第3話 『崖の底から』 ①
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「でもね、ごめん、やっぱ心の整理つかないや。ほん、うっ、おめんね」
いつかの目覚めの時、その瞬間、理想としては彼へ笑顔を向けてやりたかった。いや、それが私には出来るのかと勘違いしていたのだ。
――大馬鹿者だ
星の数とためを張る程の妄想の数々、そんなことを昼夜問わず、場面問わず行ってきた。何かしらを食べている時、用を足している時、運転している時――本当にいつでも。
だからこそ信用していた。自分自身を。彼の目の前で平然と居られるって――、
「ここにいろ」
できるわけが無かった。彼が起きたんだって分かった瞬間、世界というものが揺れ動いて、騒音が止まなくて、鼓動も加速して――ある意味終わりが来たのかもしれない。
私という生き物は、今日この日の為に様々な苦虫を嚙み潰してきたんだ。そんな風に思えた。それが嬉しくて、嬉しくて、やっと彼に償いを出来たのかも、しれない。
これが傲慢なのは重々承知の上。それでも、彼の為に何かが成せた事実がとにかく喜ばしい。
――誰だよ
そんな一言が自身の脳を右往左往する。
「なんでぇ……なんでえええ!」
予想通りの結末。面白みのない結果。本当に憎たらしいぐらいに。彼は記憶を失くしてしまった。
――私のせいで
だから悔しかった。何もできやしなかった自分が。恨めしかった。
ここまで何もかも躊躇わずやってきたはずなのだ。だから少しぐらい成果を得られるかも――、
「完全に忘れちゃったのかなぁ」
それが現実だった。彼は瞳からも口からも体からも私の味を忘れてしまっていたようだ。視線はどこか上の空で、口は無防備に空きっぱで、体は小刻みに震えていて。
私の膝は崩れ落ちそうだ――いやもう既に床に倒れていたっけな。
「……渡?」
そんな状態から這い上がろうと、視線を周囲にやると、彼が見当たらなかった。
どこにいる。風呂場か、台所か、そのぐらいしか候補はないはずだが――、
「扉が、開いてる……まさか!」
候補が今、無数に増えた。
「何やってんの私。まずは自分じゃないでしょうが!」
現在、崖の底へ突き落とされた自分。勿論、重症だ。心が痛くて痛くて、ズキズキする。
ならば、彼は今どんな状況か。何もかもを忘れてしまっていて、崖へと落ちたらどうなってしまうのか、その対処法なんてもってのほか、知らないわけだ。
私は措置をそれなりに行えたから良し。でも、彼はダメだ。
「私が守ってあげない……と!」
ここが人生の終着点、なんてことは無かった。たとえ奈落に落下したのだとして、それが彼を救えない原因にも、助けない理由にも、なりやしない。
彼は今までの人生において、間違いなく最大のピンチを迎えている。記憶を失くすというのはそういうことなのだ。経験がない故、とても危険な状態に陥る。
「渡、どうか無事でいてね」
記億を失くした彼を助けてやらなければ――それだけでもこなしてみろ、私。
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