D33.二度とくんなでございます!!
◇
一同に会しましたるは十年前の因縁の者たち。
ペルセフォネ、エリス、アレサ、ロリス。
夢の閨、ケシの花咲くモルペウスの庭にて、わたくしは運命の再会を仕掛けたのです。
「……騙したのね、なんて言わないであげるわ小鳥さん。なんとなく、気づいてたから」
アレサ王女殿下のお言葉はとても複雑な内心の現れでした。
第一声をわたくしに向けたのは、父の仇エリスと亡き母スイレンであるペルセフォネというあまりに重大すぎる対面に、なんと言葉していいかわからなかったのでしょう。
二柱は黙して、アレサ王女殿下が落ち着くのを待っておいでのようでした。
長い沈黙がつづきます。
それも十年の歳月を想えば、ほんのわずかな暇にすぎません。
「……ロリス、カラット、よしなに」
「どうぞ、おまかせあれ」
「御意にございます」
臆病なるかな、慎重なるかな、アレサ王女殿下はひつじのソファーに背を預けて、控えていたロリス様とわたくしに託してくださいます。
潤んだ瞳に渦巻くのは怒り、悲しみ、嬉しみ。片角の王冠、アマルテイアの角を有した今のアレサ様がひとたび感情を激すれば何が起きるかわからない。それがきっと怖かったのでしょう。
彼女なりにもがき、学び、良くあろうとしているのです。
「……ん、もうボク黙ってるのも飽きちゃったんだけどさ? 好きに喋っていいよね」
「アレス、今はあなたにゆだねます」
戦神アレスの名であえて呼んだということは、オリュンポス十二神としての役割を期待するということでしょうか。
エリス様は黒翼を威圧的に拡げてみせ、ロリス様とアレサ様を嘲笑ってみせます。
「どうしたんだい? 君の望んだ復讐相手が目前にいるってのに怖気づいたのかな? あの一夜の恐怖が蘇るってんだったら、もっと怖がらせてあげるよ!」
真っ白な四角い立方体の夢の箱庭が、一瞬にして惨劇の一夜の風景を再現いたします。
エリス様の率いる蛮族の襲撃を受け、炎上する王宮。
別れを告げる母スイレン、泣きじゃくる幼きアネモネ、託されたロリス。
ここぞとばかりにトラウマをえぐってくるのだから、本当に悪辣な神様でございます。
「エリス様! 悪ふざけはおやめください! そんなんだから一番嫌われたオリュンポス十二神と不名誉な扱いを受けるのですよ!」
「悪ふざけってのはイヌミミくっつけて四つん這いでハァハァ舌垂らして喜ぶことを言うんじゃないかな? ボクそれ嫌い! ちょん切る!」
エリス様が手をかざすと、わたくしの内側から黒い触手のようなものが這い出してきて、あろうことかチョキンとハサミのようにイヌミミシッポを切除してしまったのです。
「痛たぁぁぁぁぁー!? く、はないですね、なんだかすっきりしたような」
「鳥だけでも十分濃いのに犬で鳥って属性過多すぎるんだよね。“思い込み”でんなもん生やしてしまうのはキミが神として不安定な証拠だよ、反省するんだね」
「お、思い込み……? これはアレサ様の“支配する力”のせいでは?」
すかさずロリス様は王女殿下の名誉を守らんと「いえ、あなたの趣味です」と訂正してきます。ちらと見やれば、アレサ様も首を横に振られる始末。
今更に“支配する力”の影響を打ち消されたわたくしは、途端に、これまでの一連の忠犬ムーヴが単なる“思い込み”で自主的にノリノリでやってた現実に打ちのめされます。
「うう、ちがいますぅ~! 洗脳無罪でございます!」
ぴーぴーぴよぴよと泣き真似して無実を訴えるわたくしに、くすっと緊張しきっていたアレサ様がお笑いになります。
アレサ様? あれ、支配が解けていない?
