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砂竜使いナージファの養女  作者: 平本りこ
白の章

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4 赤き砂竜の復活

 途中、窪みに溜まった湯を蹴散らした際、何かに爪先(つまさき)を打ち付けた。痛みに(うずくま)りかけたのだが、辛うじて堪える。


 卵の落下地点はもちろん、さほど離れてはいない。球体が黒々と影を落とす辺りへと滑り込む。しかしアイシャのどんくささは、自他共に認めるところ。軌道の真下に腕を伸ばしたのだが、いったいどうしたことか大きく目測を誤り、悲しいかな指先を掠りもせず、それは落下した。


 卵が砂地に叩きつけられ、鈍い音が響く。アイシャは無様にも両腕を伸ばした姿勢のまま、視線を落とした。


「どうしよう」

「……大変だ」


 アイシャの呟きに、サクールが頭を抱えて呻く。案外冷静なファイサルが大股で歩み寄り、石化したアイシャの代わりに膝を突き、卵を拾い上げた。こちらを振り返った時にはひどい渋面である。


「アイシャ。残念だけど」


 差し出されたそれは、以前の滑らかさを失って、細かな亀裂に包まれていた。当然だ。上空から固い地面に叩きつけられたのだ。竜の雛が、そのか弱い腕でこじ開けることができる程度の殻である。重力の暴力には抗えない。


 アイシャは哀れな竜の子を腕に抱き、唇を噛み締める。どうして自分はいつもこう、間抜けなのだろうか。よりによって、大事な大事な卵を放り投げてしまうだなんて。その結果、未来ある生き物を一頭、殺してしまったのだ。


 情けないとは思ったが、涙が溢れるのを止められない。雫が頬を伝い、卵の天辺(てっぺん)にぽつぽつと滴る。それは罅割れに吸い込まれながらも煌めいた。


「うう、ごめんね。痛かったよね。……あたしほんとダメな奴……」

「アイシャ、悪かった。俺もあんな急に」


 悪気はなかったとはいえ、事の発端はファイサルの考えなしの行動である。珍しく動揺した様子のファイサルだが、卵を割ったのはアイシャなのだ。彼を咎める気持ちはなかった。アイシャは首を横に振り。卵をいっそう強く抱き締める。


 しばらくそのまま(はな)(すす)っていたのだが、いつまでも悲嘆に暮れていても仕方ない。アイシャは拳で顔を拭って、ファイサルの腕に包まれた方の卵へと目を遣った。


「慌てちゃってごめん。その子はちゃんと(かえ)してあげないと」


 色々試した結果、もう一方の卵まで割ってしまったら冗談にもならない。奇をてらうのはやめようと、大人しく祭壇に安置する。罅入りの子も、仲良く隣に並べてみた。


 例によって、生まれる気配は全くない。四人は淀んだ空気を漂わせつつ、立ったり座ったり駱駝に寄りかかったり膝を抱えたりして、自由に過ごす。やや気が短いファイサルが周囲を徘徊する足音が、遠く視界の端、間歇泉から噴き出す湯柱の轟音(ごうおん)と混じり合う。


 アイシャの心はどこか闇深い場所に沈み込んでいたので特段気にはならなかったのだが、気が立っているらしいファテナが、不意に眉を怒らせて声を上げた。


「ちょっとあんた、静かにしてよ。機嫌の悪い山羊(やぎ)みたいだわ」

「なんだと」


 明らかな八つ当たりに反発しかけたファイサルだが、瘴気(しょうき)を背負ったようなアイシャの暗い顔を見るや否や口を閉ざす。苛立ちも露わに頭を乱雑に搔き乱してから不貞腐れ、ファイサルは湯柱の方へふらふらと向かって行った。


 いつもは自信満々に伸ばされている背筋も、今日ばかりはやや猫背気味である。ああ見えて意外と憔悴(しょうすい)しているのかもしれない。そういえば今日は、ファイサルの誕生日。年に一度の祝いの日、間抜けな従姉(いとこ)が目の前で竜卵を割り、姉貴分に山羊扱いされることを思えば、なんとも哀れな背中だ。


「アイシャ、大丈夫よ。元気出して」


 アイシャが纏う暗い影を見かねたのか、ファテナが言う。励ますように背中に腕が回り、軽く抱き寄せられて、アイシャの頭はファテナの肩に落ち着いた。そのまま頭を撫でられれば、途端に幼子のようになってしまう。アイシャは再び浮かんだ涙を堪えつつ、(はな)を啜る。


「でも、あたしのせいで」

「卵は残念だし可哀そうだけど、過ぎたことは仕方ないのよ。これからは無事生まれて来るもう一頭を」

「ファテナ、アイシャ、見てくれ」


 じっと黙り込んで祭壇の側に立っていたサクールが、不意に声を上げた。アイシャとファテナは顔を見合わせて身体を離し、並んだ卵の側へ寄る。サクールの指差す方に視線を向けて、アイシャは言葉を失った。


 罅割れた卵が微細動を繰り返している。もしや無事だったのだろうか。安堵が胸を満たしかけたのだが、それは違和感に塗り潰された。


 ぼんやりと、二つの卵が薄赤の弱光(じゃっこう)を纏って見えたのだ。それだけであったなら、神聖な砂竜の卵のこと、神々しい光として目に焼き付いただろう。


 だが赤は、水に薄めた血液のように乳白色を包み、無傷の卵から罅割れの個体へと吸い込まれていくようにも見えるのだ。それはさながら、生気を奪う悪しき精霊(ジン)の所業のごとし。アイシャは息を吞み見守った。背筋に冷たい汗が伝う。


「どうしたんだよ」


 いつの間にか戻ってきた山羊……いや、ファイサルが、祭壇を覗き込む。さすがのお気楽ファイサルも、異様な光景に言葉を失ったようだった。


 四対の瞳が注視する中、乳白色を包む亀裂は大きくなり、やがて赤みを帯びた銀色の頭頂が世界にお目見えすれば、後はさしたる苦労もなく、それは殻を破り出た。


 腕に抱えられる程度の体格の、まだか弱い竜の雛。しかし赤銀の鱗や鋭い爪、未だ小さいものの立派に()った角を見れば、先ほどの違和感など吹き飛んだ。


 原因不明の災厄により失われた赤き砂竜が、再びこの地に降臨したのである。


 竜は(つぶ)らな黒い瞳でこちらを眺め、あどけなくも小さく首を傾ける。生まれたばかりであっても、さすがは竜。視界は鮮明らしい。


 ファイサルは束の間、躊躇をみせたものの、竜に腕を伸ばして抱き上げた。抵抗もなく、従順な雛はファイサルの腕の中で、興味深そうに周囲を見回していた。微笑ましく眺めていたアイシャだったが、竜の尻を支える従弟(いとこ)の指先に引っ掛けられた煌めく黄金色を見て、目を見張る。


「あれ、それって」


 優美な曲線を描く金は天竜(てんりゅう)の姿を模している。腕に着ければ、とぐろを巻いた竜が噛みつくようにも見えるのだ。


 見覚えがある。忘れるはずがない。これはかつて、皇族から贈られたという、母ナージファの腕輪だった。


「母様の腕輪」


 ファイサルは、ああ、と頷く。竜をサクールに半ば押し付けて、腕輪をアイシャに差し出した。


「向こうで何か光っていたから、見に行ったら落ちていたんだ。間歇泉の湯が打ち付ける辺りだったから、砂に埋もれなかったんだと思う」


 突然のことに思考が停止したアイシャの手を取り、ファイサルは腕輪を手渡す。


 その刹那。


 アイシャの世界は明滅し、ぐらりと歪んだ。

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