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砂竜使いナージファの養女  作者: 平本りこ
青の章

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54/91

2 蠍が出たぞ

 安眠を妨げるのは、ファイサルのいびきではなかった。


「ぐあああ、ぐあああああ! イタイ、イタイ!」


 早朝、耳をつんざくようなアジュルの絶叫が響き渡る。飛び起きた砂竜(さりゅう)の翼や腕が横幕や支柱を打ちつけて、天幕が大きく揺れる。はみ出した尾が振り回されたものだから、杭が何本か弾き飛ばされて、自由になった横幕がふわりと風に浮いた。明け方の淡い光がアイシャの顔面を照らす。


 寝ぼけた頭は、アジュルの尋常ない叫びと大暴れによって、瞬時にして覚醒する。アジュルは元から丸い目をさらに剥き出しにして暴れ、とうとう天幕を飛び出した。


「アジュル!」


 慌てて砂竜の背中を追う。いったい何事だろうか。砂竜のご乱心に、駱駝までもが立ち上がり、怯えたように首をのけ()らせていた。


 アジュルは尾を振り回し、砂丘をぐるぐると駆け回る。人の脚では追いつけぬほどの速さだったので、アイシャは途方に暮れて駱駝の側に立ち竦む。ファイサルが遅れてやって来て、目を擦っている。


「どうしたんだ」

「わかんない。急に叫んで暴れ始めた」


 アジュルは以降もしばらく当て所なく走り回ったのだが、やがて気が済んだのか、幾らか気落ちしたような雰囲気で戻って来た。小さな呻きを上げて鼻面を寄せてくるアジュルの頬を撫で、アイシャは首を傾ける。


「どうかしたの?」

「ぐああ、イタイ、シリ!」

「シリ……お尻?」


 アイシャが呟いた時にはすでに、ファイサルは砂竜の尻側へと回っている。ややしてから彼は、あっと声を漏らした。


(さそり)かな。ちょっと腫れてる」

「さ、蠍。大丈夫かな」


 ファイサルは首を振って、辺りの橙色の砂丘を見回した。


「砂丘に出る赤蠍なら大丈夫だろ。深い井戸があれば冷たい水で冷やしてやれるんだけどな」


 言いつつ、ファイサルは何やら考え込んでいる。


 アイシャは、萎れた様子のアジュルを慰めて、ひとまず天幕に戻るように促した。悲し気な唸りと共に、アジュルは従順に砂丘を下る。


 かわいそうなアジュル。毒性の低い赤蠍といえども、刺されれば痺れとひどい痛みに苛まれるのだ。アイシャも数年前に足の小指を刺されたことがあるのだが、膝辺りまで激痛が広がり、丸一日は泣いて過ごした。


 それにしても、蠍。「蠍に刺されたいのか」と言った紫の族長ニダールの声が脳裏を(よぎ)る。まさかあの戯言(ざれごと)が、水神のお耳に届いたのではあるまいか。ニダール、ちゃんと水を捧げて取り消してくれないから。迷信だろうとは思いつつも、恨み事の一つや二つ、呟きたくなるアイシャであった。


「そういえば、近くに東方隊商(たいしょう)都市があるはずだ」


 何の生産性もない思考に沈んでいたアイシャの意識は、ファイサルの言葉で砂丘に引き戻される。意図がわかりかね、首を傾け続きを待った。


「ほら、都市に行けば井戸があるだろ。この辺りは砂漠の東の玄関口。青の氏族が商人に開放した東方隊商路の要所に町が点在してるはず」

「そこでアジュルのお尻を冷やすんだね」


 妥当な判断だ。痛みは徐々に激化するはずなので、歩けるうちに井戸の近くまで進み、今日一日は療養にあてるのが良いだろう。飲用に保管してある水は外気に熱せられてぬるいので、傷を冷却するには不適切だ。


「アジュル、少しだけ頑張って」


 赤銀色の鱗に覆われた首を撫でてやれば、アジュルは弱々しく鳴く。そのか細い声に、アイシャは我が事のように胸を痛めた。

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