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砂竜使いナージファの養女  作者: 平本りこ
紫の章

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16 お仕置き、そして雨

 地底から追い風が吹く。飛ぶ、というよりは、風に(あお)られるかのように竜の身体が浮遊して、水路がぐんぐん遠くなる。


 高所が苦手なアイシャは、思わず強く目を閉じた。いったい何が起こっているのか、理解が及ばぬが、事態が好転したことだけは確かである。


 薄く目を開けば、相変わらず腕輪は白銀に光る。地上が近づくにつれ、燐光(りんこう)が陽光に溶け出して、いっそう淡くなる。光と共に追い風も弱まった心地がして(きも)を冷やしたが、腕輪から漏れる白に暗色が混じり、アジュルに到達した瞬間、砂竜の身体は深淵を抜け、日差しの中に(おど)り出ていた。


 アイシャの耳に、遠雷(えんらい)が届く。上空は晴れ。しかし、遥か東方からは、黒々とした暗雲が近づいている。腕輪が(まと)う光は紫を帯び、アジュルの身体は白い光を失った。


「ア、アジュル、あそこへ降りて!」


 風の後押しが急激に減少し、アジュルの身体が斜めに(かし)ぐ。アイシャはアジュルの首に強くしがみ付きながら、眼下の広場を指差した。羊の囲いの側、ニダールが縄に掛けられた広場だ。


 アイシャの誘導に、アジュルは従順である。赤銀色の鱗が陽光を弾いて煌めいて、地上に光の(つぶて)を落とした。広場に集った者らの視線が一斉に上向(うわむ)く。驚愕に眼球が零れ落ちそうな者もいた。気持ちはわかる。アイシャも未だ、夢と(うつつ)の間を行き来している気分である。


 近づく群衆の中、ワシムの頬が引き()るのが目に入る。アイシャは再び怒りが噴火するのを感じ、アジュルをワシムの頭上に誘導した。


「お仕置きっ!」

「な、なぜ……」


 竜の影に覆われて、ワシムは無様な悲鳴を上げる。アジュルは一直線に降下すると、ワシムを組み敷いた。恐怖に(おのの)く少年を近距離で見下ろして、アジュルは鋭い牙を剝くように口を開き、荒い呼吸を整えた。その(さま)が、捕らえた獲物を前に舌なめずりする肉食獣にでも見えたのだろう。ワシムは再度細い悲鳴を上げて、昏倒(こんとう)した。


「ぐああ、シンダ」


 己の所業だと理解していないのだろうか。他人事(ひとごと)のように呟くアジュルを(ねぎら)うため軽く首を叩き、アイシャは砂竜から滑り下りる。大した高さはなかったのだが、想定よりも膝が笑っていたようで、力が入らずそのまま地面に四つん這いとなる。ワシムに負けず劣らず無様である。


「アイシャ! いったい何が」


 時が止まったかのように静まり返っていた群衆から、ファイサルの大声が飛び出した。見慣れた顔が視界に入れば、アイシャは大きな安堵を覚え、いっそう脱力する。今度は全身で砂に突っ伏した。


「何やってんだよ、どんくせえな」


 呆れたような暴言ですら、耳に心地よく届くので不思議である。


 言い草の割に思いやりのある動作で、ファイサルに助け起こされた。近距離で顔を見合わせてから、自分の手のひらに視線を落とし、もう一度視線を上げて、ちょうど眼前にあったファイサルの頬を軽く叩いてみる。感触があるし、従弟(いとこ)は気味悪そうに顔を歪めたので、紛れもなくアイシャは、人間としてここに存在しているようだ。


「嚙み嚙みトビネズミさんじゃなくて、ちゃんとあたしだよね」

「はあ?」

「おい、小娘」


 割り込んだのは、間延びした空気を引き締める、()れたような声。首を巡らせて声の主を振り仰げば、紫の族長ニダールが、いつもの陰気な眼差しをこちらに注いでいた。


「縄を解いてくれ。一連の騒動を仕組んだのは俺ではないと、証言できるだろう」

「そ、そうでした」


 アイシャは慌ててニダールの側に膝を突き、難儀しつつも、固く結ばれた縄を(ほど)く。両腕を解放されたニダールは、赤紫色に変色した拘束の痕に目を落とし、微かに眉根を寄せ腰を上げ、しゃがみ込んだままのアイシャを見下ろして命じた。


「小娘、あの砂竜はなんだ。今までどこに隠れていた。全て話せ」

「あ、はい。実は昨晩、ワシムさんに騙され……」


 アイシャの言葉は、突如(またた)いた強烈な閃光に遮られた。やや遅れて轟音(ごうおん)が天地を揺らし、太陽が灰色の雲に覆われる。ニダールは空を仰ぎ、遠く東方から湧き上がるような暗雲に目を向けて、大気の匂いを嗅いだ。


「雨が来る」


 アイシャは耳を疑った。これまで暮らしてきた砂漠の南方や西方には、降雨はほとんどなかったのだ。遥か東方の後宮(ハレム)で暮らしていた頃、草木と花々の庭を優しく濡らす霧雨を浴びたことはあったのだが、雷雲を引き連れた豪雨など、経験のないことである。


 雨、と耳にして、紫の氏族の男らが色めき立ち、各々(おのおの)備えに動き始める。慣れぬことに困惑し動きの鈍いアイシャとファイサルに、ニダールは鋭く命じた。


(ほう)けておらず、高所へ逃げろ。流されるぞ」


 そうだ、彼らの聖地は()れ川。涸れてはいるものの、雨が降ればそれは、水を湛えた正真正銘の川になる。砂漠の大地は水を吸うようには出来ていないのだから、行き場を失った雨水は地表を滑り、川を越えて町へと流入する。


「家畜は我々が移動させる。おまえ達は赤き砂竜を連れて避難しろ」

「こいつは?」


 ファイサルが足先でワシムを(つつ)く。ニダールは興味の薄い目で甥を一瞥し、言い捨てた。


「荷物と一緒に運んでやれ」


 住民が高所へと避難を完了したのと時を同じくし、不吉な暗色をした雲から大粒の雨が溢れ出て、日干し煉瓦の町を打つ。途端に気温が下がり、慣れぬ高湿度の中、人々は一様に沈黙し、町が水に削られる様を見守った。

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