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砂竜使いナージファの養女  作者: 平本りこ
青の章

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53/91

1 ハイサムとファイサル

 昔々、マルシブ帝国の始まりの時代。赤の氏族長ハイサムは、炎のように激しい心を持つ青年でした。


 当時のマルシブ王国が悪い噂によって、かつての仲間であった砂漠の部族からひどい裏切りに遭う中、ハイサムは王様を信じ戦い続け、最後の四忠臣の一人と呼ばれるようになります。


 ハイサムはその強い心で勇敢に氏族を導き敵を打ち負かし、王様に勝利を運ぶのです。


 ハイサムの一番の活躍は、最後の戦いの時。王宮を囲む敵の大軍の間を駱駝(らくだ)で駆け抜けて、命も惜しくないという決心で、王様を助けに行きます。


 王宮内はもう、ぼろぼろです。扉を破ろうとする武器の音や、誰かが「痛い痛い」と泣き叫ぶ声が響いています。けれどハイサムは、その胸に熱い炎を抱いていたのですから、ちっとも怖くはありません。


 ハイサムは、傷だらけになりながらも、突き進みます。


 どーん! かきんかきーん! ぐさっ! きゃー!


 やがて、ハイサムは王様の部屋の前に辿り着き、王様の家族を救い出して、堂々と王宮の門を出ます。


 敵はもう、ハイサムがみんな倒してしまったので、恐れるものは何もありません。身体は砂に還り、心は水に乗り、天へと戻って水神マージの元へ。壁にも床にも手足が転がり、壁には血糊……いや、ここはいいか。


 ともかく、勇敢な働きにとても感心した天竜(てんりゅう)は、ハイサムと赤の氏族の勇気を(たた)え、彼らの心に燃え(たぎ)る熱い忠誠心に(ちな)み、聖地に炎の力を授けました。間歇泉(かんけつせん)が熱い水を噴くのは、このためです。


 私達は、英雄ハイサムの意思を受け継ぐ誇り高い赤き砂竜使い。いつの日も、熱い心を忘れずに、誇りと共に生きていかなくてはいけません――。




「ファイサル、アジュルやっと寝た」


 駱駝ほどに大きい砂竜(さりゅう)の額を撫で、アイシャは囁きの中に微かな高揚感を残した声音で報告した。


 暗い天幕の中、砂竜が寝息を立てる向こう側で横になったファイサルが、げっそりした表情で頭を転がして、こちらを向く。


「そりゃ良かったけど、何でそんな逆に目が覚めそうな英雄譚が子守唄代わりなんだよ」

「いつも母様(かあさま)が夜に話してくれていたやつだよ」

伯母(おば)さん」


 呆れたように呻いてから、ファイサルは相変らず軽口を吐き出し続ける。


「それ、人間の子供にはやるなよ。絶対夜中に小便漏らすから」

「大丈夫だよ。母様はいつもあたしにしてくれてた」

「ナージファ伯母さんは、子育てはからっきしだっただろ」

「そんなことないもん」


 唇を尖らせて反論したところ、思いの外語気が荒くなり、アジュルが小さく唸ったので、二人は慌てて口を閉ざす。呼吸音すら響かせぬように息を潜め、砂竜を注視する。やがてアジュルの鼻から深い寝息が漏れ出すと、詰めていた息を吐き、全身を脱力させた。


「ったく、そもそも竜にそれ必要か? 人間じゃないんだし」


 アイシャはファイサルのぼやきを聞き流しつつ、アジュルの隣に横たえていた身体を持ち上げる。竜の頭側、横幕の近くに移動して、毛織物の側に腰を下ろした。砂竜の上半身が見渡せる位置である。


 アジュルは生まれてすぐに旅に出たこともあり、砂竜の群れで過ごした期間が著しく短い。それゆえか、竜らしい行動よりも、人間の真似をしたがる子であった。ぬいぐるみ然り、片言の人語然り。添い寝のおねだりも、その一環かもしれない。


 砂竜の尾は、天幕からはみ出している。全身が入り切らなくとも一緒に寝たがるのだから、なんともいじらしく可愛い竜である。


 とはいえ、天幕が小さ過ぎる訳ではない。白の集落から持参した小ぶりな天幕は紫の族長ニダールに奪われて、一回り大きな天幕を張るための一式を譲り受けていた。


 天幕の贈り物を申し出たニダールは、「露天で眠り、(さそり)に刺されたいのか。短慮な奴らめ」と陰気に述べたのだが、どちらにせよ天幕内に蠍が入り込むこともあるのだから、単に悪し(ざま)に言いたかっただけなのだろう。


 もしかしたら、ただで物品をやるのが照れ臭かったので、あえて憎まれ口を叩いたのかもしれない。ニダールの発言の真意は知れぬものの、真新しい天幕は快適で、お陰様で穏やかな夜を過ごせている。


 アジュルが幼竜(ようりゅう)のままならば、頭隠して尻隠さずを体現することにはならなかっただろう。しかし、この砂竜の成長速度は異常なほどである。結局天幕には収まらず、長い尾が飛び出たまま、砂竜は安らかに寝息を立てるのだった。


 物の輪郭が辛うじて見える程度の闇の中、ぼんやりとアジュルを眺めていると、(きぬ)擦れの音が近づいた。ファイサルも身体を起こし、アイシャの隣、毛織物の群れに腰を沈めたらしい。


