D36.地獄の沙汰もたまにはエロ次第でございます
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嘆きの川、死者の隊列。
ここからわたくしカラット・アガテールの冥府での物語がはじまりましてございます。
何事も行って帰ってくるは定石でして、見覚えのある長蛇の列の終着点へとひらり着地。
ご清聴の皆様におかれましてはよく知るところの三途の川と同じく、生死の境界線を意味するのが古今東西なぜだか死の国の川なのでございます。
ああ、懐かしきや、冥府の渡し守カロン様との再会でございます。
お仕事中の、骸骨に仮想した面をつけたカロン様にわたくしは急ぎ「証文」を手渡しまして、それから全速力で冥界を翔けてきたので羽休めをいたします。
「おい、何だこの伝令は! 説明しろ!」
「ど、どうぞ! まずは差出人をご確認あれ!」
ぜぇはぁと息つくわたくしの急報にざわめき、死者の渡し船がまたもや運行停止です。
これには死者の隊列にお並びのみなさんもご立腹でして。
あーだこーだと非難轟々。現世の苦難を早く忘却のレテ川によって忘れてしまい、魂の再生の日までのんびり冥府で暮らしたい皆さんにはご迷惑をおかけしております。
生前に戦傷などひどい死に方をすると嘆きの川を渡るまで、その苦痛が死者の魂と亡骸に刻まれたままなのです。安らかに死ねず、心身の疲れ切った死者にはなんでもいいから早くしとくれと急かす道理もございましょう。
「ああ、寒い……っ! 俺は氷柱で串刺しにされちまってよ、体の芯まで凍えてらぁ」
「俺は訳もわからねぇうちにナイフで綺麗に切られて、逆に痛みを忘れちまったよ」
「うう、姫様、どうかご無事で……」
最前列のすこし後ろに、ああ、探していた方々が団体様で並んでいるではないですか。
わたくしが思わず「あ、いた!」と叫べば、死者の団体様――つまり“ボレアス神殿攻略戦の犠牲者”一同がわたくしを見つけて騒然といたします。
兵士に侍女に神官に、総勢十数名の犠牲者様たちは一斉に「ああっ!」とわたくしを指さしては隊列を乱して鳥かこみ、いえ、取り囲みましてございます。
そしたらすぐさま質問攻めです。やれ地上はどうなった、氷の怪物は、姫様の安否は、といった調子で各々心残りがわんさかあるご様子です。
「わぎゃー!? 羽根をむしるのはやめてくださいましー!?」
「うるせえ! お前ら蛮族が訳わかんねぇ吹雪で神殿にオレらを閉じ込めたせいでこーなってんだぞ! この上あの世への渡瀬まで邪魔しゃーがって!」
「ですから! 皆様にあの世へ旅立たれては困るのでございますよ!!」
「……はぁ?」
犠牲者一同、わたくしの発言に疑問符を浮かべては戸惑われます。
しっちゃかめっちゃかにされた衣服の乱れを正し、うわ、ちょっと誰ですか、どさくさにまぎれてわたくしの豊満な鶏胸肉を衆目に晒そうといたずらしたのは。
不幸中の幸い、目のやり場に困るわたくしのサービスショットに老若男女が魅了され、息を呑んだことで混乱が落ち着いたのでよしとしましょう。
「よくみたら美人だな……まるで女神様みてぇだ」
「いや、地上で見かけた時はこんなに綺麗だったか……? ぐっ、どうなってやがんだ」
「あはは……。カロン様! カロン様! そろそろご準備よろしいでしょうか!!」
冥府の渡し守カロン様がやって参れば死者の隊列は皆、道を左右に譲ります。
「……この証文は本物だ。説明しろ。何があった」
仮面越しなれどカロン様の驚きようは誰にもわかります。
なにか、尋常でない異変だ。
そう悟って、死者の隊列は私語をやめ、神妙にカロン様とわたくしの言葉を待ちます。
「冥府の女王ペルセフォネ様より預かった本物の証文です。どうか速やかに」
「この文面では不足だ。私を納得させろ。でなくば“黄泉がえり”など認められん」
黄泉がえり。
まさかの一言に死者の長蛇がどよめき、そしてまた静まり返ります。
