表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
砂竜使いナージファの養女  作者: 平本りこ
紫の章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

47/91

13 噛みネズミの世界


「これが?」


 不意に、世界が昼に転じたようだ。


 アイシャの視界いっぱいに広がるのは、陽光に照らされた見慣れた顔。耳に飛び込むのも、もう十年以上ずっと聞き続けた、覇気有り余る声である。


「何で()()()()()が、そんな場所に転がってんだよ」 


 ファイサルの顔面が、嫌に近い。言葉と共に息がかかるほどの近距離である。さすがに居心地が悪く、身を引こうとするのだが、不思議なことに身体は微動だにしない。


 いったい何が起こったのだろうか。気が動転したものの、閉じる瞼もなければ荒くなる息もない。アイシャは思念の塊のようになり、ただファイサル眉間の皺を数えるばかり。


断崖(だんがい)になっていますからね」


 別の声が降って来る。砂竜族の男性には珍しい、上品な印象の声音である。紛れもなく、ワシム少年のものだ。


 途端に、深淵(しんえん)の側での記憶が砂嵐の如く押し寄せて、ワシムへの怒りが火を噴いた。この少年、人をまるで不用品か何かのように穴へと突き落としたのだ。しかも、曲がりなりにも女性の尻を蹴り上げて。


「あの辺りは夜になると地面の終点が見えづらくなるんです。考えたくないですが、今朝から姿が見えないアイシャさんは、アジュルと一緒に足を踏み外したのかもしれません。もしくは誰かに突き落とされたか」


 アイシャは、耳を疑った。耳どころか肉体の感覚はないけれど、ともかく驚愕した。どの口がそれを言うのか。


 しばし思案顔をしたファイサルだが、不意にアイシャの世界から従弟(いとこ)の顔面が消え失せて、衣服の白い布地で視界が占領された。先ほどより離れた上方より、声は降って来る。


「あんたは知らねえだろうけど、アイシャは高い場所が嫌いなんだよ。崖に近づくなんて不自然だ」

「ではやはり、誰かが彼女を連れ出して、亡き者にしようとしたのでは」

「誰かって」

「毒を盛った(やから)の仕業と考えるのが筋が通ります。ニダールは幽閉中だったので、共謀者がいるのかもしれません。ともかく」


 諸悪の根源であるワシムは、まるで自身が正義の番人であるかのような調子で言う。


「ニダールを尋問するしかありません。ファイサルさん、行きましょう」

「ああ。……ちっ、噛みネズミ、湿ってて気色悪いな」


 ファイサルが低い声で吐き捨てて、ワシムに続く恰好で歩き始める。


 ファイサルの歩みに合わせ、アイシャの視界は前後に揺れた。彼の脚の動きが視野の端に映る。目が回りそうなのだが、振り回されている頭部の感覚はない。これは一体何事か。


 ぷらぷらと激しく揺れ、搔き乱される世界。砂色の景色の中、やっと気づいた。アイシャはファイサルに()()()()()()。まさか、そんなはずはないだろうとは思えども、そうとしか思えぬのだ。


「朝日に晒されてもアジュルの(よだれ)が乾き切っていないってことは、嚙みネズミが放棄されてから、そんなに時間が経っていないはずだな」

「元々どのくらい濡れていたかにもよるでしょうけどね」


 再び乱雑に視界が乱れ、気づけばファイサルの顔が近い。彼は相変らず機嫌悪そうに眉根を寄せて、こちらを半ば睨んでいた。


 不意に、ファイサルのもう一方の手に包まれる。案外優しく、撫でるように前後した手のひらが離れた拍子に、細長い紐が視界に映り、アイシャはまさか、と思い至った。


 あの灰茶色の紐は、噛み噛みトビネズミさんの尻尾である。ファイサルが撫でたのも気色悪いと睨んだのも、嚙み嚙みトビネズミさんであり、つまりアイシャがアイシャだと思っている、ファイサルの指先に(つま)まれた物体は嚙み嚙みトビネズミさんで。ということはアイシャは今や嚙み嚙みトビネズミさんなのだろう。たどり着いた一つの結論に、アイシャの思考は大混乱の様相である。自分でも訳がわからない。


