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砂竜使いナージファの養女  作者: 平本りこ
白の章

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16 行く果ては水のみぞ知る

 駱駝を()かす。砂を巻き上げながら橙色の砂丘を越え、蹄跡(ていせき)を追う。自分でも不思議なほど、恐れはない。あるのはただ一つ、一刻も早く従弟(いとこ)に追いついて、いつも通り、あの元気過ぎるほどの姿を目にしたいという思いだけだった。


 やがて砂丘が途切れ、小石が転がる平地に出ると、小さな灌木の側に駱駝が座り込んでいるのが見えた。アイシャは声を張る。


「ファイサル!」


 人生で一番の大声だったかもしれない。枯色の小さな木の根元で、駱駝が何事かと首を持ち上げた。その脇腹に寄りかかり休息をとっていた人影が腰を上げ、こちらに向かって歩いて来る。


 アイシャは駱駝の脚を緩めさせず、砂地を真っ直ぐに駆け抜ける。やがて、ファイサルの目が驚きに大きく見開かれているのが見てとれる距離まで来ると、アイシャは無謀にも鞍から優雅に飛び降りようとして……砂に突っ伏した。


「おい、大丈夫か」


 やや上ずった声が降って来る。(したた)かに打ち付けた膝と腕が痛んだが、聞き慣れた声に、安堵が胸を埋め尽くした。アイシャは顔を上げ、ファイサルを振り仰ぐ。空の青を背景に、いつも通りの呆れたような顔がある。


「どんくさ。何やってんだ」

「ファイサル!」


 暴言など右から左へと聞き流し、アイシャはファイサルに抱きついた。突然のことに戸惑いやや身を引こうとする動きを感じたが、逃がさない。腕を背中に回し強くしがみ付けば、それ以上の拒絶はなかった。


「良かった。生きてる」

「はあ? 何だそりゃ」


 従弟の姿が幻影ではないと確認するため、背筋をなぞり、胸に頬を寄せる。べたべたと身体の線を撫でられて気味が悪かったのだろう、ファイサルは呻いてから、アイシャの肩を掴んで引きはがした。そして一言。


「気色悪いことすんじゃねえ!」

「ひ、ひどい」


 抗議の声を上げてみたものの、己の振舞いを思い起こせば確かに変態じみているのだから、反論の余地はない。急に羞恥が込み上げてきて、赤面しつつ俯いた。がっくり前のめりに項垂(うなだ)れるアイシャ。その頬を、ぬるく湿ったものが撫でた。いや、舐めた。


 突然の生温かさに悲鳴を呑み込み身体を震わせて、変質者へと視線を向ける。悪戯(いたずら)っ子は(つぶ)らな瞳でこちらを見上げていた。


「ぐあああ」


 アジュルだ。砂に食い込む鋭利な爪の側に、灰茶色の塊が無造作に転がっている。先ほどまで(くわ)えていたらしい、嚙み噛みトビネズミさんである。


 四足でよちよちと歩を進め、アイシャの膝によじ登り、胸にすり寄る幼竜(ようりゅう)は、この上なく愛らしい。無邪気な姿にたちまち心奪われて、ファイサルのことなど束の間意識から消え去るほどだった。


「アジュル、ほんと可愛いね。よしよし」

「おい、アイシャ」


 竜の額に口付けする従姉へ、奇妙なものを見るかのような視線を送りつつ、ファイサルは言う。


「何でこんな所まで来たんだよ」

「あ、そうだった」


 アイシャは、なおも甘えてくるアジュルを砂上に下ろし、気を引き締めた。


「あのね、あたしも一緒に行く」


 ファイサルは眉を上げ、束の間言葉に詰まってから首を傾ける。


「いや、何で」

「行きたいからだよ。絶対一緒に行くから!」

「ガキか。おまえは集落で」

「嫌! もう決めたの。何て言われてもついて行く」


 我ながら幼い物言いだが、お気楽単純なファイサルが相手なのだ。気心知れた二人の間に、飾った言葉など必要ない。


 真の理由を言えばまた、幻覚を見て頭が狂ったのだと思われかねない。それゆえ詳細を伏せたアイシャだが、何も知らないファイサルは困惑に頭を掻いて、ややしてから何か腹落ちしたような顔をした。


