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D32.夢の世界の狭間にてモルペウスは角砂糖の閨に招く

 夢の世界へ羽ばたきますれば、アレサ様とロリス様を両手に掴んで引っ張りながら広大で無秩序な夢と夢の狭間を遊覧飛行いたします。


 まるで広大な農園の葡萄棚のようにありとあらゆる夢が大小に実っているのです。

 とてつもない規模の、地上世界で眠る人々の何千万という夢がそこにあるかのようです。

 初めて目にする光景にアレサ様とロリス様は息を呑み、見入っておいでです。


「これが夢の世界……」


 山盛りの肉を頬張る食いしん坊な夢もあれば、殺人鬼に追われる悪夢もある。どれもがどこか荒唐無稽であり、どこか現実と繋がっている不思議な夢の葡萄棚。


「正しくは夢の狭間の世界でございましょう。夢に決まりはございませんので、この農園めいた認識もわたくし達の無意識が共有された結果そう見える。冥界において最も謎めいた領域のひとつでございます」


「ここは冥界の一部でもある、というのですか?」


 教育係のロリス様も知らぬ世界のヒミツを、わたくしは語って差し上げます。


「夜の神ニュクスにはじまり、眠りと夢は冥府に連なる神々です。人は地上に暮らし、神は天に住まう。人の魂が天上に招かれるのはごく稀なことであり、多くの場合、眠りは地の底へと人の魂を導きます。亡くなることを永眠というように、眠りと夢は死と隣り合わせなのでございます。死と再生。ぐっすり寝るとすっきり疲れがとれるように、仮初めの死によって心身が活力を取り戻すのですから、冥府というものは遠くて近いのです」


「……じゃあ、わたしがここに来るのも初めてじゃないのね」


「ええ、アネモネ王女殿下が夢を見ないわけでなければ」


「でも、こうして夢の狭間なんて意識できたことはないわ」


「わたくしは冥府の使いでございますからね、前世の記憶に基づけば、どうも伝令役として地底も天上も地上もあちこち使いっ走りしてたようで夢の狭間の世界というのはその通り道にちょうどよかったようで」


「通り道……?」


「物質世界を飛び回るのには実在するゆえに時間と距離の制約がありますけど、精神世界では何かとふわふわしてますからね。なにせ幻想ですから」


「不思議ね。神様になったはずなのに、知らない事だらけだわ」


「教育係として私の知識不足でした。……あるいは意図的に、冥界の知識を与えられていなかったのか」


 アレサ様とロリス様が不思議がっているうちに、目的地が見えて参りました。

 真っ白い四角い立方体。

 夢の葡萄棚にあるすべてが丸みのある果実や葉っぱを模したイメージなのに対して、明らかにここだけが無機質なのですからその異質さは一目瞭然です。

 夢の神モルペウスの寝室は、夢の泡沫の中にはないのは道理と言えましょう。


「モルペウス様! カラット・アガテールでございます! アネモネ様と従者、それとある傷ついた神霊をお連れいたしました! どうぞ中へお招きあれ!」


 呼びかけに応えて白い箱が開かれた瞬間、もうわたくしたちはその中に佇んでおります。

 象牙と黒檀のベッドに横たわる、ネグリジェの美女。

 半ば透き通った衣の下には、すらりと長く美しい肢体があり、悠然と寛ぐ姿には夢の支配者モルペウスの威厳と美貌と得体のしれなさが感じられます。

 その威容に、すぐさまわたくしに続いてアレサ様とロリス様も一礼を深く捧げます。


「くるしゅうない、面を挙げよ」


 ……あれ?

