D37.希望の未来へ向けて 新たな一歩を 【第一部完結】 D章end
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事の顛末をまとめます。
吹雪と飢餓に苦しめられたボレアス神殿は無事に解放されることに。
マケドニア高地王国の狼藉についてはうまく口裏を合わせて非常時の混乱としてうやむやになり、もっぱら悪いのは攻めてきた蛮族だったという話になりまして。
不名誉ながらわたくしとクレオパトラ様は悪名高い怪物の汚名を着ることに。
「ハルピュイアは食物を腐らせるって伝説は本当だったのか」
「なんでも雪女が襲ってきたらしいぞ」
「天馬騎士様が追い払ってくださったらしいぞ!」
「ボレアポリスは救われた! アレサ王女殿下バンザイ!」
あーあ、損な役割でございますね。
しかしわたくし所詮は蛮族の生まれ、嫌われ者は慣れっこでございます。
それより、反省して悔い改めたアレサ王女殿下の今後を応援することが優先事項です。
ペルセフォネ様と和解した彼女ならば、きっと七つの冥府の財宝が一つ、アマルテイアの角を正しく使いこなせるのではないでしょうか。
ロリス様や天馬三騎兵がしっかり支えてくれることを期待しましょう。
ここで重大事がひとつ。
なんと第二の冥府の財宝『忘却の椅子』! ペルセフォネ様がこっそり回収済みだとか。
ボレアス神殿にあったもうひとつの財宝は目にする機会もないうちに冥府側の“別働隊”に回収されたのだとか。
わたくしの活躍がちょうどいい揺動策になって手薄になった警備の中、こっそり盗み出したと説明なされたものの、一体実行犯は誰かまでは教えてもらえず。
財宝探しの戦力充実はよいことですので、その秘密はさておきましょう。
なにせ七つの冥府の財宝でございますからわたくし一羽で探すのはしんどすぎます。
とかく、これにて冠雪山麓都市ボレアポリスでの冒険はおしまい。
第三の冥府の財宝を求めて、この地を旅立たねば。
◇
ボレアス神殿、千年氷壁の祭壇。
雪風の精霊クレオパトラ様にしばしのお別れを告げにわたくしはやって参りました。
儀式の熱狂もどこへやら、早朝のだれもいない静かで冷たい氷の舞台。
クレオパトラ様は氷の槍を手に流麗な演舞を踊り、武技の稽古に励んでおります。
煌めく冷気。
艶やかな肢体。
凛々しき横顔。
わたくしが話しかけるでもなくぼうっと眺めておりますれば、クレオパトラ様は演舞を止めずに、流水、いえ流氷のようなゆるやかな所作に切り替えられます。
なんとなく正面切って話すことがためらわれる心境なのでございましょう。
「旅立ちの挨拶にきたんだよね、カラット」
「ええ。残り五つの冥府の財宝を回収せねばなりませんからね」
「……ごめんね、一緒についていけなくて。そのための精霊石、忘れないでよね」
「はい、困った時も、恋しい時も、遠慮なく頼らせていただきますとも」
「……弱いかもよ?」
「あのペガサス三騎兵が無駄に強すぎたのでございますよ。三対一。いえ聖獣も数えると六対一。孤軍奮闘を讃えずしてどうします」
わたくしは防寒仕様の旅装束に着替えて、息を白く煙らせて演舞を見守ります。
焦り、迷い、悩み。
それらをゆっくりと消化するように、クレオパトラ様は流氷の舞を踊られます。
「……あのさ」
「はい」
「あたしが殺した兵士を助けたの、正直、気に食わないと思ってるんだ。雪風は冬の恐れ。人の命を奪うことは誉れ。エリスの力を貸してもらってまで必死に戦ったのに、奪った首を根こそぎ無かったことにされて心底不愉快だったんだ」
言葉選びと裏腹に語気はおだやか。
静かな怒りとも、別の意図があるともつかず、わたくしは黄泉がえりの時を想起します。
神殿攻略戦の死者十三名は、まだ嘆きの川を渡る前であった為に冥府の女王の権限と慈悲によって現世に帰還することをゆるされ、一命をとりとめました。
