14 赤き誇りが消えないように
砂漠世界の埋葬法は、簡易な土葬である。墓石も置かない。稀に降り注ぐ雨が涸れ川を濁流となり溢れれば、そんなものは全て流されてしまうからだ。そうでなくとも、動かぬ物は全て、いつかは砂に埋れゆく。
広範な穴を掘り、ひんやりとした地面に亡骸を並べて砂を被せる。その頃には日が傾いていたのだが、埋葬地の砂が熱を帯びるまでに、さほど時間はかからない。灼熱の日射しは斜めになってもなお、勢い衰えることを知らぬのだ。
「近くを探したが、他の者はどこにも見当たらなかった」
遺体の数は、集落の住民数には到底届かない。それであれば、命からがら逃げだした者がいるのではなかろうか。そう考え、大人達は近辺を探索してくれたのだが、無駄足に終わったようだ。
渇きの大地のことである。水も持たずに逃げ出したとして、命の残り時間はほとんどないだろう。集落の火が消え、全ての物が太陽の温度に熱されていたことを鑑みれば、凄惨な事件は昨日のうちに起こったと推察できる。たとえ、ギナのようにその身に傷を負っていなかったとしても、生存は絶望的だ。
葬儀の際、鎮魂の唄を歌うのは、族長の務めである。しかしナージファは、ここにいない。酷く焼かれた亡骸は、顔の判別が困難だ。したがって、赤の族長は炭になったのか、別の場所で干からびたのか、もしくはそもそも事件当時、村にいなかったのか、現時点で真相は不明だが、生きてこの場所にいないことだけは明白な事実である。
それゆえ、辺りを満たすもの悲しい旋律は、白の族長ラシードが紡いだものだった。
低く心地の良い歌声に耳を傾けつつ、アイシャはファイサルと肩を並べ、地面に腰を下ろす。掘り返されて色合いの異なる埋葬地が、徐々に水分を失い周囲の灰色の砂と同化していく様を、ぼんやりと見守った。
いったい何が起こったのか。集落を火の海にしたのは何者なのか。十六年前に砂竜族が撃退したという西方蛮族の残党が、帝国の支配を善しとせず報復にやって来たのだろうか。それとも、中央砂漠に点在する遊牧部族が、砂竜に対抗できる術を編み出して、略奪にやって来たのか。
どんな謀略があり、何の因果で集落が滅び、アイシャとファイサルが生き残ったのか。
この世の始まりから終わりまで、延々と世界を循環する偉大な水の神ならば、もしかすると全てをご存知ではなかろうか。ふと、そんなことを思った。
水は生きとし生ける者の体内を巡り、排出されれば地に戻り、蒸発して天に還る。水神マージの使徒たる天竜が雨を降らせれば、水は再び大地に降り注ぎ、生物の体内を満たして世代を繋ぐ糧となる。そうして水は、過去も現在も、人の営みの全てを知り尽くす。
「どうして……母様」
母の生死の真相は、水のみぞ知る。母は誰よりも強く豪胆だった。何の抵抗もせずに村の蹂躙を許すなど、あり得ない。いつでもアイシャを導き、深い愛情で包み込んだナージファ。同じだけの愛を、氏族全体にも向けていたはず。
「ナージファ伯母さんが、黙ってやられたとは思えない。死ぬだなんて、あり得ない」
とうに砂の下にある遺体の中に、彼女がいたのか判然としない。少なくとも、母が常に身に着けていた、竜を模した黄金色の腕輪は、見当たらなかった。淡い期待を抱きたい。しかしあれは、皇族が母に贈った品だと聞いていた。一見して高価な黄金の装飾品は、襲撃者によって一番に奪われて然るべき物だろうとも思った。
そうか、ナージファは、死んだのか。
現実を理解すれば、強く頭を殴打されたような感覚に苛まれた。
「死ぬ」
たったそれだけの短い言葉が、胸を深く切り裂いた。昨日の朝。もはや遠い過去のことのようにすら感じられる、早朝の淡い日射しの中。アイシャはナージファに何と言っただろう。
『死んじゃえ』。そう、はっきりと言ったのだ。
もしかすると、アイシャが不用意な発言をしたがために、現実になってしまったのではあるまいか。あの朝、アイシャの額を流れた一筋の汗が天に還る際、『死んじゃえ』を水神マージのお耳に運んだのかもしれない。
「……あたしのせいだ……」
ファイサルが、怪訝そうにこちらを向く気配がした。アイシャが顔を上げれば、ファイサルの目が微かに見開かれた。
