D26.ごめんね、やくたたずでさ
◇
敗北を喫し絶体絶命のクレオパトラ様。
すぐさま螺旋階段から飛び立ってそばに近づこうというわたくしの腕を、ロリス様が掴みます。
「彼女は敵です、カラット・アガテール。今更、姫様を裏切るのですか」
「お離しください! わたくしに彼女を見捨てられる理由などありません!」
「……多数の死傷者が出ています。あなたは先ほど、死体を“見なかったこと”にしたのですね」
ロリス様の厳しい指摘に、わたくしは愕然とします。
ああ、ご清聴の皆さまにも謝らねばなりません。
わたくしは凍てついた廊下を通り抜ける際、皆さまに“負傷者が多数”と語りました。
無意識に、わたくしは“まだ助かる、死んでいない”と信じたくてそう語っていたのです。
けれど客観的事実を述べれば、それは“まだ死んでいない”だけで助かる見込みがない致命傷だった可能性が十分にあったのです。
白雪や氷塊の下敷きになった死体があったとして、それを見ようとしなかったのです。
『……この親子を斬らずに済んだ。感謝する、焼き犬殿』
名も知らぬ王国兵士の言葉が蘇ります。
心優しき彼は今、人知れず氷雪に埋もれて息を引き取りつつあるのかもしれない。
――目的を達成するためには手段を選ばない。
そう決意して、このボレアス神殿攻略戦を決行したのはわたくし自身だというのに。
わたくしは生卵のように、真っ二つに割り切れない心境でした。
しかし自己憐憫に浸っている暇などありません。
クレオパトラ様は精霊、不死の神霊ではありません。なんとしてもお救いせねば。
そのためにロリス様を納得させる言葉を、どうにか捻り出します。
「ここは北風の神ボレアスの神殿、その最奥ですよ!? 今ここで愛娘のクレオパトラ様を死なせて逆鱗に触れることをお望みですか!?」
「なっ……、一体どうしてそんな歩く火薬庫を仲間に連れてきてしまったんですか」
「……なりゆきで!」
魅了してエロいことして仲良くなりました、とは流石に言えません。
敵対関係にある者を魅了して、という意味ではロリス様とクレオパトラ様はじつは経緯が同じといって過言でないことに気づき、潜在的爆弾だと悟るも今は後回しでございます。
「ロリス様は王女殿下の元へ! わたくしは手当をしますから!」
「……承知しました」
ロリス様の手が解かれるとわたくしは一直線に墜落したクレオパトラ様のおそばに急降下します。
ああ、じつに痛ましいお姿です。
失った手足の断面からは人間の血とは異なる、透き通った極低温の液体が漏れ出していました。
健在なもう片方の足と見比べれば、損傷箇所ほど人間らしい温かみのある色形を保てず、氷雪を固めて造形したのではないかという冷たい物質に成り果てているのがわかります。
おそらく全ての力を使い果たして命尽きた場合、クレオパトラ様の肉体は血と肉と骨を残すのではなくて、雪と氷と水しか残さないのでしょう。
「あ……か、らっと」
「ええ、わたくしです! どうか安静に! まだ助かるはずです!」
わたくしはクレオパトラ様の精霊石を手中に握りしめ、想い、祈ります。
契約。
精霊との契約が結ばれているわたくしは彼女のお力を借りることができる。
その逆に、わたくしの力を分け与えることができるはずなのです。
いかに些細であれ、この氷点下の祭壇という最適な環境下あれば、わたくしの秘めたる女神としての力であれ、エリス様の災いの力であれ、ペルセフォネ様の豊穣の力であれ、なんでもいいから神力を注げば自己回復力で補えるという見立てです。
「あり、が、とう……。ごめ、んね。やくたたず、でさ」
「わたくしこそ、貴方様をこんなになるまで無理して戦わせてしまった。もっと上手く立ち回れば、敵味方もなく争わずに済んだものを……」
「ばか、ね。かみさまにでも、はぁ……くっ、な…もり」
頬を撫ぜる指先。
痛いほどに冷たい指先に触れられて、わたくしの頬から大粒の氷片がこぼれ落ちました。
ああ、優しくて冷たい手にございます。
「う、しろ……っ」
震える指先。
間一髪、わたくしは背後よりの投擲攻撃を、クレオパトラ様の氷羽根を拾って弾きます。
くるくると舞い、雪に刺さる短刀。
「退け、蛮族! その怪物にトドメを刺す!」
どうやら今一度、わたくしは対峙せねばらないようです。
因縁の天馬三騎兵と。
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早いもので連載二ヶ月目、第一の冥府の財宝を巡る戦いはいよいよクライマックスです。
今後とも、どうぞ拙作にお付き合いください。