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砂竜使いナージファの養女  作者: 平本りこ
青の章

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4 そんな勘違いはやめてください


 アジュルの尻事情を耳にしたアーディラは、「今の時刻だと、井戸水も大して冷たくないわ」と言って、やや離れた砂地に張っていた天幕に招いてくれた。


 用心深いアイシャだが、アジュルの体調と自身の猜疑心(さいぎしん)を天秤にかけた結果、自称青の氏族民であるアーディラを信用することにしたのだ。


 彼女は黒い天幕の中、まるで放り投げたかのように敷物の上に転がっていた革袋を漁り、軟膏を取り出して、アジュルの尻の小さな患部に塗布(とふ)する。痛み止めの薬だという。


 北方紫の氏族の町での事件以降、薬という単語に敏感になっているアイシャである。アジュルが苦悶(くもん)の呻きを上げたらどうしようと半ば本気で懸念した。


 だが、しばらく見守っていると、痛みに気が立った様子であったアジュルが次第に落ち着きを取り戻し、地に伏せて心地よさそうに目を閉じたので、安堵する。


 天幕の前に、青い幾何学模様(きかがくもよう)が織り込まれた絨毯を敷き、腰を下ろしたアイシャは、日向ぼっこ中のアジュルを撫でながら、アーディラに感謝を述べた。


 目を細めて応じたアーディラは、気さくな女であった。砂竜族同士にもかかわらず、あからさまなほどに警戒の色を(まと)ったアイシャにも嫌悪を示さない。小心者の緊張を解きほぐす(すべ)にも長けていた。


 まずは自身の青き砂竜を連れて来て、アイシャと触れ合わせる。成体らしく、アジュルよりも一回り大きい立派な砂竜だ。続いて駱駝の荷袋から生のイチジクを取り出して、アイシャに振舞った。


 またもや毒物の混入を懸念するアイシャだが、今朝は(さそり)事件で食事もままならなかったため、空腹で胃が熱いほどだった。ありがたく受け取り頬張れば、みずみずしい果汁が口内を潤して、歯の間で種が弾けるような食感に心も躍る。


 生の果物など、滅多に口にできるものではない。聞けば青の氏族は隊商(たいしょう)の護衛業で貨幣を得ているため、都市で東西の希少な食材を買い付け、物的に豊かな生活を送っているようだ。


「まあ、放牧を主体とした自給自足生活の方が良かったと言うご年配も多いけどね」


 アーディラは少し陰のある調子で語る。


「貨幣を持てばそこに権力が生まれ、争いの元にもなるわ。私が幼い頃、遊牧を中心に暮らしていた時期までは、みんな持ちつ持たれつ相互扶助の関係を保っていたけれど、近頃は小さな諍いが多くてね」


 そういうものなのだろうか。赤や白の氏族ではともに、古くから変わらない遊牧中心の生活を(いとな)んでいた。先日訪れた紫の氏族は半遊牧半農であったが、どちらかと言えば貨幣に()らぬ暮らしをしているように見えた。


 だが、青の氏族は経済と密接に関わりを持ち、あろうことか皇帝から下賜(かし)された砂竜の強靭さを、商売道具にしているという。その行いを否定はせぬが、何やら(したた)かなものを感じたアイシャである。


「うちの氏族がこうなったのも土地柄かしらね」

「交易路の、帝都側の出口を治めているからですか」


 アーディラは笑みを深めた。教え子の回答が的を射ていたことを褒めるような、慈愛を感じさせる微笑みだった。


「ええ、そう。あなたも帝都に行くのなら、交易路を使うのが安全よ。青き砂竜が遠くから目を光らせているから。……あら」


 アーディラは不意に視線を上向けて、アイシャの背後に広がる灰色の砂地に目を細めた。視線を追って振り返り、アイシャは、あっと声を漏らす。 


「ファイサル。お帰りなさい」


 腕いっぱいの皮水筒を抱え、徒歩でやってきた従弟(いとこ)は、何やら不機嫌そうに眉根を寄せている。彼は絨毯の側までやって来ると、大雑把な所作で皮水筒を置いた。蓋が緩んでいたのだろうか、貴重な水が僅かに飛び出して、砂地に一筋、湿った軌跡を描く。


