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砂竜使いナージファの養女  作者: 平本りこ
白の章

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3 空飛ぶ卵

 間歇泉(かんけつせん)は、赤の縄張り内、北西部に位置する。硫黄(いおう)交じりの熱湯が噴き出す厳しい環境とはいえ、柵がある訳でもないので、入ろうとすれば誰でも容易に侵入可能である。もちろん、砂竜(さりゅう)使いは聖地を崇め畏れるため、他氏族のそれに許可なく近づくなど(もっ)ての(ほか)だ。


 では中央砂漠の遊牧民はどうだろう。そもそも彼らは砂竜との遭遇を恐れ、砂漠の端、つまり砂竜使いの縄張りである辺りには近寄らない。仮に接近を試みても、竜の匂いが風に乗ってくれば、駱駝(らくだ)が怯えて歩みを拒絶するのだ。


 砂竜族は、他部族の駱駝を寄せ付けぬため、代謝により剥がれ落ちた竜の鱗を日々集めておき、それらが砂に還った頃合いで聖地に撒き竜の匂いを維持する風習がある。


 悪夢のような焼き討ち事件の日より、赤の聖地は守護者を失ったものの、ラシードら白の氏族により保護されて、白き砂竜による近辺の定期巡回も行われていたので、部外者の侵入の痕跡はなかった。


 あの事件の真相は、未だ砂の中。首謀者探しをしなかった訳ではない。砂竜すら焼かれていたことを(かんが)みれば、敵は駱駝に跨り攻めてきたのではないだろう。


 どこかの集落に、赤の氏族の生き残りが辿り着いたという話は一切なく、広大な砂漠内でのこと、大きな手がかりはないまま、時が過ぎ、誰もが諦観(ていかん)を抱きつつ、気づけば八年が経っていたのである。


 さて、アイシャとファイサル、サクールとファテナの四人は、駱駝に揺られ南部へと向かっている。白の氏族の二人はすでに半身たる砂竜を得ていたが、なぜ騎乗するのが駱駝なのかと言えば、古くから他氏族の聖地内に竜を連れて行くことは禁忌とされていたからだ。


 なんでも、竜が纏う自然の力、つまり赤き砂竜ならば炎、白き砂竜であれば風が、属性の異なる聖地に満ちる力と互いに干渉し合い、災害の引き金になるのだという。


 無論、これは迷信の一種だろう。赤き砂竜が火を吹くところも、白き砂竜が風に乗る姿も目にしたことはない。炎だの風だのというのはただ、竜が孵る聖地に(ちな)み、語られるだけなのだ。


「何か変な(にお)いがするわ」


 そよそよと鼻先をくすぐる微風が、とてつもない悪臭を運び、ファテナが袖口で鼻を覆う。やや遅れてアイシャの嗅覚もそれを捉えれば、思わず吐き気を覚えそうになった。


 腐った臭い、というのが近いだろう。まだ騎乗に慣れない幼少の頃に嗅いだのならば、駱駝酔いと相まって、間違いなくこの場で嘔吐しただろうと思えた。


間歇泉(かんけつせん)が噴き上げる湯に混ざる物質の臭いだ」


 やや鼻に皺を寄せただけで平然と言ったファイサルの横に駱駝を寄せて、アイシャは訊いてみる。


「平気なの? この臭い」

「昔、こっちの方まで放牧に来てたから慣れてるんだ」


 そういえば彼は幼少の頃、父親に間歇泉の側で置き去りにされて、半泣きになりながら駱駝の群れを連れて一人で帰って来たことがあったはず。一人前になるための訓練の一つだと聞いた。


 これが、十歳頃のアイシャの身に起こったことならばと考える。きっと足が(すく)み、駱駝に縋りついたまま動けず干からびたことだろう。大人の端くれに仲間入りした今でも、一人砂漠の真ん中で置き去りにされたならば、しばらくは動けない。


「そっか、何度も来てたら臭いにも慣れるよね」


 妙なところに感心して頷いたアイシャの横に、サクールが駱駝の首を寄せる。


「いや、僕は慣れないけどね。ファイサルは鼻が強いんだろう」

「白の皆もこっちの方まで来るの?」


 間歇泉は砂漠の南西にあり、白の氏族と近い位置関係にあるとはいえ、まさか他氏族の聖地の辺りまで放牧には来ないだろう。そもそもこの辺りには草は生えない。アイシャが首を傾ければ、サクールは臭いに顔を(しか)めたまま答えた。