理不尽に奪われる人の命が減った一方、奪ったはずの人の命が理不尽に減ってしまった。
血気盛んに勇んで、わたくしを問答無用に惨殺した王国の手勢を蹴散らしてやると戦いに助力したクレオパトラ様には理解し難いでしょう。
犠牲者の、その仲間や家族の、怒りと悲しみに晒されてしまうクレオパトラ様を想えばこそ死者を生き返らせようとも考えたわたくしの浅はかさを指摘されている。
わたくしの生やさしさを、八方美人を、嫌っているのです。
「あたしは英雄になりたかったんだ」
「英雄……」
アレサ王女殿下の言葉と重なります。わたくしにもその願望がある、と。
「不死ならざる命は死して英雄は天に昇り、その他は冥府に送られる。あたしは精霊だけど不死じゃない。英雄としてちゃんとした神様に昇位するか、それっきりか。二つに一つ。ここで武勇と功績を認められたら、と本当はそういう野望があったんだよね。終わってみれば、同じ半神のアネモネってお姫様に先を越されちゃってさ」
「わたくしをお恨みになりますか」
「あたしを必死で護ってくれたの、知ってるよ。とっても嬉しかった。あたしだって命の恩人に恨み言をいつまでもいうほどバカじゃないよ。でも、色々と理解もした」
厳かに残心の所作を以って一礼を捧げ、クレオパトラ様は氷槍の演舞を終えます。
そしてわたくしにもう一本、氷の槍を投げて寄越します。
「練習しよ。精霊石だけじゃ宝の持ち腐れ。カラットらしい強さはよくわかったけど、カラットらしい弱さもよく理解した。あたしも弱いけど、いっしょに強くなるにはちょうどいいかもって理解したの」
「それでわたくしに、武術の稽古を……?」
「大嫌いなんでしょ、理不尽。問答無用に暴力をぶつけてくる相手をその軽口で翻弄するにしたって、防戦くらいできなきゃ会話にもなんないのは痛感したはず」
「さ、左様で……うわっ!?」
話す途中で、いきなり右目を貫く勢いでの刺突。本番さながらです。
防戦に徹して立ち稽古を受けつつ、わたくしはクレオパトラ様と対話をつづけます。
「ひとつ隠し事があってね! あのペガサス達なんだけど!!」
「わっ! よっ、はわっ! え、ペガサスがなんです!?」
「あたしの弟と妹なの!!」
「……はい!? あ、うぎゃんっ!!」
意味不明の告白に動揺、もろに横払いの槍をバシッと脇腹に受けて痛いのなんの。
氷の祭壇でごろごろと痛みにのたうちまわり、涙目になりつつ聞き返します。
「マケドニア高地王国はペガサスを産するけど、あの聖獣は神の末裔。代替わりしても神性を保つには天馬同士じゃなくて、神の血筋が必要不可欠なの。で、マケドニアの連中とボレアス神殿が懇意なのってさ」
「ん、え、ま、まさか……」
「あのペガサスの種馬! 父上なのよ!! 信じられる!? ウマだよ!?」
クレオパトラ様の絶叫が千年氷壁の祭壇に木霊します。
北風の神ボレアスは聖獣ペガサス達の父親だった。この衝撃の事実は、あれやこれやと今回の事件の前提を覆すことでございます。
「あはははは……。そりゃ確かに動物に化けて血を授ける神話は多いのですがね、直接の父親がペガサスを……」
「高位の神霊は概念でもあるってのはわかってるのよ! このへんの冷涼な高地は名馬の産地だからそれは北風の神の恵みです、って! でも祝祭日に極太のいかつい巨木を山から切り出してきて、ウマに引かせて練り歩く神事! 意味わかる!? 最悪よ……」
「し、心中お察し致します……」
冠雪山嶺都市ボレアポリスの大通りを通った時、床に赤い床石が敷設されていたことを思い出していただきたい。
除雪用の魔法設備とは認識がありましたけど、まさか、巨木を引く神事の通り道だから雪が積もらないよう整備されていただなんて……。
クレオパトラ様があまりお膝元の都市に近づきたがらない理由がよくわかります。