「そうか、おまえ……」


 ファイサルは少し頬を染め、視線を逸らす。


「俺と離れたくなかったんだな」


 とんだ勘違いに、アイシャは瞠目(どうもく)して口を閉ざす。アジュルがぬいぐるみを噛む音が、妙に大きく響いた。


 しばし言葉を失ったアイシャだが、首を左右に振って気を取り直し、否定する。


「違うっ! 母様が、あたしに巡礼しろって」

「ナージファ伯母さん?」


 ファイサルは怪訝そうに眉間に皺を寄せる。やがて、独りよがりに都合良い解釈をして、表情を緩めた。


「何照れてんだ。わかったよアイシャ。そうまで言うなら一緒に行こう。……それなら、サクールへの根回しは不要だったな」

「根回し?」


 半ば泣きそうになりつつも、涙が零れ落ちぬように瞬きを繰り返す。


 従姉の様子をじっと観察してから、ファイサルは頬を掻き、耳を疑うようなことを口にした。


「ほら、もし俺が帰らなかったり、赤の氏族の復興が許されなかったりしたら、アイシャはどうなるんだろって考えたんだ。おまえは気弱だろ。一人でちゃんと生きていけるか心配だから、サクールに根回ししたんだよ。『俺が帰らなかったらアイシャを第二夫人にしてやってくれ』って」

「夫人……」


 何の淀みもなく発せられた言葉に、絶句する。アイシャの、サクールに対する淡い憧れは、誰もが知るところである。いまさら隠し通せるものではない。しかし。


「そんなこと、サクールに言ったの?」


 ファイサルは悪びれずに頷く。従姉のためにひと肌脱いでやったくらいに思っているのだろう。繊細さの欠片もない男の顔を見ていたら、急に怒りが湧いてきた。激情が胸から喉を遡上(そじょう)して、鼻をつんと刺激する。やがて目の縁から大粒の涙が零れ落ちる。無論、歓喜からではない。


「アイシャ、泣くほど嬉し」

「馬鹿! ファイサルの馬鹿! 大嫌い!」


 羞恥でどうにかなりそうだ。


 アイシャはアジュルを抱き上げて、従姉の突然の剣幕に呆気にとられる鈍感男を砂上に残し、駱駝に駆け寄る。駱駝はやや遠くまで走り去っていたが、健気にも主人を待ち、立ち止まっていた。


 予期せぬ暴言に硬直していたファイサルは、やや遅れて正気を取り戻し、アイシャの背中に困惑の声を投げた。


「朝から何だよ、子供みたいにご機嫌斜めで」

「ファイサルが悪いんだもん! 嫌い!」

「じゃあ集落に帰れ」

「帰らない。ファイサルの山羊(やぎ)頭!」

「てめえ」


 何の生産性もないやり取りが、蒼天(そうてん)に吸い込まれていく。


 アジュルがきょとんとした目で、アイシャとファイサルを交互に見遣る。前脚で、アイシャの腕に巻きつく黄金の竜を踏んづけて、可愛らしい口を開けたり閉じたりしている。竜の爪先で、腕輪が微かに煌めいた。


「バカ」


「おまえ、人の事、馬鹿馬鹿言い過ぎなんだよ」

「ファイサルだって、今馬鹿って言った!」

「言ってねえよ!」


「バカ」


 ほら! と二人の声が重なって、鞍上(あんじょう)で顔を見合わせる。互いの苛立ち顔には、偽りがない。この場には二人以外の人間はいないはず。それではいったい誰が。


 答えは間髪を入れずにもたらされる。


「バカ。ファイサル、バカ。アイシャ、バカ。……ぐあああ」


 二頭並んだ駱駝の影が、のんびりと砂上を移動する。

 

 あまりの衝撃に石化したような人間を乗せ、駱駝は変わらず呑気顔。朝方飲み込んだ草を反芻(はんすう)しつつ、口をもごもごと動かしているのだが、無論声の主は彼らではない。


 奇妙なことにその声は、アイシャの腕の中、砂竜の可愛らしくも鋭利な牙の隙間から発せられていた。


「砂竜って、喋るんだっけ?」

「……さあ?」


 旅は今、始まったばかり。彼らの運命は、水のみぞ知る。



白の章 終

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