 と思った方もいらっしゃいますよね。夢の神モルペウス様これでは別人もいいところ。


 これは早い話がモルペウス様、御自分を“盛って”いるのです。前回わたくしとの対面はいわば彼女にとっては旧知の仲に過ぎず、ほにゃほにゃーっとしてる本性を前世の女神アエローなら知っているので格好つけても無駄でした。ところが今回はアレサ様やロリス様とは初対面かつ上司の愛娘という微妙な間柄なのでこうなるわけです。


 いやーわたくしおぼえてますからね、冥府の女王ペルセフォネ様に鞭打ちの刑に処される情けなくてだらしないモルペウス様のうらやま……こほん、痛々しい姿を。


「よくぞ参られた。新たなる同胞よ。若く幼き女神よ。我は夢の神モルペウス。まずはゆるりとくつろぐといい。夢と眠りは癒やしをもたらす。ささ、楽にせい」


 くつろぎの家具、ひつじソファー。

 とことこ歩いてきた四本脚のふわもこ家具に催促されて座ってみれば、ああ、これはもはや寝具と錯覚するようなやわらかさ。ふにゃーってなります、癒やされます。


「これは……面妖な」


「ふふっ、かわいいひつじさん達ね。いいこいいこ」


 王女殿下に撫でられて、尻に敷かれて、めぇ~とひつじソファーが喜んで鳴きます。


 ずるい!

 そこ代わってくださいひつじさん! わたくしも尻に敷かれたい!


「うーーーーー……わうわう!」


 わたくしは牧羊犬よろしくひつじソファーに軽く吠えますが、ひつじソファーに口角を上げてニッと勝ち誇られます。おのれ偶蹄目の分際で。ああ、悔しいうらやましい。


「偉大なる夢の神モルペウス様、あなたは一部始終をご存知の様子。歓迎してくださるということは、あなたがわたしにこの豊穣の力を司る術をお教えくださるのでしょうか」


 片角の王冠に変化したアマルテイアの角に触れ、示す王女様。

 流石にロリス様の教育が行き届いていると申しますか、夢の神モルペウスを相手には敬う言葉遣いで接することができている。やはり利発な子です。

 しかし見当違いの質問だったようでモルペウス様に軽く笑われてしまいます。


「夢の神に麦を育てパンを焼けと? あーでもおいしーパンづくりもゆめがあっていいかも……? ふわふわーのパンきじってひつじやわたぐもみたいにふかふかーってしてていいよねー、もるぺしゅきー」


 ひらがな言葉で夢語りをはじめた途端、理想の女神像が崩れるモルペウス様。

 だらしなくてふにゃふにゃの本性とキリッとした威厳ある女神の姿がいったりきたり。


「も、モルペウス様……?」


「はっ! と、とかく神にも領分がある。我は夢の神モルペウス。地上の豊穣とは縁遠い。空腹ゆえに机狭しの晩餐を夢見ても、目が覚めれば空腹はまた襲ってくる。それが理だ。しかしここにカラットが案内したのは間違いではない。夢の狭間の世界ならば、夢枕に神託を授けるが如く、人と神が語らうことは地上よりは容易い。現人神である汝アネモネは、まだ神霊として天上に昇るも地底に降るも自由とはいかぬ。己の生命が尽きぬうちは神の端くれとて天門獄門はおいそれと開かぬと心せよ」


「……心得ましてございます」


 夢の神モルペウスの極端な落差に困惑しつつ、アレサ王女は問い返します。


「では、私とお会いしてくださる方とは……」


「もったいぶるより会った方が早かろう。ああ、くれぐれも失礼のないようにな。なりたての小神風情が、天界と冥府の最高神達と対面するのだからな」


 そこまで言葉して、夢の神モルペウスは自らの寝台の天蓋を閉じてしまわれます。


「はー……ちゅかれた。だるー」


 とこっそりだらけるモルペウス様の小声をわたくしは聞き逃しませんでしたよ。

 しかしそれは瑣末事、やがて寝台の周囲に咲き誇ったケシの花々が風にそよぎ、花びらをふわりと散らしながら現出する二柱の神によって一同の耳目は奪われます。


 冥府の女王ペルセフォネ。

 争いの女神エリス。


 亡き母親と父殺しの仇が一斉に現れて、アレサ様のお心はさぞ惑乱したことでしょう。

 これが母と娘の十年ぶりの再会、そして――。

 豊穣の角笛を巡る争いの、最終局面のはじまりでございました。

毎度お読みいただきありがとうございます。

お楽しみいただけましたら、感想、評価、ブックマーク等格別のお引き立てをお願い申し上げます。


おかげさまで今日も無事に朝更新ができました。

点滴のみの治療なおかげで毎日更新がひとまずしばらくは継続できそうでホッとしております。


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