どこからどこまでが本心から慕っていたのか、支配する力の仕業だったのか、途端にわからなくなって不安になるわたくし。
わたくしの魅了がそうであるように、刷り込まれた好意は解ければ無になるわけでなく、矢が抜ければ出血が止まるわけでないのと同じ要領ですぐさまには元通りにならない、あるいは影響し続けるということでしょうか。
「ええい! 過ぎたことより今はそう! なにゆえこのような悪夢を改めてお見せになるのでございますかエリス様!」
「そいつらの原点だからだよ。アレサ、ロリス、キミらはボクらに怯えて今日まで生きてきたんだろう? そこから目を背けてどうするんだい? 復讐すべきはボクと、ボクの手駒と、ボクの信奉者にしてマケドニアの現王一派のはずだよね? ボクは争いを歓迎するよ、いつでも挑んでくるといい。返り討ちにしてあげるけどね」
エリス様の挑発に、勇むどころか怯んでしまわれたアレサ様はとっさに蔦壁を築く防御反応を示してしまい、それを恥じて取り除きます。
代わって矢面に立つロリス様は、キッと鋭い眼差しでエリス様をにらみます。
「邪神アレス! 私は鍛冶の神ヘパイトスに作られた際、お前だけは十二神でも構わず斬って捨てていいと命令を組み込まれている! 口を慎みなさい!」
「うわ、めんどくさ……。あいつのトンデモからくり兵器にゃボクとヘパイトスのママ、ヘラも痛い目見て泣きつく羽目になったことあるからね。でも今大事なのは、キミらは被害者だけど、だからといって無関係な連中にまで何やったって許されるわけじゃあないってシンプルな話さ。八つ当たりはカッコ悪いよ。だから今、幼心に見たおぼろげな記憶を、ここでしっかりと思い出していくことだね」
そう言葉すると共に、全天周に様々な過去の一場面が夢の箱庭に投影されます。
神話美少年アドニスの悲劇、父アミュトスの栄光、近隣国との戦争、他王族の企む陰謀、戦神アレスの召喚、アレスによる父の殺害、王宮への襲撃、母スイレンとの別れ、アレサという偽りの名、ロリスとの洞窟暮らし。
転生者アドニスを巡る神話と、マケドニア高地王国の光と影。
幾重にも絡まった運命の糸。
悲劇の王女アネモネ。
人知れず、静かに慎ましく幸せを掴んでほしいと願っていた亡き母スイレンの言葉に逆らい、アレサ王女殿下は今この場に新たな豊穣の女神として在ります。
悲しみや憎しみの一切を忘れてしまうことが王女にはできなかったのです。
『カラット、いいんだ……。これでいいんだ』
わたくしは我が父の言葉に負の感情を捨て去ることの難しさを思い返します。
アルフィンホリオの略奪。
もう大人の仲間入りを果たしたわたくしでさえなんの罪もない父を盗人に傷つけられ、それを耐え忍ぶという決断を心からは受け入れられなかったのです。
たった四歳の幼き頃に父と母と王族の地位を失ったアレサ様の辛酸を鑑みれば、同情を禁じえず、されとて彼女自身もまた不幸をばらまく存在と成り果ててはならないというのもまた正しいことでありましょう。
「……それを、貴方が仰るのですか。わたしの父を、母を奪った張本人が」
「お前は弱すぎたんだよ。どうしようもない雑魚のクソガキだから小鳥をイジメ殺すだとか、そういう憂さ晴らしに走るのさ。仕方ないよね、相手はこのボクだ。でも今は違うだろ? 豊穣の力ってのは元を正せば農耕神クロノスと妻レアー、かつての世界の支配者に遡る力に連なってる。そのうちこの戦神アレスの横っ面ぶん殴れるさ。学び、強くなれ。せいぜい腐るなよ。ボクは戦いの神だ。挑戦者はいつでも大好きだからね」
ああ、なんと爽やかにして憎らしいことか。
言いたい放題のたまって、エリス様は「じゃあね」と消え去ってしまわれます。
一方的に言われっぱなし、珍しく反論に窮したアレサ王女は唇を真一文字に結んで悔しげに震えた後、怒りに任せて叫びます。当人がいなくなってから、ようやく。
「貴方なんて大っ嫌い!! タルタロスの永遠の闇にいつか突き落としてやるっ!!」
「必ずや、その時はわたくしも右腕となって神の血の刻印によって引導を渡します!」
アレサ様とロリス様の決意表明を、はたしてエリス様は聞いていらっしゃるのやら。
あ、ここはわたくしも便乗してひとつ悪口を。
「ついでにエリス様のアレ腐ってもげろ!! でございます!!」
あーすっきり。
じつに清々しい気分でございます。
『聴こえてるよ!! ……ボクの貸した災いの力、もう不要だろうから返してもらうよ』
と内側から声が聞こえてひやっと肝が冷えるや否や、宣言通りに黒き力が霧散します。
