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D16.天神地祇よ! 神々よ!

「芸事は神事。神々に奉納しうる“価値あるもの”は多岐に渡りますが、謡曲と神楽は大切な供物として古来捧げられてきたものです。姫君のため、歌い奏でなさい」


 侍女長ロリスはそうわたくしに告げ、侍女たちに二点の楽器を差し出させます。

 竪琴とリュート。

 わたくしは一番得意とする弦楽器のリュートを受け取りまして、二、三どの曲を奏でればよいかを質問いたします。幸い、心得のある楽曲でしたので演奏技術上の問題はございません。


「しかしなぜわたくしめに奉納の調べをお任せに?」


「貴女の“魅了の魔声”は神々にさえ通じるそうですね。残念ながら神域に届く高名な吟遊詩人はこの急遽執り行われる運びとなった儀式に招く猶予がありません。出来栄え次第では、それだけ神々に捧げる“生贄”が不要になると聞けば、貴女もやる気になるでしょう」


 侍女長は指示によって配下の者達が次々と供物を運んで参ります。

 丁寧に焼き上げられた菓子にはじまり、農作物、酒瓶、金銭、宝石、武具、魔法道具など。

 そして氷漬けになった大きな牝鹿が一頭、丸々担がれて横たわります。


「……神々がお喜びになっている」


 神々の領域を目にできるわたくしには供物が運ばれるたびに神使が見定めるさまがわかります。

 神使や精霊ごとにどれを好むかは千差万別ですが、次々と奉納される供物は効果抜群の様子です。


「お気に召しましたようで何よりです、偉大なる神々よ」


 アレサ王女殿下は氷の祭壇に集った神霊たちに呼びかけます。


「霊樹ミルラの悲劇は愛の女神アプロディーテへの敬意を忘れたことにはじまります。わたしが豊穣の女神として昇位が叶った暁には、現人神として毎年の儀礼を欠かさず、栄ある神々に相応しき信仰と供物を捧げることをお約束しましょう」


 アレサ王女の言葉と美貌にはご存知のように、神々をも翻弄したアドニス譲りのちからがあります。

 八百万の神々の中でも低級の精霊や妖精とされる下位神霊たちの心を掴むにはすでに十分でした。

 そして上位神霊にも決定打を与えるべく、わたくしに奉納の音楽を捧げさせたいわけです。


「子犬さん、おねがい」


「……その前にどうかお教えください。“生贄”とは、誰ですか」


「いいわよ。ロリス、連れてきて」


「はっ」


 目隠しに白装束といういでたちの若い男がまず一人、兵士に連れられてきます。

 二人、三人、四人、五人、六人、七人、八人、九人、十人、十一人……。

 いずれも抵抗する様子はなく、この凍てつく祭壇で寒がる素振りすら示しません。明白に、何らかの力で意志を奪われて、半ば眠ったまま操られている様子でした。

 わたくしと同じく、より過酷に、ココロとカラダを支配されているのでしょうか。


 ――なんて酷いことを。

 そう本来ならば叫び訴えるべきわたくしは何ら抗議の言葉を発することができません。


 これから理不尽に死なねばならない犠牲者らを想う義憤を、アレサ王女殿下への強すぎる愛着が“どうでもいい”と打ち消してしまうのです。

 わたくしにできることはせめて最小限度まで、生贄の必要数を減らすこと。

 そう妥協して、演奏をはじめようとリュートに指を添えた時にです。


「……この匂い、カラットお姉ちゃん?」


 十二番目の生贄の声がしたのです。

 そう、母親の陰に隠れて見落としていたのは幼い少女――アマラでした。

 廊下にて空腹に苦しみ、わたくしが一時しのぎで食事を与えた親子がそこにいたのです。


「そんな、どうしてアマラちゃんが……!」


「ああ! やっぱり焼き鳥のお姉ちゃんだ! アマラ達ね、あのあと食堂に案内されて……あれ? ここ、どこ? 真っ暗で何も見えないや、え、え、え?」


 一時的に正気を取り戻したのか、アマラは目隠しと手首を縛った縄に混乱を示します。

 するとすかさず侍女長ロリスは魔法を唱えて、騒ぐアマラを眠らせてしまいました。


「神聖なる儀式に雑音は不要――。お見苦しいところを、失礼しました」


 一礼する侍女長、黙して見過ごす女王と配下の者達。


 だれひとり。

 だれひとり、この場において罪なく幼き少女の身を案じる言葉を発することがなかったのです。


 このまま生贄達をみすみす死なせることを大半の者は嬉々として望んでいる様子はありません。

 侍女も兵士も、親衛隊長のレモニアも、良心を痛めることに苦々しそうな顔つきや仕草をする。


 それでも、誰も否とは言えない。


 物事には優先順位というものがございます。

 見ず知らずの他人の犠牲を黙認することが悪行だと理解してなお、優先すべき事情がある。

 アレサ王女殿下の支配する力のみならず、主君への忠誠、仲間との連帯、自己の保身、その他諸々を踏まえてしまった時、良心を飼い殺しにすることが人間にはできてしまう。


 そういうものだ。

 こうするしかなかった。


 この理不尽を成立させる何かを、わたくしは正しく言い表すことができません。

 義憤では、ちっぽけな正義感ではこの場を支配する何かに立ち向かう原動力たりえない。


「わたくしはアレサ王女殿下への忠誠を誓う、一匹の犬畜生……!」


 心の呪縛は解けません。

 反抗心は摘み取られ、激怒も悲嘆もわたくしの心を満たすことはできません。

 アレサ王女殿下のお喜びになる姿を見たい、悲しむ姿を見たくはない。

 それが今のわたくしの本心。

 どうしても、多少縁のある程度の親子を助けるために王女殿下に反抗することができません。


 それが支配の呪縛なのです。


 でも。

 もしも反抗せずとも矛盾なく親子を、生贄たちを助けられるとしたら――。


「天神地祇よ! 神々よ!」


 わたくしはリュートを爪弾き、意を決して叫び訴えます。


「これなる生贄たちの生命を望まれる神々よ! どうか、わたくしの捧げる音色を生贄の代わりとさせていただきたく願い奉ります!!」

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