不細工(ぶさいく)な小動物だな」


 ぼやいたファイサルはじっとこちらを見つめていたが、やがて目的地に着くと、近くにあった羊の囲いにアイシャをひっかけた。偶然にも、広場の光景が一望できる位置だった。


 小石が転がる砂上に、紫の族長ニダールが常と変わらぬ陰気な顔で膝を突いている。後ろ手に縄をかけられ、周囲を砂竜に騎乗した男らに囲まれていた。まさに今、罪人が裁かれようとしているのだ。赤や白の集落でも同様の光景を見たことがあるが、此度(こたび)は事件が事件だけに、張りつめた空気に包まれている。


 ワシムとファイサルが現れると、砂竜に跨った数人が道を開ける。二人が距離を詰めるが、ニダールはふてぶてしいまでの泰然とした表情を崩さない。


伯父上(おじうえ)


 ワシムがニダールを睥睨(へいげい)して言った。


「罪を認める気になりましたか」

「罪だと」


 ニダールは憎しみすら見えぬ平坦な表情で、(おい)を見上げた。


「罪とは何だ。妻のために、薬を常備していたことか」

「しらを切らないでいただきたい。現に薬は族長宅から消えていて、あなたが用意した食事に紛れ込んでいた。それも、毒となり得るほどの尋常ない量が。さらに今朝、赤の客人……アイシャさんと赤き幼竜が、姿を消した。毒殺に失敗した犯人が、再度犯行に及んだのだと考えるのが自然でしょう」


 ニダールはそこでやっと眉を上げ、ファイサルに視線を向けた。二人は束の間視線を交わし合う。


「ナージファの養女が、消えた?」

「驚いた振りをしても無駄です、伯父上。大方(おおかた)、あなたの一派の者が、宵闇(よいやみ)に紛れて手を下したのでしょう」


 ワシムが吠える声は、ニダールの胸には届かぬらしい。思案気に視線を砂地に落とす。その仕草が観念した姿にでも見えたのか、ワシムは傲慢(ごうまん)さが見え隠れする表情で続ける。


「さあ、自白してしまいましょう。薬を融通できるのはあなただけ。二階の棚からは薬瓶が消えていました。下手人があなたではなかったとしても、手を貸したことに疑いはない」


 ニダールはなおも口を閉ざし、熱砂を目線でなぞっていたが、やがて顔を上げ、ワシムの瞳を見据えた。


「それで、ワシム。なぜこの俺に赤の小娘らを害す必要がある」


 ワシムは弁明を用意していたのだろうか、挑むような伯父の視線に淀みなく答える。


「かねてより、天竜帝(てんりゅうてい)と砂漠の統治体制に疑問を抱いていたでしょう。赤のお二人は、白の氏族と縁ある方々です。赤と白が手を結べば、西方白の氏族の権威が高まるのは避けられない」

「体制を崩したいのであれば、むしろなるがままにしておけば良かろう。白が赤と結べは、氏族の力関係は崩れる」

「しかし紫の氏族が零落(れいらく)するのは認め難い」

「それは、無論」

「赤と白が結べば、紫は東方青の氏族と結ぶしかない。ですが青は曲者(くせもの)揃いですから、共闘は難しい」


 青の氏族出身の父を持つワシムに、ニダールは微かに目を細めた。


「そのような軽率な動機で、事を起こすなど、浅はかの極み。だが、良く分かった。おまえが(おとし)めたいのは赤の客人ではない。この俺だ。全てを仕組んだのは、ワシムだ」


 ニダールの太い声に、周囲に騒めきが走る。ニダールの頬に、僅かに不敵な笑みが浮かぶ。


「ワシム、もう一度訊こう。薬はどこからどんな風に消えていたのだったか」


 反撃の開始である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