わたくしは内側に潜んでいるらしきエリス様に、心の声でたずねます。
『……今回の一件、本当の黒幕はエリス様だったのですよね』
『さあね? それってどういう推論?』
『クレオパトラ様が不自然に強くなってらっしゃったのは貴方のせい。わたくしに与えたのと同じく、災いの力を貸し与えたのです。意気投合していたクレオパトラ様ならば、孤軍奮闘では神殿攻略に力及ばぬと悟れば、その提案には応じたことでしょう』
『冥府側の手伝いをしようってんだから力を貸すのは当然だろ? あいつ負けたけどね』
わたくしは精霊石を握りしめ、静かに怒りを堪らえます。
この夢の世界に渡る時、傷ついたクレオパトラ様の再生を少しでも早めるために、彼女に繋がった精霊石をここへ持ち込んでいたのです。
『それが貴方様の狙い。クレオパトラ様が亡くなれば、北風の神ボレアスの逆鱗に触れる。荒ぶる神の怒りがいかに恐ろしきことか。争いの女神エリスとして、貴方様は血と殺戮による結末によってアマルテイアの角を回収しようと企んでいたのでございます。その仕組まれた惨劇を、わたくしは知ってか知らずか幾度も回避してしまったという訳です』
『ふーん……。まわりくどいね』
『貴方様の宿敵、勇知の女神アテナと正面切って戦うことを避けたのでしょう? リーモス様が及び腰でしたし、貴方様は狡猾な策も好みます。戦わずして勝つ、という言葉を知らぬようでは戦の神は務まりませんからね』
『じゃあ全面戦争が良かったのかな?』
『……貴方様の小狡いところはどちらに転んでも格好がつくよう立ち回り、わたくしが交渉術で回収してもよし、クレオパトラ様が力づくで回収してもよし、北風の神ボレアスが暴走して多大な犠牲が生じてもよし。誰が死のうと人を死に導く己の役目と矛盾しないがために、アマルテイアの角さえ回収できればそれでいいという魂胆で、この一連の騒動をわたくしの内に潜んでずっと“楽しんで”いらっしゃったのですよね』
『ふ、ふふふ、あははは、にゃははははははっ!』
エリス様は心底愉快そうにわたくしの懐中に笑い声を響かせます。
『それが真実ってことにしてあげるよ。神様ってのは退屈が一番の天敵なのさ。キミは存分にボクを楽しませてくれたからね。これでもいよいよダメかって時はキミを助ける準備してあげてたんだけど、ものの見事にのらりくらりと戦わずにやり過ごすもんだから出番がなかったのさ』
『お楽しみいただけたようでなによりでございますね、はいはい』
『いや、でもまさか不意にロリスと寝始めたのは流石にボクも予想外だったけどね』
『……どこから?』
『ずっと楽しんでいらっしゃったのですね、と自分で朗々と言ったの忘れたの?』
「あ、あ、あああああーっ!?」
特大級の時限爆弾の炸裂に、わたくし思わず大声で叫んでしまいます。
ご清聴の皆様は特別として、よもや閨事をエリス様に一部始終が筒抜けであったとは。
祭壇の儀式に現れなかった時、この夢の箱庭に現れた時、わたくしの内に潜んでいる可能性を考慮していたというのに、エロいことに夢中ですっかり失念しておりました。
さしものわたくしもこれは恥ずかしくてなりません。
「どうしたの、子犬……いえ、小鳥さん? なんだか顔が真っ赤だけれど」
「ふわわわわわ! こ、これはちょっと説明しかねる不測の事態がですね!」
不思議がるアレサ様に先立って、ロリス様がわたくしのそばに寄って熱を測ります。
「平熱……いえ、少し微熱が……?」
「は、離れてください! はわわ! 今は! 今はダメなのでございますぅ~っ!!」
『にゃはははははっ! やっぱりキミは面白いよカラット! じゃあね!』
『二度とくんなでございます!!』
わたくしの悲痛な訴えも虚しく、きっとまたエリス様の魔手は伸びることでしょう。
ああ、本当に。
七つの冥府の財宝を集め終わるまで、この邪神にはずっと悩まされそうで困ります。
さしあたっては最初の最後、アマルテイアの角の決着をつけなくては。
「……では、ペルセフォネ様。邪魔者も去ったわけで、大詰めと参りましょうか」
「ええ、よくってよ」
わたくしはエリス様に代わって、ペルセフォネ様の隣へと移動いたします。
この壮大な親子喧嘩を。
死者の国と地上の国。
滑稽なる国交を見事にまとめて幕引きとするために。
毎度お読みいただきありがとうございます。
お楽しみいただけましたら、感想、評価、ブックマーク等格別のお引き立てをお願い申し上げます。
長かったD章もあとすこし! 次回D34決着、次次回D35がD章および第一部ラストを予定しております。
どうぞお楽しみに!