カロン様は仕事一筋の真面目な方ゆえ致し方ありません。
わたくしは冥府の使いとして今一度、此度最後のさえずりをさせていただきます。
「これなる方々、ボレアス神殿より参られた十三名! 死者の国へ通すことならず、地上へ送り返せとのご命令! 一連の騒動には重大な“規約違反”があったのです」
「規約違反だと? 死んだ者を生き返らせることが一番の規約違反だ。いかに冥府の女王とて、正当な理由なく生と死の秩序、嘆きの川のルールを乱すことはこの冥府の渡し守カロンが認めない。それを覆す規約違反とは、何だ」
「逆です」
「……逆?」
「このままこの方々を死者の国へ送ることこそが“規約違反”なのです」
「……なに?」
わたくしはボレアス神殿の犠牲者の皆さんを振り向いて、こくんとうなずきます。
彼らを地上へ連れ戻すことこそ、わたくしの最後との後始末。
冥府音を手にしたわたくしはメティスの本棚より神々の盟約書を開き示します。
「“冥府は自ら死者を招いてはならない”とは、冥界の原理原則です。地上の生けるものを自由に死なせることが許されては天と地と冥の摂理が成り立ちません。戦争、飢餓、病、老い。災いの神々のように死に導く役割を担う方々は別として、冥王ハーデス様や渡し守であるカロン様はみだりに人を死に導くことが許されない。神々は、己の領分を越えて権能を行使してはならないのです。当然ご存知ですね」
「……ああ。それが何だ?」
「この者達は“ペルセフォネ様”が皆、死に至らしめたのです。冥府の女王が自ら領分を越えて、地上の生命らを死者の国へ送ったとなれば、これは地上への不可侵を破る重大な規約違反になり天界や地上の神々とのトラブルになってしまうのでございます」
「なん……だと……?」
カロン様は十三名の神殿の犠牲者を、仮面を脱いで凝視して確かめます。
ロリス様に斬り殺された一名を除けば、死因は凍死などクレオパトラ様との交戦です。
「やはり殺害者は精霊だ。女王ではない」
「いいえ、ペルセフォネ様です。彼、彼女らはロリスという“自動人形”の指示に従い、結果として戦死したのです。神々の道具であるこの自動人形に“命令”を与えたのはペルセフォネ様に他なりません」
「じ、自動人形だと……!?」
「もし自動人形を手駒にして人を死に至らしめることをルール違反でないと仮定すれば! 道具にすぎない自動人形に不都合なことを行わせておいて知らぬ存ぜぬが成立してしまうのですよ! これをカロン様が黙認するというのですか!?」
「ぐっ! 無茶苦茶な理屈を……! いやだが、しかし……」
カロン様は重大な判断を迫られて、その美しい素顔を苦悩の色に染められます。
ああ、なんという二律背反。
死者をみだりに生き返らせてはならない。
生者をみだりに死に導いてはならない。
この矛盾を、半ば無理やりに引きずり出してきたこの論法は、じつは詭弁です。
詭弁とは、間違った理屈をあたかも正しいかのように言い聞かせること。
真相としては“死に導く権限のある”戦神アレスにして災いの母エリス様こそが本当の黒幕であったのですから、ロリス様は犠牲をいとわず後手の防衛策を選んだ程度です。
そしてペルセフォネ様が自動人形に命令を与えたのは事実であれど、それは十年前にアレサ王女殿下をなんとしても守れ、と命じたにすぎず、意図して地上の人間を死に追いやるための命令をしたわけでもありません。
これは完全に詭弁です。
されとて、わたくしは詭弁を弄してカロン様をだまくらかそうともやり遂げる所存。
だって理不尽じゃないですか。
冥府の財宝を巡る戦いに否応がなく巻き込まれてしまった犠牲者達のために尽力せず、戦いと争いを楽しむエリス様だけを喜ばせる結果をよしとできましょうか。
そのために、わたくしはずる賢くもなりましょう。
この魅了する魔声によって。
