第2話 『裸の王様』 ②
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記憶を失くした男は黒瞳を通して、見知らぬ情景を空の脳内へと叩き込む。
人気はなく、影も少ない、だというのに平地だけはだだっ広い、そんな印象が色濃い景色だった。それなのに、男には十分過ぎるほど、刺激が強い。
「どこだ?」
男の知らない世界――ではない。本来、この部落に住んでいる者然り、この世界に生を授かった者であればよっぽど、知っているはずの世界だ。
かといって、他の世界を知っている訳でもない男だったが、強がるように言葉を残すことで、今の不安を解消しようとする。ただし――、
「誰も居ない……」
自分ではどうにもならない。そう判断し、戸を開けた男だったが、その先で助けが得られる気配は、あまり感じられなかった。残念ながら、田んぼの奥行きは凄まじいもので、新たな期待を出来るわけでもなさそうで。
このまま彼女を救うことができないのか――、
「んぎゃ!? あ、あんた、こんなとこパンツ一丁でほっつくんやないよ!」
そう考えた矢先、背後から奇声じみた悲鳴が響いてきた。それを発したのは、老婆だ。杖を地につけ、生涯ほぼ曲がりっぱなしであった腰骨を、できる限りで伸ばしきる。というのに、とっくに老いぼれであるはずの老婆は、どこか活力に満ちていた。
どこから現れたのかは検討も付かないが、これはかなりの好都合展開なのではないか。いやしかし、この老婆に期待など出来るのだろうか。
「きこえとんのか?」
「……つい見入ってた」
「わしの事、好きなんか!?」
彼女以外の人を見るのは今回が初めてだ。考察に意識を持ってかれていた事は否めないが、それでも『初めまして』の効果は絶大だろう。彼女とは何もかもが違う。
白髪は白髪でも艶はなく、鮮やかさにも欠ける。それは髪質に問わず、肌も唇も何もかもが彼女よりは魅力がなく、みすぼらしい。唯一勝っている点を挙げるのならば、その活力だろうか。彼女の方が若いだろうに、そこは老婆の方に軍配が上がる気がする。
「好き? そんなわけないだろ、威勢はいいがな」
「んだと!? わしゃ、歌女なんて呼ばれて、巷では有名だったんだぞ」
直接的な表現を進みゆく男に、老婆が杖を突きつける事で、異を唱える。その先にはまるで刃でもあるのかのような剣幕で、今にも襲い掛かってきそうだ。
その老婆の反応に、男はやり方を間違えたと、杖を避けるように後ずさりながら、深く反省する。記憶がないのだから――の理由は彼女以外には通用しない。理解していたはずなのに、選択を見誤ってしまう。
「すまん、今は急いでるんだ。できれば、アンタの力も借りたいくらいで――」
「まっぱの変質者かと思ったら……礼儀知らずのクソガキだったか」
初手を誤った影響が大きかったのか、老婆が男の助けに耳を貸す様子は見当たらない。
完全にやらかした。そもそも、人との関わり方を忘れたような者が、誰かの助けを求めるのがお門違いだったのか。記憶に固執しているわけでもないが、今は何より豊富な経験が恋しい。
「今、家に居る女が大変な状態なんだ。どうか協力してくれ……!」
しかし経験など無いのだからこうするしかなかった。体はいつの間にか老婆へ傾き、山々を眺めていたはずの視線は、地、砂、石、それらしか見えやしない。
希望はこの老婆しかいないのだ。だから精一杯で腰を曲げて――、
「なんやねん……ったく仕方ないの。大変なのはようわかったが、肝心の内容が言えとらんぞ」
「助けてくれるってことでいいのか」
その姿勢が僅かながらに通用したのか、老婆は聞く耳を両耳とまでは言わないものの、大きな穴が開いている方だけでも傾けてくれるようだ。
少し、力添えしてくれればそれでいい。それ以外、何も求めやしないのだ。
「はよ、教えてくれへんと向こう行ってまうで」
「その、ミナが泣きわめ――」
「……は」
一瞬、確かに老婆が折れてくれた感覚があったのだが、何故だろう。途端に呆れた雰囲気を男はうなじで感じ取っていた。生暖かい吐息が刹那、冷え込んで――、
「彼女さんが泣いてるから慰めにでもなれって?」
「詳しくは違うが、アンタは勘がするどいな」
「ナキまで聞こえてたら、そらそれしか思い浮かばんわ――ちゃうねん! なんやそれ。自分、彼女の一人のそんな些細なことでさえ、解消してやれんと? いやそれもちゃう!」
先刻までの真摯に向き合ってくれる道は途絶え、道順を戻るしかなくなってしまった。すっかり、老婆の様子は快活そのものとなり、少々頬が膨れ上がっているようにも思える。
何故だ、何を間違えたというのか。
「違うって……どういうことだ?」
「あんた、それ本気で言っとるんか?」
「お、おう」
「――――」
真面目な態度がかえって老婆を憤慨させたのか、ついには沈黙という取り付く島も無い状況に陥ってしまった。その原因を本気で理解しない男は、頭をうずめてしまう。
老婆はゆっくりと背面を男へ向け、杖を突きさし、脚を引きずっていく。
「おい! さっきは協力してくれる感じだったじゃないか!」
「気の迷いじゃ、他当たれ」
「どうしてだ……」
せっかくの機会、それを逃してしまっ――、
「それが分からんのやから、泣かせてまうんとちゃうか。その根本、しっかり掘り起こさんか」
期待はずれの老婆は、男にただ一つの本音を捨て吐いた。
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