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砂竜使いナージファの養女  作者: 平本りこ
白の章

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10 ナージファとニスリン③

 侵攻の理由は単純だ。結局は、天竜帝(てんりゅうてい)という異教の王に隷属する暮らしに、不満を覚えたのだろう。天竜は水神マージの使いである。そもそもそれを頼っている現状は、まさに異教に助力を請うことであると思えたが、天竜を使役することと、天竜を操る者に従属することは、彼らにとって大きな差があるらしかった。


 西方蛮族(せいほうばんぞく)は数において圧倒的な優位にあった。砂竜(さりゅう)はその強大さにより、馬や駱駝(らくだ)に恐れられたものの、個体数が少ないのだ。


 砂漠での戦闘であれば馬より駱駝、駱駝よりも砂竜が適しているのだが、あろうことか西方からの侵略者も、駱駝部隊を率いていた。


 戦いは混迷を極めた。砂竜四氏族のみならず、中央砂漠の遊牧部族をも駆り出しての戦乱であった。


 最後の戦場は南西部。ちょうど赤の聖地近郊である。敵を砂丘の谷に追い込んだ赤と白の砂竜騎兵らは、暁に奇襲をかける。


 日の出直後、暗い橙色に染まる砂丘に、悲鳴と怒号、鮮血が飛び交う。昼前、とうとう敵将を討ち、捕虜に首級(しゅきゅう)を確認させるが、それは首長のものではなかった。時を同じくして、老人子供を残したままの集落付近で、蒼天に黒煙が上がる。谷間の戦場は、(おとり)だったのである。


(はか)られたか」


 白の族長ラシードが吐き捨てて、単騎、内地へと駆ける。ナージファも白き砂竜を追い、愛竜マハを駆った。


 集落に残された者らも、誇り高き砂竜の民。一方的な蹂躙(じゅうりん)を許すことなく、応戦していたようだ。ラシードが戦精霊(ジン)のような熱気を纏い単騎突入すれば、竜の不意の出現と相まって、敵の駱駝は逃げ惑う。


 戦いの最中、流れ矢を受けたナージファは、その右眼球に傷を受ける。それでもなお、前進を止めなかったのは、氏族を守らんとする彼女の執念であった。


 やがて、遅れて駆け付けた砂竜の一軍に、敵の駱駝はもはや戦意を失った。ある者は鞍から落ち、ある者は逃亡しようとして首を()ねられ、ほどなくして勝敗は決した。


 焦土(しょうど)と化した砂の大地。ナージファはニスリンの姿を求め、徘徊する。ニスリンの夫である首長の首は、ラシードがこの地で討ち取った。西方の民は男女問わず戦場に出るという。首長の妻であればなおのこと。ニスリンが、この砂漠のどこかにいることは明白だった。


 やがて、(ひづめ)に踏み荒らされた砂の表面に、何かが這いずったような軌跡を見たナージファは砂丘を駆け下りて、焦がれたその姿を見つけたのである。


「皇女! ニスリン皇女」


 マハから飛び降りて、西方風の民族衣装を纏った女の上半身を抱き起す。力を失った腕がだらりと砂上に垂れて、首はされるがままに天を仰いだ。


「皇女、皇女」


 ナージファは血を流す右目の激痛を堪え、皇女の身体を揺らす。歳を重ね異国の装束を纏えども、僅かなりとも衰えぬ美貌はしかし、鮮血に(まみ)れていた。それが彼女自身の身から溢れ出た物なのか、返り血なのか即座には判然としなかった。


「そんな。皇女、どうか目をお開けください」


 ナージファの腕の動きに合わせ、ニスリンの脱力した頭部がぐらぐらと揺れる。ナージファの右頬を熱い物が滴る。雫となってニスリンの頬に落ちたのは、赤き鮮血だった。


 対して左の頬を、伝うのは、透明な雫である。赤い雫の隣に涙が落ち、やがて二つが混じり合い、ニスリンの白皙(はくせき)の頬から零れて落下する。そして、ゆらゆらと揺れるニスリンの手首辺り、黄金色の腕輪に吸い寄せられた。


 ほんの束の間のことである。ナージファの隻眼に、黄金色の光が差し込んだ。天竜を模した腕輪が光を放ったようだった。太陽のごとく眩しさを想定し、唯一残された左眼球を焼かぬよう、思わず目を閉じた。しかしそれは、光の強さにもかかわらず、温かく柔らかい。強烈な発光も、僅かな時間のことだった。


「ん……」


 腕の中に、奇跡を見た。ニスリンが苦し気に呻き、薄っすらと瞼が持ち上がる。焦点を結ばぬ七色の光彩が虚空を彷徨(さまよ)い、やがてナージファの隻眼で止まる。


「ナージファ?」

「ニスリン皇女!」


 感極まり、華奢な身体を掻き抱いた。全身に鉄の香りの赤を纏ってはいたのだが、ニスリンの滑らかな肌にはどうやら、目立った裂傷はないらしかった。


 ニスリンはいつも通りの鈴を転がすような、しかしどこか苦痛を帯びた声で笑った。


「まあ、ナージファ。久しぶりね。ひどい怪我だわ。どうしたの」

「どうしたの、ではありません! 良かった。あなたがご無事で」


 ナージファはニスリンの頬を撫でる。未だ乾かぬ赤を拭えば、それは指の形に掠れた跡を残した。


「皇女、帝都へ帰りましょう。勝敗は決しました。もう西方蛮族の言いなりになる必要はないのです。陛下もあなたをお待ちでしょう。だからどうか」

「ナージファ、言ったでしょう」


 ニスリンは、柔和だが断固とした口調である。


「私の意志で、西へ向かったの」


 ナージファは首を横に振る。


「ええ、以前お聞きしました。ですがもう、彼らは崩壊も寸前です。まずは宮殿に帰りましょう。後のことはそれから」

「できないわ」

「皇女!」

「できないの。私、ここで死ぬのよ」


 己の死を語る女の、怯えた口調ではない。全てを知り尽くし、達観した者の穏やかな語り口であった。


「私、水になって全てを見たの。命の終わりは心得ている。()()()のご意思に沿えなかったことは心残りだけれど」

「あの方? 何を訳のわからないことを」

「ナージファ、これを」


 ニスリンの瞳が再び揺れる。定まらぬ視点を辛うじてナージファの顔の辺りに向けて、手探りで自らの腕を探り、金色の竜を腕から抜き取る。それをナージファの手に、強引に押し付けた。


「あげる。あなたなら、きっといつか理解してくれる。これを、私の分身だと思って、大切にしてね。……ねえ、ナージファ」


 ゆっくりと瞼を下ろし、ニスリンは最後の言葉を唇に乗せた。


「――」


 その言葉は、ナージファの胸の中にのみ生き続ける。

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