「おまえが変な話するから、眠気が覚めた」

「変な話じゃない。英雄ハイサム、格好良いでしょう」

「英雄は格好良くても、アイシャの話し方だとなんかこう、ゆるっとするというか。雄々しさとは程遠いな」

「ファイサルだって、ハイサムから名前貰ってるくせに、全然格好良くない」

「悪かったな。アイシャ好みの美男じゃなくて」


 ファイサルという名は、赤の氏族に多いのだが、それは氏族が誇る英雄ハイサム族長から派生した名であるからだ。


 白にも紫にも、もちろん青にも、それぞれの英雄がいて、彼ら彼女らに(ちな)んだ名づけが行われている。赤の英雄の名を借りてくるなど、他氏族では稀なことだろうから、もしかしたら砂竜族の中でファイサルの名を持つのは、今や彼だけなのかもしれない。|

 ふと思い至れば、ひんやりとした寂寥(せきりょう)が、胸にじわじわと染み出すようだった。


 英雄の物語も、それを受け継ぐ名前も、氏族の歌も全て、砂塵(さじん)に還りかけている。アイシャやファイサルが後世に伝えなければ、この砂漠から消え失せてしまう。


 アイシャはアジュルの鼻先を眺め、ぷすぷすと鳴るような寝息に耳を傾けて、人知れず膝を抱いた。隣でファイサルが、いつもの無遠慮な調子で言う。


「また暗いこと考えてるだろ」


 言い当てられて、顔を上げる。砂地に放置した焚火の残滓(ざんし)が微かな光を放ち、アジュルの尾に押し上げられた垂れ幕の隙間からぼんやりと差し込んでいる。その僅かな明かりを頼りに目を凝らせば、ファイサルの瞳が真っすぐこちらを見つめているのが分かった。


 暗いこと。指摘されてみれば、心の奥底に押し込めて蓋をしたはずの不安がまた、這い出して来るようである。


 竜生(りゅうせい)の儀で竜の卵を割った事件を皮切りに、強烈な心的負担を受け続けている。(かえ)らなかった竜卵(りゅうらん)、対照的に殻が砕けても生を受けたアジュル。念願の赤き砂竜は異様な成長を見せ、言葉を解し、空を飛んだ。


 アイシャはといえば、間歇泉で母の幻影と言葉を交わし、紫の聖地では見えぬはずの過去を見て、挙句の果てにはぬいぐるみに憑依した……かもしれない。


 そして、唯一の家族であるファイサルは、手がかりさえあればきっと、危険を顧みずに赤の氏族が襲撃された謎を解明しようとするのだろう。


 出来ることならば、赤の集落で一生平穏に暮らしたかった。十歳の頃、あの事件の夜以降それが叶わなくなったのならば、後見人の庇護下、白の集落で穏やかに過ごしたかった。だが、運命は動き始めたようなのだ。巡礼の旅に同行すると決めたのはアイシャであって、誰に強制されたものでもない。


「帰りたくなったか」


 見当違いなことを言うかと思えば、時々こうして的を射た発言をしてくるのがファイサルである。アイシャはいっそう身体を縮こまらせて、抱えた膝に顎を乗せた。


「うん、早く帰りたい」

「先に帰ってても良いぜ」


 アイシャは弾かれたように顔を上げる。


「一人では帰らないよ。ファイサルが無謀なことしないか心配だし」

「どっちがだよ。俺はアイシャがまた美男に騙されて、崖から突き落とされねえか心配なんだけど」

「ううっ。あれは、だって……ううう」


 何も言い返せないアイシャであるが、崖から突き落とされたのはアジュルを探していたからだ。断じてワシムに篭絡(ろうらく)されておびき出された訳ではない。


 戦えもせず惨敗して項垂(うなだ)れたアイシャの隣で、勝ち誇った笑みを浮かべるファイサルの顔が闇に浮かぶようだった。もちろんこの暗さでは、そこまで詳細に見えるはずはないのだが。


「ま、あんまり気にしすぎるなって。全部予定通りに進めて、赤の氏族を復興しよう。後世の奴等にとって俺は、ハイサム族長と並ぶ英雄ファイサルになってるかもな」


 呵呵(かか)と笑うファイサル。ハイサムと横並びだなんて無相応な、と口をついて出かけた言葉を、辛うじて飲み込んだ。ファイサル、いつも余計な一言が多いのだ。


 彼の底なしの楽観は、瘴気(しょうき)を纏ったようなアイシャの様子を(おもんぱか)った結果なのであろうか。好意的に解釈しようとしてみたアイシャだが、今更どう足掻いてもファイサルに対する印象が変わることなどないのである。


 それでもアイシャは思うのだ。平和な暮らしの中では辟易するような従弟(いとこ)のお気楽さも、不安に押しつぶさそうな日々においては、焚火の燃料になる駱駝の(ふん)くらいにはありがたいものだった。


 アイシャは顎を膝に埋めたまま、素直に小さく頷いた。


「うん。また赤の集落で暮らそう」


 語らなくとも、二人の脳裏には同じ景色が浮かんでいただろう。橙色の砂丘の谷間、黒い天幕の群れ、赤い手綱の駱駝と赤銀色の砂竜の一群。


 遠く懐かしい日々に思いを()せて、気づけば眠りに沈み込んでいた。

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