6 隠されていた噂
「待ってください」
クトゥーブの言葉に、ファイサルが口を挟む。
「火柱を見た?」
クトゥーブはわざとらしく首を傾ける。
「あれ、知らない? おかしいな。白の族長ラシードの耳に入っていないとは思えないんだけど」
「それ、詳しく教えてください」
アイシャは思わず身を乗り出した。
悲劇の日から今日まで、手がかりがないまま無為に八年の時が過ぎたと思っていた。しかし青の族長の言葉が確かならば、ずっと前から情報は出回っていたらしい。
クトゥーブは、ふむと唸り、やや居住まいを正す。
「大した話じゃないよ。夜半にね、南の空がぼんやり朱色に染まったのを遊牧民が見たらしい。中央砂漠は比較的盆地になっているから、砂丘の陰にならず、見通しがきいたんだろうね。何度かに渡り明滅したって」
明滅、ということはきっと、炎は小さな種から次第に勢いを増したのではないだろう。発生した瞬間から強烈な温度を保つ熱が、幾度かに渡り集落を焼いたのだ。
険しい表情で黙り込むアイシャとファイサルに、クトゥーブは淡々と告げた。
「俺は火球か何かかとも思うけど、それにしては目撃情報が少ないんだよな。ほら、空から火が降るときは、轟音が響き落下時の衝撃波が砂に爪痕を残すはずだよね」
広大な砂漠のことである。空から燃える石が降って来て、砂に大きな穴を穿つことは稀にある。だが、そのような目立つものが元凶ならば、とうに真実が明るみに出ているはずではなかろうか。
それにあの日、氏族の仲間を埋葬した際にはそれらしい大穴はなかったし、ある一点が激しく燃えたというよりはむしろ、刷毛で村を撫でたかのように、均一の燃え落ち方をしていた。
「だが、白のラシード小父さんが噂すら二人に伝えていなかったのはどうしてだろうね。不確かな情報で君達を惑わせたくなかったのか、それとも」
クトゥーブは思わせぶりに言い淀み、駱駝ミルクを嚥下してから、篝火の中で舞う豊満な美女に目を戻す。
「真実が判明することで、白の氏族に何か不都合があったのか」
つまり、白の氏族、ひいてはアイシャらの後見人である族長ラシードが、あの事件に関与しているかもしれない。青の族長はその可能性を指摘しているようだ。
アイシャの脳裏に、ラシードやその息子サクール、姉貴分ファテナの姿が浮かぶ。彼らはいつでも愛情に満ちて、家族を失った孤独な子供らに、身内のように接してくれた。
まさか、父のような存在であったラシードが、事の元凶に関わっているだなんて、滑稽な暴論だ。しかし全くあり得ぬことだと言い切ることができないのだから、歯痒い。
どうしてラシードは、火柱のことを黙っていたのか。集落の皆の噂にも上がらなかったのだから、ラシードも知らなかったのだろうと思いたい。だがそれは、都合の良い解釈だ。
仮にラシードがこの情報を得ていなくとも、集落には他氏族出身者も多くいるのだ。故郷の親族から噂話を耳にすることもあるだろう。にもかかわらず、誰の話題にも上がらない。ラシードが口止めをしたと推測するのが、最も自然ではなかろうか。
アイシャは、身体中から体温が失われるのを感じた。続いて意識が混濁し、周囲の喧噪が遠のくような錯覚すら覚える。
あまりの衝撃に言葉を失うアイシャをよそに、クトゥーブは不意に口の端を持ち上げて、含み笑いを浮かべた。
「やだなあ、冗談だよ。……ラシード小父さんが空想上の精霊でも従えてない限り、集落一つ炭化させることなんかできないだろ。それよりも、せっかく踊り子を呼んだのだから楽しまないと損だ」
冗談、と耳にして瞠目するアイシャだが、クトゥーブはほんの一欠片も悪びれない。
商人気質の青の族長は、「損」という言葉を何より嫌悪しているらしい。その単語を口にする際、ひどく顔を顰めていたが、白皙の美女を手招きして側に呼び寄せる頃には一転し、若き権力者の夜の顔と化していた。彼は女の肩を抱いて、巡礼者二人に微笑みかけた。
「とにかく、援助は期待しててよ」
結局のところ、話題はそこへ戻るのか。援助自体は願ったり叶ったりであるのだが。
「色々と混ぜっ返して、はぐらかされている気がするんですが」
ファイサルはこめかみを拳で解しつつ、言った。
「俺達に良くしてくれる見返りには、何を求めてるんですか」
クトゥーブは意外なことを聞いた、というように眉を上げ、開き直った口調で答えた。
「そりゃもちろん、人脈だよ。白が後見人なら、青は援助者。恩は売れるよね。同族といえども力の均衡を取り合わないと。ちなみに紫は……毒殺未遂? ああ、愚かなワシムは青の血を引くが、今や我々とは関係ないからそのつもりで」
さらりと言ってのける辺り、強かな族長である。それに、北方紫の氏族での不祥事をすでに聞き及んでいるとは、なんと情報が早いことか。呆れを通り越し、もはや感心したアイシャであった。