「あたしがいけないの。ごめんなさい。あたしが『死んじゃえ』なんてひどいこと言ったから」
ファイサルが息を吞む音が鼓膜を揺らす。アイシャは、いたたまれない気持ちで従弟から視線を逸らし、両手で顔を覆った。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
嗚咽が止まらない。次第に息苦しくなる頃にはもう、自分では収拾がつけられなくなっていた。しばし、茫然とこちらを見下ろす視線を感じていた。眼差しが痛い。いっそ、そのまま目で射殺してくれたのなら、皆と同じ場所に行けるのに……。
「ふざけんなよ」
低く、唸るような声だった。ファイサルはもう一度「ふざけんな」と言い捨ててから、顔を覆うアイシャ手を強引に引きはがす。涙に濡れた顔が露わになる。やるせなさに視線を逸らしたかったのだが、視界に飛び込んだファイサルの顔が、アイシャに負けず劣らずぐちゃぐちゃだったので、思わず目を奪われた。彼は涙も拭わずに続けた。
「馬鹿野郎。泣き虫アイシャの一声なんかでこんなこと……起こるわけない。おまえにそんなすっげえ力ないだろ」
予想外の反応に、アイシャは続く言葉がない。ファイサルは、掴んだままのアイシャの片腕を、さらに強く握った。
「泣くな。少しでも後悔しているなら、泣くんじゃねえ! おまえが泣くと、俺も……くそう」
泣くなと言った張本人の目頭から、大粒の涙が零れ続ける。ついでに鼻水が流れ出すのに気づき、アイシャはむしろ自身が冷静さを取り戻していくのを感じた。
自由になる方の手を伸ばし、ファイサルの頬に触れる。即座に、山羊が身震いするように頭を左右に振られ、拒絶を示される。
「おまえに慰めてもらう必要ない!」
八つ当たりのような物言いに、思わず眉を寄せたのだが、続く言葉を聞けば、反発を表に出すことなどできなかった。
「慰めるのは俺の役目だ。将来皆を守るのは俺なんだから。父さんもナージファ伯母さんも、そう言っていた。アイシャが悲しまないようにするのも、俺の」
彼はそこで言葉を呑み込んで、拳で乱暴に顔を拭った。
「俺達は、気高し赤き砂竜使い。もしかしたら、もしかすると……竜の爪先ほどにも考えたくないけれど、俺達は最後の赤き砂竜使い。この砂漠で二人ぼっちになったのかもしれない。だけど泣いちゃだめだ。俺達は、俺は、強くいないと……」
「ファイサル」
呼び掛ければ彼は、口を閉じる。ファイサルが虚勢を張っていることは、誰の目にも明らかだ。寄る辺を失った子供の赤茶色の瞳が、一人で全ての悲しみを背負おうと強がりの光を宿すのは、見るに堪えないことだった。アイシャの唇は、自然に言葉を紡いだ。
「一緒に泣こう?」
もう泣いているけれど、と口の中で呟いて、アイシャは再度腕を伸ばす。今度はファイサルも拒絶はしなかった。もっと幼い子供の頃のように、強く身体を寄せ合いながら、天に響くほどの大きな泣き声を上げる。
どれほどそうしていただろうか。泣き疲れて頭痛がする。ファイサルは干からびるまで泣くつもりなのか、いっこうに嗚咽を止めなかった。
子供同士で慰め合って涙を流すだなんて、妙なことである。年少者の涙を拭うのは、これまではずっと大人の仕事だったはず。アイシャはファイサルの身体の熱を感じながら、ああ、本当に皆いなくなってしまったのだと実感した。
二人ぼっち。
ファイサルの言葉を反芻すれば、その事実が眼前に立ちはだかるかのよう。今度は舌で転がしてみる。
「二人ぼっち」
「二人ぼっちではない。我々がいる」
ふわりと、大きく逞しい腕が二人の子供を包み込む。ラシードだ。その力強さに母を想起し、アイシャは再び心が痙攣するのを感じた。
「赤き兄弟よ、誇りを失うな。君達が望むなら、赤の氏族は復興する。我々白の氏族はそのために、助力は絵厭わない」
情けない嗚咽が漏れるのを、堪えることはできなかった。
たった十歳の子供には、重く過酷な運命だけれど、独りではないし二人だけでもない。そのことが、アイシャとファイサルの心を絶望の淵から救い上げる。
薄っすらと夕刻の月が上がった空に、哀哭は吸い込まれて行く。月は竜の瞳、星は竜の身体。神聖なる竜が、彼らを見守るようだった。
赤の章 終