「……で、まぁ、見かけはウマでも血を分けた半神の家族なのよ。ペガサス達。姉妹喧嘩だから父上は様子見してたの。ペガサス達もけだものにみえて賢いから、姉のあたしを半殺しにはできても、騎士の命令に逆らってでも姉殺しは避けた……はず」
「おや、とすれば北風の神ボレアスを激怒させるエリス様の目論見は……」
「大暴投の大ハズレよ、ざまあみさらせ! あっはっはっはっはっはっ!!」
クレオパトラ様は自暴自棄もいいところな大笑い。
エリス様の見立てがズレてる前提で災いの力を借りてたとは意外と抜け目がありません。
痛々しい大笑いにつられて、わたくしもつい釣られ笑い。
災いの母エリスの目論んでいた最悪の結末、北風の神ボレアスの逆鱗に触れて敵味方なく大自然が暴れ狂い、数多の死者を冥府へと連れてゆく。
その暴虐邪智なる計略は、クレオパトラ様の乙女心の守ったヒミツに阻止されていた。
なんとも滑稽なるオチでございます。
「ヒミツを打ち明けられて、スッキリ致しましたか?」
「……ううん。まだ、ちょっと欲求不満かな」
トンと、すこし力強く。
氷の柱に背を預ける形で、わたくしはクレオパトラ様に壁際に押さえつけられます。
ああ、防寒着でも耐え難い冷たさに挟まれて――。
「アレサ、エリス、ペルセフォネ、ロリス、カロン。今回一体何人の女神と遊んだの?」
「二名ほど誤解です!?」
「三名は合ってるの!? え、多くない……!? このふしだらエロバード!」
氷の乙女の愛くるしくも恐ろしいむくれっつらに、たじたじになるわたくし。
英雄になりそこねたことより好色さを恨まれようとは。
「……ずるい」
「はい?」
「ずるいずるいずるい!!」
ぽかぽかと、いや、軽くドスドスと叩かれてほどよい痛みに耐えるわたくし。
「あたたっ! 調理前に叩いておくとお肉がやわらかくなります、的な力加減……!?」
「あたしもカラットのわんこ堪能してみたかった! なにそれうらやましい!」
「あなた様もですか!? いや、アレは特別仕様の闇堕ちモードでして……」
「ぐやじい……っ!」
潤んだ蒼き瞳。いや、そこで泣きますか。
目端に溜まった涙がこぼれますれば、またこっそりと氷片をこっそり拝借いたします。
雪風の涙はわたくしがあとでおいしくいただきました。
「……閃いたわ」
「なにを?」
「鳴かぬなら生やしてしまえいぬしっぽ!」
指を鳴らせばたちまちに、氷の首輪に雪の犬耳と尻尾がわたくしに。
「わう!?」
「このまま寝室まで神殿内をお散歩する! これで許してあげる!」
「ええっ!? む、無茶苦茶な……」
支配する力に影響されていた時ならばいざしらず、正気のままわんこプレイを強要されようとは流石のまぞひすとのわたくしも試練の時です。
想像するだけで羞恥心に溢れ、胸ときめく屈辱感に興奮する一方、なけなしの良識がそれはまずいと訴えかけてくる苦悩たるや。
ああ、悩ましい。
人とはなにか。
犬とはなにか。
後世に語られる哲学とは、こうして生まれ来るのでしょうか。
「……ごほうび、イヤ?」
「わんっ!!」
人生とは決断の連続である。
わたくしは第三の冥府の財宝を求めて旅立つ前に、立つ鳥跡を濁さずと心得まして、大英雄ヘラクレスが十二の試練に臨むが如く、大きな困難に立ち向かう決意をします。
希望の未来へ向けて。
新たな一歩を踏み出すのでございました。
……四つん這いで。
これにて第一部、無事完結です。
ここまでお読み頂き、誠にありがとうございました。
誠に名残惜しいものの、本作は今回にて一旦完結とさせていただきます。
荒唐無稽な神語り、お楽しみいただけましたでしょうか?
お気に召しましたらぜひともご感想、評価などご検討いただきますようお願い申し上げます。
ああ、筆者としてカラット・アガテールは書いていてとても楽しい主人公でした。
名残惜しくもまずはひとまず、お暇を。