙して竜を見つめていた。


「ナージファ伯母(おば)さん、砂竜だわ」


 ギナが飛び跳ねるように身を乗り出し、竜の雛に手を伸ばす。ギナの細長い指が、靄に包まれた雛に触れる。そして。


「やめろ!」


 ナージファの鋭い声が、ギナの背に突き刺さる。従姉だけでなく、この場にいる全ての者が驚きに肩を震わせた。砂竜の雛とて例外ではない。硬直したあどけない面持ちを見る限り、悪しき存在には見えぬのだが。


「いや、すまない……。だが、だめだ。その砂竜は」

「伯母さん?」


 ギナが困惑気に首を傾ける。ようやく生まれた自分の砂竜との接触をお預けにされて、微かに不満すら覗かせているようだ。


 ナージファは唇を引き結び一歩踏み出し、竜に手を伸ばす。その刹那。ナージファの右手首に嚙みついていた黄金の竜の腕輪から、禍々(まがまが)しい光が溢れ出た。


 赤紫色の光に一筋、深い青が線状の渦を巻く。やがて、それらは交じり合い、漆黒となる。燐光(りんこう)はナージファの指先を通じ、砂竜の雛を包み込む。


「!」


 ナージファが鋭く息を吞み、熱い物にでも触れたかのように指を引く。ギナの眉間にまた一つ皺が増える。


「いったいどうしたの」

「ギナ、見えないのか」

「何が?」


 ナージファは口を閉ざし、周囲の面々を見回す。目が合えば皆一様に、首を横に振る。中には、族長の奇行に不安げな顔をする者もいて、ナージファは一度目を擦ってから一歩身を引いた。


「何でもない。あたしの気のせいだ」


 ナージファが言った頃にはすでに、黒い光の粒子は全て、砂竜の雛に吸い込まれていった後だった。


「伯母さん、疲れてるのね。早く帰りましょう」

「ああ。……先に向こうへ行っていてくれ。後片づけがある」

「はあい」


 ナージファは、姪の気の抜けるような返事に苦笑を浮かべ、各々(おのおの)の砂竜や駱駝に戻る仲間の背を見送った。


 しばらくそのまま卵の殻を眺めたナージファだが、(おもむろ)に右手首を眼前に掲げて(ささや)いた。


「ニスリン皇女。この腕輪は、いったい何なのですか。頂戴してから今まで、奇怪なことばかりが起こります。果たして()きものなのでしょうか。あたしはあなたを信じています。敬愛しています。ですが、氏族を危険に晒すことなどできません。杞憂(きゆう)なら良いのですが」


 母の顔を見上げ、アイシャは見てはならぬものを目にした心地になった。ナージファの頬は苦痛に歪んでいる。蒼天(そうてん)色の隻眼は、何か悲愴なものを内に秘めている。誰にも見せたことのない、母の弱々しい姿であった。


「あなたが最後に口にした言葉を、時折考えてみるのです。『あの方の意思に沿えなかった』。強大な帝国の皇女であるあなたが『あの方』と呼ぶだなんて、いったいどこの誰のことだったのかと。当時は、西方蛮族の長――夫君のことかと思いました。ですがもしかしたら……」


 アイシャは居た堪れない心地で目を逸らす。ナージファはしばし腕輪に憂いを帯びた眼差しを注いでから、ゆっくりと腕から黄金の竜を抜き取った。


 腕輪は、燦々(さんさん)と降り注ぐ日差しを受け、黄金色の光を放つ。それは、ただの反射であり、先ほどのように内側から光を放っている訳ではない。それなのに、どこか不吉な印象が拭えず、アイシャは身震いして自身の腕を抱いた。


「皇女、申し訳ございません。あたしの思い違いだとわかればまた、お迎えに上がります」


 丁重な仕草で腕輪を赤銅色(しゃくどういろ)の祭壇に安置し、ナージファはきっぱりとした動作で(きびす)を返す。未練を断ち切るような母の背中を追おうとしたアイシャだが、足が砂に張り付いたようになり、持ち上がらない。


「母様、待って」


 アイシャは急速に全てを察した。時系列としてはこの後、集落が炎に焼かれるのだ。帰してはいけない。集落が灰になることが既定のことであるならば、せめて竜生(りゅうせい)の儀に参加して、集落から離れている彼らだけでも、助けなくては。


 アイシャは膝を両手で掴み、必死で持ち上げようと奮闘するのだが、努力も虚しく脚は棒のように地面に突き刺さったままだ。アイシャは顔を上げ、再度叫ぶ。


「母様、だめ! 帰っちゃだめ……!」


 悲痛な叫びは砂塵(さじん)に巻き上げられて、湿った熱風に攫われていく。アイシャの声は、誰にも届かない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