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パラレル・ロマンス  作者: 上葉 壱。
第1章 『愛した記憶』
4/10

第1話 『秒針は折れた』 ③

本作品を読んでいただき有難うございます。

是非、ブックマーク等への追加をよろしく!

「ただいま!」


 早朝、彼の住まう古民家へ到着した。予定より三十分ほど遅れはしたが、大した問題では無いだろう。ただ、彼の返事は無い。

 当たり前の事だが、毎度のこと、その声を期待しては落ち込んでばかりだ。それでも、帰宅の合図を欠かすことは絶対にない、辞めたくない。辞めてしまったら、今度こそ彼の死を確定づけてしまう気がするから。


「元気にしてた? 昨日さ、ボーっとしてたら煙草買っちゃってさ。らしくないよね」


 こんなところを誰かに見られでもしたのなら、おそらく『変人』と罵られるのだろう。人間というのは、そういう生き物だ。その場の出来事をあるがまま受け取る。

 つまり、この状況は物に話しかけているも同然、独り言を連ねているに過ぎない。おかしい、と揶揄されるのだ。でも、そんなことは気にしていない。


 ――私に今更、何を言うのか


 『化け物』と呼ばれ、叫ばれ、嘆かれ、これまで生きてきた、慣れている。

 ただ、眠る前の彼との約束である『むやみに自分を責め立てるな』という契りは、未だかつて果たせたことはない。散々、注意されてきたはずなのに、この習慣だけは、どうも抜けきれない。心の中だけに留めておくのが、精一杯だ。


「まだ、寝てる?」


 彼の寝室兼、部屋である和室に、起きていないかの確認と共に、足を運ぶ。そこへ向かうと、布団に身を包んでいる彼の寝顔が見えてきた。


「っ!」


 艶やかな黒髪に、凛と澄んだ寝顔――何度も見てきた顔だというのに、やはり久しぶりだと緊張してしまう。


「――今からおまじないかけとくね」


 脚を折り曲げ、畳に膝を付け、彼の手を握る――、


「まだ、起きないの? 早く起きてきてよ……」


 起きる気配のない彼の手は、とても冷たい。だから、不格好ながらも、私の手で彼の手を優しく包み込むのだ。微弱ではあるが、手から送るエネルギーで、冷たく整った彼の手の平は、だんだんと温かみを持つようになる。

 非現実的と言われることもあるだろうが、実際温かくなってはいるし、この瞬間だけは自分の生も彼の生も感じられる気がして、至福に浸ってしまう。


 ――あの時も、こうやって少し手を伸ばせていたのなら


 いい加減、自己嫌悪に嫌気がさしてくる。私は、ここまで情けなかったか。




「よし、とりあえずこれで終わりかな。それじゃ、ご飯作ってくるね」


 そう言って、約四時間の彼への元気づけと、会話を済ませると、彼の寝る布団際を立ち上がり、開けっ放しだった襖の方へ向かう。

 すると、和室よりかはわずかに広い、埃を纏った台所が視界に入る。この古民家は彼に別れを告げる前日、徹底的に清掃をしていたはずなのだが――二週間も空けてしまうと、古民家らしく、すぐ汚れてしまう。


「まずは、掃除からかな」


 そうぼやくと、錆びついた鉄製の掃除用具入れから、バケツと、ナイロン製の淡いピンクの雑巾を取り出し、台所の蛇口からバケツに水をひたひたに注ぐ。そして、そこに雑巾を投げ入れる。水が、少し溢れた。


「――痛っ。って、あー、傷出来ちゃってるじゃん。ミスなんてらしくも無い」


 自分は、あの事件の失態を除けば、ミスとは縁遠い存在――これは、自意識過剰などではなく、紛れもない事実なのだ。失敗という体験は、ほぼ無いに等しい。

 なのに、何故こんな初歩的なミスをしてしまったのだろうか。振り返ると、その原因の出来事が頭にちらつく。

 おそらく、あの時だ。異様に肝が据わっていたあの男――、


「いやいや、そんなこと、どーでもいいし。てか、なにこの匂い、雑巾? いや私か」


 先程から気掛かりだった、生臭さの犯人を見つけた所で、掃除が必要なのは古民家なんかではなく、自分であることを確認する。振り返れば、ここ二週間は、まともに風呂も入ることが出来ないでいた。異臭が漂っていても、何ら不思議な事ではない。