「夜天に輝く琴座のはじまり! かの竪琴の名手オルフェウスの時を思い出しください! 妻の死に嘆くオルフェウスはペルセフォネ様とハーデス様の御前にて竪琴を披露して、その慈悲を賜り、死者の国より亡き妻を連れ帰る許しを得たではありませんか! 冥府の女王であらせられるペルセフォネ様には特例として死者を生き返らせる権限があります! 女王自らの間違いを正すために、不正な死の国への護送を取りやめるべきです!」
「いや、しかし、権限があっても精神と肉体の損耗が治せねば……」
生き返ってもすぐに死ぬ。
当然の理屈です。もし首なし死体が地上に戻っても、生命活動を維持できません。死の淵から舞い戻れるのは、せめて生き返っても不思議でない状態でなくては。
「ですので! 地上ではすべての遺体を腐敗しないよう“冷蔵保存”して“回復”してあるのです! 氷雪と神聖魔法でね!」
「なっ、神聖魔法だと……!」
カロン様が苦虫を噛み潰すように嫌な顔を致します。いやはや無理もありません。
神聖魔法とは、神々におねがいして奇跡を起こす魔法です。
この神聖魔法が得意とするのはなんといっても治癒や回復、生きていれば傷を直し活力を与えるわけですけれど、特例として死者蘇生の奇跡がなきにしもあらずです。
厳密にいえば死者復活とは、生死の境をさまよっているような境界線上の者を現世に引き戻すという奇跡なわけですが……。
その成功可否は、じつは冥界の神々と天界の神々の駆け引きで決まる綱引きなのです。
つまり、これからカロン様は仕事の邪魔をされます。
「天馬聖騎士に加護を与えしはオリュンポス十二神が一人、知勇の女神アテナ様にございます。もしペルセフォネ様の権限でダメというならば、死者蘇生の神聖魔法をこちらの魔法力が尽きるまで連打する用意がございます!」
「ふざけるな!! 仕事中に苦情問い合わせの連絡が鳴り止まないようなものだぞ!!」
「……こほん、確かに、カロン様の負担を増大させるのは不本意です。わたくしとて、貴方様の生真面目さはとても好いております」
「な、なんだ急に」
「此度は豊穣の角笛コルヌ・コピアを回収するための、冥界が根本原因にある騒動です。地上の方々に迷惑をかけっぱなしではペルセフォネ様のみならず、冥王ハーデス様にも不名誉なことです。その後始末をして地上に平和と安寧をもたらすことが我ら冥府の神々の責務ではないかと! まだ嘆きの川のこちら側にいるうちはギリギリセーフです!」
とわたくしはこれでもかと正当性を主張しておいて、ここで一転、カロン様のおそばに寄って小声でささやきます。
「……銀貨一枚」
「ぬっ」
「おや、お忘れではありませんよね? あの情熱の一時を……」
最後のダメ押し。
わたくしはカロン様の“弱み”を握っていることを狡猾に示唆いたします。
ご清聴の皆様はおぼえていらっしゃいますでしょうか。
この真面目な死神様、なんといってもこの神語りにおいて一番最初にわたくしに魅了されてしまった“お手つき”の相手だということを。
ああ、カロン様ときたら、焦りと緊張と羞恥心と、死者の皆さんにはお見せできない顔つきになってしまっているではないですか。
「か、カラット・アガテール! 貴様あの時、何も色仕掛けの魂胆はないと……!」
「ええ、別に脅迫はいたしません。わたくしがするのは“誘惑”です」
この翼をばさっと拡げて目隠し代わりにして。
こっそりと、されとて大胆不敵に、小鳥のキスを致しましてございます。
唇を離せば、ちろっと舌舐めずりをひとつ。
ぽかんとあっけにとられて恍惚とするカロン様を相手に、わたくしは魅了チート全開で。
「事が済んだらぜひまた、わたくしに銀貨をお恵みあれ♪」
と微笑みかけて差し上げます。
「……このおしゃべりエロバードめ」
地獄の沙汰も金次第。
いえいえ、地獄の沙汰もたまにはエロ次第でございます。
毎度お読みいただきありがとうございます。
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次回、第一部完結!
どうぞ最後までお付き合いください。