第1話 『秒針は折れた』 ②
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「三十九番、一つお願いします」
「かしこまりました。それでは、年齢確認の方をお願いいたします。――お客様?」
「え、はい。あー押します押します……」
そんな感慨に耽っていると、意識が現実から遠のいている自覚を得る。
とある、深夜のコンビニのレジ前、周囲の視線は、死んだ魚のような目の私に集まってきていた。運送業者であろうジャージ姿の中年は、黒スーツで浮き出ている輪郭をまじまじと見た末、私の手元にふと、目を見やる。
「へ?」
手のひらには『メフィスト』とローマ字で書かれた箱があった。
世間はそれを煙草と呼び、時に薬物とあだ名す。最近では稀有な代物になっており、値段の高騰も留まることを知らず、手にするには軽く四桁の金額は要する。そんなレアものではあるが、世間には忌み嫌われているため、所持しているだけで周囲は冷たい。
「本当に成人なのか? 彼女は――」
「別にいいですよ、どうだって。こんなゴミ、買ってくれるだけ有難いんですから」
中年のトラック運転手と、若年の店員との間で繰り広げられる、むさ苦しく、冷淡な会話にようやく目を覚ます。無自覚に煙草を手にしていた自分に、覚醒したばかりの意識が拒否反応を起こした。
「きゃっ」
突然の出来事に手が震え、煙草が薄汚れた床に落ちていく。
「あーあ、何やってんだか。君、店員だろ? 手、貸さなくていいのか」
「いいんですよ。あの女、見るからに自分大好きタイプですよ。こんな時間に独りで煙草だけ買いやがって、オナニーなら家でやれってんですよ」
「……言い過ぎだろ」
耳に届かないようにする会話は、かえってより色濃く耳に残る。悪意に満ちたその言葉の棘は、深く私の胸を抉っていた。
「ひとり、かぁ」
あの悪夢のような日、私は彼と二人きりになってしまった。その彼が家にこもりっきりなのだから、実質一人とも言える気がする。今もそれが変わることはなく、奉仕活動に勤しむ日々が往々と繰り返されていた。
それ自体に不満は無かったし、そもそも罪人に満足もクソも無い。私は、世間にどれだけ煙たがられようとも、彼への奉仕を続けるだけ、
「君と私って、案外同じなのかもね」
そんな哀れな自分を、煙草に映す。人間と物、という垣根を越えて、嫌われ者同士、仲良くやっていける気がした。友好の証に背中の埃を払ってやろう――、
「ご、五千円!? た、高ぁ」
友人間でも多少の優劣はどうやらあるらしい。無価値で無意味な私とは正反対に、煙草にはかなりの値が付けられていた。裏切られた気分だ。仲間だと、そう思っていたのに、容易く裏切られた――そんな気分。
「あの、すみません。これって返品――」
「なんですか」
返品の談判を行う前に、店員の怪訝そうな表情と言葉の圧にそれらは防がれる。その圧には、明らかに社会不適合者に対する嫌悪が入り混じっていた。私を出来損ない会社員だとでも、思っているのだろう。不機嫌そうな店員が、言葉を続ける。
「あのですね、一度買って頂い――」
「やっぱ……いいです。お手数おかけしてすみません」
「――――」
どうせ、断られると分かっている交渉を長ったらしく続けるつもりもない。私は、早々に店を立ち去ることにした。
「――ありがとうございました!」
「なにそれ」
店員の張り付いたような挨拶に、妙に腹が立ってしまう。やけに声は高らかだし、なにより纏わりつくような見下した感情が、その声には乗っかっていた。煙草というゴミ、をゴミみたいな人間が持ち帰ってくれた事が、よっぽど嬉しかったらしい。店員の感情など、心底どうでもよいが。
「綺麗……」
コンビニの自動ドアを抜けると、嫌味ったらしい店員とは打って変わって、満点の星空が世間にはない温かさをもって、私を出迎えてくれる。
流石、田舎と言ったところだろうか。都会とは違い、星々の光が鮮明に輝く。ここ二週間、野暮用により都会で寝泊まりをすることを強いられていた私にとっては、久しぶりの景色だ。絶景に淀み切った心が、少しばかり浄化された気がした。
現在は野暮用を済ませ、彼の待つ古民家へ車を走らせている最中で、その寄り道で煙草と出会った――という形だ。
「そうだ、煙草……ってこれどうすればいいんだろ」
コンビニの店前、月が最も輝く真夜中、煙草の活躍には申し分のない場面だったが、肝心の扱い方が分からない。煙草の全盛期とされるバブル時代というのも、かれこれ何年も前の話だ。分からなくて当然とも言える。それに――、
「煙草には申し訳ないけど、こりゃもったいないよ」
こんな煌びやかな星空を前にして、それを汚そうだなんて、風情が無いにも程がある。正直なところ、どんな味なのか興味関心が無かったと言えば嘘になるが、風情を建前に、扱いの知識不足を本音に、煙草をこの場で吸うのは止めとする。
「ほら、売れましたよ」
「マジか。けど、やっぱ未成年に売るってのは――」
「そうと決まったわけじゃないでしょ! それにあの顔見ましたか。いかにも学がなさそうというか――どうせ、脳がスッカスカになっても、なんの支障もありませんよ」
せっかくの星空のプラネタリウムに、騒がしい客が居たものだ。ドア越しだと言うのに、とんでもない声量――星々が綺麗なだけに、余計に店員の声が醜く聞こえる。
「さっさと帰ろ」
その声から逃げるように、私は灰色のワゴン車へと足を滑らせた。
「家に着くの、四時くらいかな? 今回も結構な稼ぎだし、これでしばらくは持つよね」
盗みを働いたわけでも無いが、捉え方によってはそうとも思えるような所作で、車へ乗り込む。実際、私は犯罪者ではあるのだろうが、盗難なんていうちっぽけな罪を、今更になって犯すつもりもない。彼を殺したのだから。
「――あんの、クソ店員」
ゾロ目を機に、日が跨がれる。ここから車で、山道の紆余曲折を繰り返すとなると、日の出前には彼の顔を拝んでやれそうだ。
彼との妄想をしていると、ついガードレールに突っ込む――なんていう過ちを犯しかねないため、あまり捗らせないよう心掛ける。ちなみに、これらは経験談から来るものだ。
とは言うものの、そんなことは端から無理だと分かり切っている。他人と対峙する時でさえ、彼に見えてしまって仕方ないのだから――、
「今、行くから。待っててね」
車のエンジンをかけながら、夜道を突っ切る予備動作を行う。この動作にも手慣れたものだ。アクセルとブレーキは、未だ間違えそうになるが、
――あの時も間違えなければ
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