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砂竜使いナージファの養女  作者: 平本りこ
白の章

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23/91

5 再会


「ファイサル?」


 (いびつ)にうねる視界の中、時を止めたかのように、全てのものが動きを忘れる。硬直した従弟(いとこ)の手を引いてみるが、反応はない。


「ファテナ、サクール」


 声を掛けてみたものの、二人も同様に微動だにしない。サクールの腕の中の幼竜(ようりゅう)も、その可愛らしい口を半ば開いた体勢のまま、石像のようになっている。


 遠く激しく噴き出していた間歇泉(かんけつせん)すら、白い柱を上げたままである。宙に浮かびいっこうに落下しない湯柱を見れば、世界、もしくはアイシャが狂ったのだと知れた。


 アイシャは途端に恐ろしくなり、身震いしてから首を巡らせる。異様な世界に独りぼっちだ。アイシャは受け取ったばかりの黄金の腕輪を抱き締めた。


母様(かあさま)……」

「相変らず弱虫だな」


 不意に耳朶(じだ)を震わせたのは、()れたような声。豪快で勢いのある話し方は、聞き間違えるはずもない。停止した世界で人の声を耳にすることは、どれほど安堵を呼ぶだろう。それが、もう何年も焦がれた者の言葉だったなら、胸に広がる熱は一入(ひとしお)である。


 アイシャは、強張り急に動作が不自由になった首を、ゆっくりと声の方へと傾ける。灰色の瞳が映したのは、いるはずのない女の姿。それが幻影だったとしても、アイシャは歓喜に涙を流さずにはいられない。


「黙ったままでどうした。あたしの娘なのに、どうしておまえは泣き虫なんだろうね」


 呆れたような溜息交じりの声音だが、柔らかく細められた、蒼天(そうてん)のような隻眼は、慈愛に満ち溢れていた。どうした、ともう一度問われ、アイシャは震える唇を薄く開き声を絞り出した。


「母様」

「うん」


 優しい微笑みで、母の目尻に皺が寄る。懐かしい姿にアイシャは顔を歪め、母の胸に飛び込んだ。


「母様っ、母様だ。本物?」

「あたしの偽物がいるのかい?」

「だって母様、もう八年も」

「ああ、久しぶりだ。……まったく。もう大人なのに、中身は子供のまんまだな」


 相変らずちびだし、と心無い発言をするナージファだが、それすらも彼女らしい。アイシャはナージファの背中を撫で輪郭をなぞり、腕の中で深呼吸をして、安らぎの象徴である母の匂いを吸い込んだ。


 紛れもなく、ナージファだった。あの悪夢のような日から八年が過ぎ、ナージファと共に過ごした六年間よりも長い時を白の氏族で過ごした。それなのに、母の姿に何よりも大きな安心を覚えるのだから、不思議なことである。


「母様、会いたかった」

「あたしも同じさ」

「今までどこへ行っていたの。これからはずっと一緒にいられる?」


 ナージファが身じろぎをして腕を緩めるので、アイシャもそれに(なら)う。近距離で見つめ合えば、母の頬に浮かぶ一片の憂いを察した。心に冷たい風が吹く。


「母様?」

「アイシャ、あたしは今、おまえの助けを必要としているんだ」

「あたしの」

「ああ、アイシャにしか頼めない。あたしを助けてほしい」

「どうすればいいの? 今、大変な状況なの?」


 ナージファは曖昧に頷く。


「大変だが、大丈夫。アイシャがあたしの言う通りにしてくれたら」

「何でもする。母様のためなら」


 ナージファは愛し気に目を細め、もう一度娘を抱き締める。アイシャの背丈はナージファの頬の辺りまでしか伸びなかった。身体の成長はだいぶ前に止まってしまった上に、中身も大して育っていない。いつまで経っても子供のようだ。ナージファの例えを借りるのならば、「すかすかのナツメヤシ」。アイシャは母の頬に額をすり寄せる。


「赤き砂竜(さりゅう)を連れて、聖地巡礼へ。帝都から新たな族長の呼び出しがある頃合いだろうから、ちょうど良いだろう」

「でも、それはファイサルが」

「だめだ、おまえが行ってくれないと」

「ううっ、一人で?」

「別に一人じゃなくてもいいが」

「あたしが巡礼することと母様に、何の関係があるの」

「それは」


 ナージファは束の間言い淀み、アイシャをさらに強く抱きしめてから、腕を解く。そのまま一歩、二歩と後退(あとずさ)るように距離を取った。


「母様?」


 体温の名残を求めて伸ばしたアイシャの指先が、宙を掻いた。母の身体に触れたように見えたのだが、そこには実体がない。


「どうしよう、消えちゃう!」

「時間だ。アイシャ、頼んだからな」


 自身の身体が光に溶けようとしているにもかかわらず、ナージファは穏やかな笑みを絶やさない。一方的に、彼女は言い残す。


「信じてる。あたしを」

 ――た す け て――。


 言葉は細切れになり、世界が再び時を取り戻す。

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