「いや、集落が南に位置する時、少し遠くまで放牧に行くと風に乗って来るんだ。さすがにこれほど近づいたのは初めてだけど」

「南にいる時には絶対、羊を追わないわ」


 口元を覆ったまま言うファテナの険しい表情を見遣り、アイシャは胸に大切に抱えている人間の頭部ほどの大きさの白い卵を撫でた。砂竜の卵である。


 これから、あの悪臭の真ん中にこの子を安置するのだと思えば、妙に哀れな気分になってしまう。生まれてきた砂竜が硫黄臭かったらどうしよう。


「アイシャ」


 横目でこちらを観察していたファイサルは、ぼんやり(まなこ)従姉(いとこ)を呼び付けてから、やや呆れたように断言した。


「別に竜は臭くならないぜ」

「ど、どうしてわかったの」


 我ながら突拍子ない思考を言い当てられて赤面するが、ファイサルは小さく首を振るだけだった。


 何やら締まりのない雰囲気のまま、しばらく進めば、湯柱の白が(ほとばし)(さま)が眼前に迫る。砂漠において水が大変貴重なものであるのは言わずもがなである。しかし吹き出る湯はもちろん飲用にはならない。それどころか、掃除にも適さぬだろう。残念でならない。


 間歇泉が最も活発なのは、寒暖差が激しくなる早朝である。湯を浴びる危険を少しでも排除するため、日差しが高い時間帯に聖地へと向かったのだが、それでも勢いはなかなかのもの。


 不謹慎にも「臭い臭い」と言われた赤の聖地だが、駱駝の頭頂よりも高く噴き上げる水柱を一目見れば、その神聖さは疑いの余地もないと思われた。


 そもそも、ここまで大量の水を目にする機会はほとんどない。アイシャは幼少の頃、宮殿の内廷(ないてい)で泉に落ちたことがあるのだが、もちろんそんな経験もない生粋(きっすい)の砂漠民である三人の目には、決して誇張ではなく幻想のような光景として映るだろう。


 四人は適当な平地を見つけ、羊毛で織った布を敷き、その上で熱を避けつつ簡易的に祈りを捧げると、早々に敷布を丸めて駱駝に括り付け本題に入る。皆、口にはしなかったが、早々に目的を達成し一刻も早くこの悪臭から逃げたいと考えていた。


「この辺りでいいのかな」


 アイシャは難しい表情をして、大事に抱いていた卵を質素な石の祭壇に安置する。砂嵐や灼熱の陽光に晒されることが前提の、屋外の祭具である。装飾のない、赤銅色(しゃくどういろ)を帯びた祭壇は、拍子抜けするほど何の変哲もない。


 ファイサルもアイシャに倣い同様にすれば、小さな石の上に、乳白色の球体が狭苦しそうに身を寄せ合った。しばらくそのまま様子を見守っていたのだが、卵は微動だにしない。もしやこれは祭壇などではなく、ただの思わせぶりな石の塊で、竜を孵すには、別の場所が適切なのではなかろうか。


「もっと熱いところの方が良いんじゃないか」


 ファイサルが痺れを切らし竜卵を移動させたのは、湯煙を上げる吹き出し口のすぐ横である。するとちょうど、地熱が一定の温度を越えたらしく、突如噴き出した熱湯を受け、大きな卵がぐらぐらと揺れ、慌てて抱え直して事なきを得た。


「今のは思慮が足りないわ。卵は()()割るの。あれじゃあ噴水に殻が破壊されちゃう」

「白の聖地では、崖際の祭壇に安置して、崖下と遠い海からの風を浴びせて数時間見守るだけで竜は孵ったけどね」


 ファテナとサクールがそれぞれ言ったので、アイシャは首を傾けて訊いてみる。


「なかなか生まれてこない子とか、いないの?」

「そういう時は歌を聴かせるんだ」

「なんだ、早く言えよ。サクール、さっさと歌ってくれ」

「馬鹿ね、ファイサル。風纏う白き砂竜を称える歌なのよ。間歇泉で孵る卵に聴かせてどうするのよ」

「じゃあどうすりゃ良いんだよ?」


 口は挟むものの、どうも役に立たぬ姉貴分と兄貴分である。通常竜生(りゅうせい)の儀には年長者が付き添うため、卵の置き場所に迷うことはないのだろう。しかし二人には、道を示してくれる同族がいないのだ。


「結局役に立たない情報じゃねえか。ここは間歇泉だし、やっぱり湯が当たる場所で」

「ファイサルだめ! 割れちゃう」


 このままだとファイサルが、とっても大事な卵をだめにしかねない。アイシャは慌てて、粗暴な従弟(いとこ)の魔の手から白い楕円を奪おうとする。


 突然の攻撃に驚いたらしいファイサルは、反射的に手を振り払う。勢い自体は大したことがないし、こちらを打ち付けるための動きではなかったのだが、迫りくる腕に文字通り飛び上がったアイシャは、あろうことか抱き締めていた卵を、宙に投げ飛ばしてしまった。


「あ」


 四人の声が重なり、真っ青な空に吸い込まれていく。卵はくるくると宙を回転し放物線を描きながら落下する。光を照り返す滑らかな乳白色が美しい軌跡を残すのを、現実味を帯びぬ心地で見守ったアイシャだが、ふと我に返れば途端に全身から血の気が引く。


「ま、待って!」


 砂丘とは比べ物にならないほど固い大地。転がる小石に脚を取られつつ、前のめりに駆け出した。

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