11 愛くるしい闖入者
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「ア、アイシャ」
唖然とした様子のファイサルが、呆れとも憐れみともつかぬ絶妙な表情でこちらを凝視していた。
彼の視線の意味に気づいたアイシャは咄嗟に俯き、両手で顔を覆う。
「ううっ。母様、かわいそう。叔母様も」
ひどく湿った声音である。心底恥ずかしいことであるのだが、気づけばアイシャは涙と鼻水を垂れ流していた。
「せっかく再会できたのにっ」
「だからって、普通そんなに泣くか」
「だって」
アイシャはめそめそと目元を拭いつつ、顔を上げた。ぐしゃぐしゃの泣き顔を前に、ファイサルの瞳が困惑気に揺れた。
「もし……。もしもだよ。ファテナやサクールが、二度と会えないほど遠くに行ってしまったらって考えたら」
「おい、俺は良いのかよ」
「ファイサルは大丈夫だもん」
「はあ?」
「だってファイサルは家族だから、あたしを置いて遠くには行かないでしょう?」
「巡礼行くだろ」
「でもすぐ帰ってくるし」
ね、そうでしょう、と当然のように問いかける。いつものお気楽な反応が返ることを想定したのだが、彼は虚をつかれたように顔を強張らせた。
「ファイサル?」
首を傾けたアイシャが次の言葉を発する直前。
「ぐああああ」
不意に割り込んだ可愛らしい咆哮に、重く沈殿しかけた空気が混ぜ返された。
垂れ幕の隙間から頭部大の塊が弾丸のように飛び込んで、アイシャの胸に飛び込んだ。アイシャは思わず悲鳴を上げて、無様にも仰向けに引っ繰り返る。したたかに背中を打ち付けて、息が詰まったのも束の間。胸の上に張り付いた何かが、ものすごい勢いでアイシャの頬を……舐めた。
「うううう」
何が何やら思考が追い付かぬまま、抗議の呻きを上げたのだが、不審な塊の動きは止まらない。見かねたラシードがアイシャからそれを引きはがすのと、垂れ幕を掻き上げてファテナが飛び込んで来るのはほとんど同時だった。
「ごめんなさい! 少し砂竜の囲いを開いた途端、この子ったら飛び出しちゃって。あら」
ファテナは、アイシャの水分塗れの顔を見るや否や、驚愕に顔を引き攣らせる。手にしていた小さな手綱を取り落とし、妹分の横に膝を突いて抱き起した。
「どうしたの! またファイサルにいじめられたのね?」
「何で俺」
「ち、違うのファテナ。それより、さっきの何」
涙だか唾液だか分らぬものを拳で拭ってから、アイシャはラシードに首根っこを掴まれて四肢を振り乱す小さな襲撃者に目を遣った。
天幕内の微光にすら輝くのは、赤銀の鱗。頭部の角は小さいながらも立派に反り返る。先ほどアイシャの顔を舐めまわしていたのは、本日生まれたばかりの赤き砂竜の雛だった。その悪びれない円らな瞳を見れば叱る気も失せて、アイシャは全身から力を抜いた。
「良かった、変な人かと思った」
「こんなちっこい変質者いるかよ」
ファイサルが呆れたように言い、ラシードの腕から竜を引き取った。例のごとく砂竜の雛は、人間の腕に噛み付かんと隙を覗う。ファイサルは、アイシャが引っ繰り返った拍子に床に散らばった手巾を拾い上げ、竜の口を誘導してしゃぶらせた。
「竜は賢いからな、アイシャが泣いているのがわかったのだろう」
ラシードが、呑気にすら聞こえる調子で推察をして、顎を撫でる。肉食ではないくせに、人の腕に噛みつく砂竜の雛である。大して賢くは見えぬのだが、この子も成長すれば堂々たる賢竜になるのだろうか。
「ひとまず昔語りはこのくらいにしておこう。何はともあれ、先のことを案じても仕方がない。ファイサルのために用意した仔羊が焼き上がる頃合いだろうから、順次祝いの席に移ろう」
「いや、もう祝ってもらう気分じゃないんだが」
ファイサルがげっそりとした表情で呟いた言葉は、幼竜の上機嫌な鳴き声に掻き消された。




