6 誰も信じてくれないけれど
※
「母様がいたの!」
動くことを思い出したファイサルに、半ば詰め寄るような恰好でアイシャは言う。
「へ? そうか。それは」
「嘘じゃないよ。絶対にいたんだから」
常にない従姉の剣幕に半身を引き眉尻を下げて、ファイサルは残りの二人に視線で助けを求めた。サクールもファテナも、同様に困惑顔である。
アイシャの言葉を、誰も信じてはいないらしい。母の体温は、つい先ほどまでこの腕にあったのだから、錯覚ではないと確信している。それなのに三人は、アイシャが狂い、妄言を吐いたと思っていて、哀れむような眼差しを注いでくる。
思わず唇を噛み締めれば、その拍子に頬が膨らみそうになってしまう。あまりに幼い顔だろうと思い直し、アイシャは両頬を叩いて首を左右に振った。
「とにかく、本当なの。母様があたしに」
「アイシャ」
言葉を遮るように、ファテナが腕を伸ばす。気づけばアイシャの頭部は、ファテナの温もりに包まれていた。
「今日は色々あったから、疲れているのね。ひとまず集落に戻りましょう。この子をゆっくり休ませてあげたいし、砂も食べさせてあげないと」
ファテナの琥珀色の瞳が向かうのは、サクールの腕の中。ファイサルに押し付けられた恰好のまま、赤銀色の竜の雛が、大きな眼でこちらを見つめている。どこか物欲しげな表情である。腹が減っているのかもしれない。
砂竜はその名の通り砂を主食としている。しかしこの間歇泉の砂は、異臭に満ちてやや黄色く変色している。生まれて初めての食事がそれではさすがに哀れなので、早く戻って集落の上質な砂を与えたい。
「もう一頭は、動かないわね」
ファテナの長い睫毛が伏せられ、頬に影を落とした。
祭壇の上には、乳白色の卵の破片。その隣には、一筋の亀裂もない、滑らかな球体がある。
アイシャが粗相をして落としてしまった卵は無事に孵り、無傷のはずのもう一方は動かない。妙なことである。四人の脳裏には、先ほどの異様な光景が過っただろう。淡い赤が、右の卵から左のそれへと流れ込み、罅割れに吸い込まれていく。まるで命を奪うかのように。
神々しさを感じても良いような燐光だった。だがあれは、むしろ。
「ぐああああ」
不意に、サクールに抱かれた砂竜が大口を開けて呻いた。何事かと思わず飛び上がったアイシャが目を遣れば、それはただの大欠伸だったらしい。思わず安堵の吐息をを漏らす。
雛は続いて何やら目を瞬かせ、サクールの腕を甘噛みする。その仕草は、幼く純朴な赤子そのものだった。
「痛い痛い。僕は餌じゃないぞ」
柔らかく嚙みついているとはいえ、竜の咬合力は凄まじい。雛なのだから大した力ではないかと思いきや、そもそも加減の何たるかを知らぬ赤子なのだ。見かねたファイサルがサクールから竜を引っぺがした時には、腕には綺麗な歯形が付いていた。そのうち蚯蚓腫れになるだろう。
「とにかく、こいつの腹を満たしてやらないと。もう一つの卵はひとまず持ち帰ろうぜ」
ファイサルが、竜の口元に布をちらつかせれば、雛は人間の赤子のようにしゃぶり付き、もぐもぐと咀嚼を続ける。まるでおしゃぶりのようだが、これで皮膚をやられることはなくなるだろう。
サクールが噛み跡を摩りつつ、滑らかな姿を保つ卵を抱える。ファテナはアイシャの手を引き、駱駝の元へと促した。
このままでは、アイシャの主張は流れてしまいそうである。最後のあがきに、アイシャは繋いだ華奢な指を握り返し、呟くように言った。
「ファテナ。本当にいたの」
「ええ、きっといたのよ。あなたの心の中にね」
そうではない、と言いたかったのだが、これ以上の主張は無意味だと思えた。
確かに、邂逅は異様な空間の中であったし、母の姿は最後には空気に溶けてしまった。ファテナらは何も目にしていないのだから、否定されるのも無理はない。
アイシャは早くも、先ほどの出来事が白昼夢であったのかもしれないと思い始めた。いくら水が過去と現在の全てを知るとはいえ、心の中のナージファが具現化するだなんて、そんな奇怪なことがあるだろうか。
何一つ確かなことはわからぬまま、アイシャは俯いて、砂地に伸びる影を視線でなぞりつつ、北西の集落へと帰路についたのだった。




