14 その毒を飲んでみろ
陰気な気配を漂わせていたニダールが一転、底光りする目を甥に向ける。太陽が高度を上げ始める時分。気温は刻一刻と上昇し、ワシムの若さが残る頬に、汗が一筋流れ出る。
ワシムは、伯父の眼光にややたじろいだようだが自制して、意図して見下ろすような角度でニダールを睨む。
「どんなって……二階の薬品棚ですよ」
「薬品棚。瓶が丸々消えていたと?」
ワシムが頷けば、ニダールはやや口の端を持ち上げたようだ。
「ふむ、妙なことだ。昨日もその前も、妻は薬不足で不自由してはいない」
「それはもちろん、全て無くなったわけではないから」
「しかし瓶が丸々消えていたと言っただろう」
ワシムは眉根を寄せる。遠巻きに耳を傾けるアイシャにも、話が読めない。ワシムはひと瓶無くなったと言っていただけで、全ての瓶が消えたとは一言も口にしていない。
一昨日、族長宅で珈琲を飲み、ニダールの過激な言葉に当惑したあの部屋で、かつ、かつ、と床を叩いたのは淡い琥珀色の液体揺れる瓶。手のひら大のあの瓶が薬だというのなら、常飲するために数本に分けて保存しているのだろう。
だが、それはもしかすると、ある種の洗脳なのかもしれない。ニダールの様子を見れば、不穏なものを感じるアイシャである。
「薬を、持って来い」
ニダールが唸るように命じる。族長の腕を拘束する縄の先を掴んでいた青年が鋭い視線を食らい、おずおずと述べる。
「しかし族長。私は薬置き場を知りません」
「当然だ。親族にしか伝えていない。置き場は妻に訊け。さあ、早く」
静かだが高圧的な語気である。青年は肩を震わせて、縄を仲間に押し付け、逃げるように族長宅に入って行く。残された者らは一様に黙りこくる。重苦しい沈黙が砂に沈み込んだ。
アイシャは柵にぶら下がり、次第に思考がぼんやりと薄まって行くのを感じた。照り付ける陽光の熱は感じない。だが、確かにこの身から水分が奪われていくのが感じられる。水が天に還る度、アイシャの意識が砂粒のように微細になり、一つ、また一つと指の間から流れ落ちていくようだ。奇妙なことだがそれは、酷暑に意識を手放す感覚と似通っていた。
やがて、ぼやけ始めた視界に、先ほどの青年が戻ってくるのが映る。彼が抱えるのは、瓶、というよりは壺のような形状で、成人男性の両腕で抱えるほどの大きさである。
「さあ、薬はこの通り、たっぷりと残っている」
「まさか……。いいや、伯父上、冗談も大概にしてください。薬は手のひら大の小瓶に入れられていました」
「ほう、どこで見た」
「伯父上がいつも弄んでいたではありませんか。そして、二階の薬品棚にも同じ容器が」
「ふむ、おまえはそう思っていたのだな」
ニダールが、思わせぶりな視線を壺の青年に向ける。彼は視線を受け止めて、ややしてから、あっと声を漏らした。
「二階……、それって」
彼は思考が纏まると目を剥いて、薬壺を取り落とす。重たい音が砂風に乗り、響き渡る。罅割れて内容物が漏れ出ることはなかったが、外れた蓋が灰色の大地を転がった。ニダールはそれを一瞥し、青年に命じた。
「これを飲め」
「はい?」
「飲んでみろ」
哀れな青年は頬を引き攣らせ、全身を震わせる。それから、自身の腕を掻き抱いて、今にも泣き出しそうな声で叫んだ。
「私に死ねと!」
「阿呆か。もう良い。ではそれを、俺の口に流し込め」
「おい、族長」
見かねたファイサルが一歩踏み出す。
毒をあおるなど、短慮も甚だしい。自暴自棄になったがゆえの行動かと思うところであるが、なんとなく事の次第を察し始めたアイシャは、口を挟みたくて仕方がない。
要はワシムは嵌められたのだろう。ワシムは、薬は小瓶に入り、二階の薬品棚にあると思っていた。しかし、青年が腕に抱えるのは薬壺で、安置されていたのはきっと、上階ではない。
そして今ニダールは、毒になり得るはずの薬を嚥下しようとしている。ことが示すのは、一つの真実。アイシャの思考は清流のごとく明瞭である。普段よりも冴えているくらいだ。
だが、視界は更に歪みはじめ、琥珀色の粘性の液体を飲み込もうとするニダールの姿が、背景の日干し煉瓦に溶けていく。
真相を見届けたい。しかし、アイシャの意思に反するように、全ての色が混じり合い、世界が暗転する……。