 彼には、この匂いがバレていなければ良いのだが――、


「なんか段取り悪い? いつかは、こういうのも慣れておかなくちゃ、困らせちゃう」


 この辺境、いわゆる田舎に住んで数年が経つが、中々、生活を営むというのも難易度が高いらしい。家事全般を器用にこなすというのは、どうにも苦手だ。

 こんなことをするようになった切っ掛けは、私自身にあることは承知の上、それでも家事は好きになれない。そんな状態で、嫌々行ったとしても不格好になるのは無論である。


「お風呂行ってくる……覗かないでよ?」


 覗かれる心配など不必要だというのに、彼が起き上がる期待を込めて、心配する素振りをする。体一つ見せるだけで、彼が起き上がってくれるのだったら、なんだって見せるつもりだ――という本性を隠しながら。

 だから、彼には早く起きて欲しくて――、


「ちぇ、起きてくれないの? まぁ、知ってるけどさ」


 それでも、誘惑に負けることのない彼に、頬を膨らました。自業自得、自分が蒔いた種だが女としては結構、体を張ったつもりだ。なのに、眠る彼がそれに答えることはない。

 私は諦めて、風呂場に足を進めた。


「ふぅ……久々だけど、風呂も捨てたもんじゃないよね。すぐ汚れちゃうし、不要だと思ってたけどさ!」


 ヒノキの香りが漂う洗面所で、裸でずぶ濡れの私は、大声を出す。覗き魔が出た、わけではない。いや、彼が覗いてくれるのだったら、それはそれで良かったのだが――、


「てか、まだ掃除も済んでないじゃん。家事って、大変過ぎない?」


 彼が独り眠る寝室、そこへ届くように声を荒げる。こんな時ぐらいは、独りにさせたくない。声を聞かせて、少しでも安心できるようにさせてあげたいのだ。それは、日々への愚痴も例外ではない。包み隠さず、私の全てを知っていて欲しい。


「可愛くできてるかな……」


 体を拭き、髪を乾かし、純白のワンピースに身を包む。そして仕上げに、蒼のペンダントも忘れてはいけない。この二つは、彼が選び、プレゼントしてくれた一生の宝物だ。

 が、それに似合う自分で居られているのかが、物凄く不安になる。それに普段は、外に出るとかなり服が汚れてしまうため、宝物は部屋着へと成り下がってしまっていた。

 その双方への杞憂の波が、私を襲う。


「でも、あの時は可愛いって褒めてくれてたし――自信持っても、いいのかな?」


 そんな不安を募らせながら、掃除を放棄し、彼へワンピース姿をお披露目しに行く。彼の待つ寝室までの道は、その時だけはバージンロードのようで――、


「こんな花嫁でも、いい?」


 心配ではあるが――いや、心配だからこそ、女としては、彼の一言が欲しい。


 ――本当に可愛いよ


 彼の言葉が、一言一句間違えられることなく、頭の中で蘇る。その流れから、欲深い私は新婚生活への妄想も脳内で、すかさず起こす。


「っー! 何考えてるの私、ここにはしけこんでる訳じゃないでしょ!?」


 目の前の襖が開けられ、裸姿の彼が姿を現す。自身の妄想が具現化したのだろうか。私とて、いくら化け物と呼ばれようとも、一応、人間の皮は持っている。卑猥な想像をするときも、あるだろう。正に今、その最中であった。

 だが、彼を裸で寝かせているのと、この妄想は無関係なものだ。彼を寝かす際は、長時間家を空ける都合上、体温調節が効きやすいように、裸に下着で布団を包ませてもらっている。昏睡状態なのだから、そんな配慮は無意味――だと考えがちだが、これが案外、勝手に彼が体温調節をしてくれていることも多い。

 夏場は布団が畳に落ちていたり、逆に冬場は布団をこちらが三枚ほど用意することもある。そう、彼が一人で立ち上がり、襖を開け、こちらを見つめてくることも――、


「おい、お前――」


「ち、違うの! ごめん、ごめん。これはね、そういう卑しいのじゃなくて――」


 一番、心を覗いてほしくない時に限って、彼は全てを見透かしたような口ぶりをする。本当にやめてほしい、と心の底から願う。


 ――え、今なんて


「今、なんて――」


「……誰だよ」


 これは幻か――いや、違う。どう見ても、裸の彼が目の前に立っている。長年、千年、待っていた出来事だ。とても喜ばしい、嬉しい、はずなのに、なのに――、


「へ? あー、うん。忘れちゃったか――美奈だよ……ミナちゃんって呼んでくれて……ひぐっ、た、んだよ?」


 大粒の涙が、視界を埋め尽くす。涙が止む気配は、微塵もない。今起きていることは、待ち望んでいたものに近しく、全くの別物だ。私は最悪の事態が発生していることを、一瞬のうちに理解した。なぜなら、予期していたからだ。


 ――彼が記憶を失くしているであろうことを

本作品は毎日21時~22時に配信しております。

また読みに来てくださいね!

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