 ファイサルは苛立ちを隠さずに、手の中に握っていた物を突きだした。書物の切れ端に伝言が記されている。内容は「東の砂丘を越えた二つ目の谷間にいます アイシャ」。


「おい、こんな紙切れを門衛に渡して勝手にいなくなるんじゃねえよ」

「ご、ごめん。アーディラさんがアジュルに薬をくれるって言うから」


 聞き慣れぬ名を耳にしたファイサルは眉を上げ、アーディラに視線を落とす。目が合うと、何やら驚いたように(まばた)きを繰り返していたアーディラは、一変して優雅に笑みを浮かべる。


「まあ。イトコって男の子だったの?」


 従弟と一緒に旅をしていたら、砂竜が(さそり)に刺された。従弟が砂竜の患部を冷やす水を汲みに行っているから、市壁の近くで帰りを待っている。それがアーディラに伝えたこれまでの経緯であった。


 アーディラは腰を上げ、ファイサルを真正面から見上げた。間合いが狭かったようで、ファイサルは一歩身を引くのだが、アーディラは距離を詰める。


「アーディラよ。青の氏族長の妹。あなた、まだ若いけど良い男だわ。ねえ、天幕が小さいから砂竜がはみ出るのよね。今晩は私の天幕に来てくれても良いのよ」

「は……」


 あのファイサルが、たじたじと対応に(きゅう)する姿は目に新しい。


 アイシャは硬直したまま、妖艶な曲線を描く女の腰で飾り紐の青玉(せいぎょく)が煌めくのを、ぼんやりと眺めた。


「ねえ、聞いている?」


 艶やかな唇から甘美な声が漏れる。同性の耳にも痺れが走るような、艶めいた響き。


 アーディラの眼光はまるで、獲物を前にした蛇のようだ。眼前で身を竦ませた小動物を捕らえようと、襲い掛かる時機を測っている。


 麻痺したままの頭で目の前の出来事を咀嚼して、アイシャは思わず腰を上げた。ファイサルが食べられてしまう! 人が人を食べるだなんてあり得ないのだけれど、この時アイシャの脳裏にはまさに「捕食」の二文字が浮かんだのだ。


「だ、大丈夫です!」


 アイシャは二人の間に割って入る。


「ファイサルは毎晩あたしと過ごすので!」

「……まあ」


 アーディラは大袈裟に目を丸くして、次の瞬間には口元に手を当てて上品に笑い声を立てた。


「あどけない顔して大胆なのね。だめよ、成人前の女の子がそんな破廉恥(はれんち)な」


 アイシャは口を(つぐ)み、たっぷり二呼吸分瞬きを繰り返した後、やっとアーディラの言葉の意味を理解して、顔に血が昇るのを感じた。紅潮しただろう顔面を晒す勇気がなく、アイシャはしゃがみ込み、顔を覆った。


 可愛いわね、十五歳かな、それとも十六歳? などと頭上で首を傾ける気配がする。様々な方面での反論があるのだが、声にならない。アイシャの心を代弁したのは、意外なことにファイサルだった。


「あの、色々と誤解があるようなんですが、とりあえずアイシャは十八です」


 アーディラは色づきの良い唇を閉じ、双眸(そうぼう)に驚愕の色を宿してアイシャに視線を注ぐ。


 眼差しに応えるべく、熱い頬のまま顔を上げる。豊満な大人の女性を見上げれば、アイシャの肉付きの悪い小柄な体格は子供に見えるのだろうなと思い、いっそう惨めな気分になった。


 気まずい沈黙が砂に沈み込む。アイシャは居た堪れない気持ちになって、再び俯き絨毯の幾何学模様を視線でなぞる。


 そのまま、雲が流れ砂漠に影が落ちてまた灼熱の陽光が戻って来るまで、誰も動かない。大した時間ではなかったのだろうが、とてつもなく長い時が過ぎたような心地になるアイシャである。


 最終的に空気を打ち破ったのは、アジュルの曖気(げっぷ)であったのだから、何とも締まらぬ初対面の思い出となった。

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