D14.氷室の戴冠式
◇千年氷壁の祭壇。
ボレアス神殿の地下深くにある広大な儀式の場は、天然の氷室でございました。 快適に過ごす工夫を凝らした神殿地上部とは打って変わって、人を遠ざけ冷気を逃さぬ洞窟でございます。
たいまつの炎にぬらりと艶光る一面の氷壁。
ゆるやかな螺旋を描いた階段を下り、アレサ王女一団は儀式の場へと辿り着きます。
わたくしは首紐を引っ張られて、四つん這いで歩くことを強いられながら冷たい氷に覆われた石床を凍えながら下りることになってしまいました。
なんて過酷な責め苦でしょうか。
王女殿下の寝室を出る時、神殿の巫女装束に着替えさせられたおかげで手袋をはめていなければ、きっと四つん這いで飼い犬のように歩くことを最後まで成し遂げることはできなかったでしょう。
わたくしは白い吐息をはぁはぁとこぼしながらメス犬の屈辱に身悶えます。
「わふ……わふぅ……」
「……ねぇ、普通に立って歩いてもよかったのよ、子犬さん」
「姫様のおっしゃる通りだぞ蛮族、反抗の意思表示か? 無駄だ、震えているじゃないか」
心配なさるアレサ王女殿下、侮蔑の表情で見下す騎兵レモニア。
わたくしは我が支配者である王女にシッポを振って媚びつつ、レモニアに吠えて返答します。
「わんわん! わん! わおーんわおーん!!」
「犬語でしゃべるな!! わかるか!」
「ふふっ、確かにそうね。レモニアは冗談が苦手なの」
「犬語で通じただと!?」
驚愕するレモニア。
からくりは単純。わたくしの犬語とは名ばかりのテキトーな発声を、それっぽくでたらめに王女殿下は表情と声音の調子から解釈して、会話が成立しているかのように演じただけなのです。
「わふふわふわおーん!」
「子犬さんったら、ふふっ、レモニアってわんわんわおんわおーんでしょ」
「わふっ!」
にやっと勝ち誇るわたくし。
「ぐぬおおおぉ……! 何なんだこいつは一体……! いいか! 私は姫様が幼少の頃よりお仕えしている十年来の親衛隊長だぞ! どこの馬の骨ともわからん輩が調子に乗るな!」
「レモニア、鳥の骨じゃなくって?」
「いえいえ王女殿下、犬の骨でございますわん。彼女には馬と犬の区別もつかないのかと」
「馬鹿にして!!」
「鹿ではなく犬ですわん」
ぐぬぬぬぬ、といやぁじつに面白いほどにレモニアは悔しがってくださいます。
煽り言葉はやむなきこと。
わたくし一度は彼女に痛い目に合わされた上、今は悪堕ち洗脳ダークネスモードでございます。
悪の心に支配された今、敬称略や罵詈雑言を述べたところで何ら良心は痛みませんとも。
清く正しく礼節を守って嫌いな相手に接さずともよいのはなんと居心地の良いことか。
アレサ王女殿下のペットという肩書はわたくしの天職なのやもしれませぬ。
「……姫様、儀式の準備はすべて整っております。さぁ、こちらへ」
侍女長ロリスの出迎え。
わたくしは心胆がぞくっと冷えました。この一連のくだらないやりとりを一部始終ご覧になって、一切表情を崩していないのですから。
こうも無関心を貫けるか。
はたまた表情を読ませないよう心がけているのか。
いずれにしても王女殿下の支配下にあるわたくしのことを、かけらも味方とは見ていない様子。
その手際、その残忍さ、その冷静さ。
アレサ王女殿下をそそのかして裏で糸引く黒幕は教育係でもある彼女だと察しがつきます。
「さぁアレサ様、アマルテイアの角をどうぞお手に」
「……ええ」
荘厳な氷の祭壇に祀られた豊穣の角笛、アマルテイアの角へと王女殿下は歩み寄られます。
わたくしの手綱をレモニアにゆだねて、円錐の収穫籠を手になさる王女。
するとたちまち豊穣の角笛はまばゆい光輝を伴って、山羊の片角へと形を変化させます。
「アマルテイアの角そのものに変化した。いえ、戻った……」
「貴様、儀式の意味がわかるのか?」
レモニアの問いに、わたくしはすくっと立ち上がって普通に答えようとします。
「はい、吟遊詩人ですので」
「……おい、今なんで急に立ち上がった」
「貴方様にわたくしとわんこ連れ歩きプレイをなさりたいご趣味があれば、渋々と犬に戻りますが」
「……メス犬はもういい、吟遊詩人として話せ」
アレサ王女殿下は光輝する山羊を、まるで戴冠式のように侍女長ロリスから頭に授かります。
アマルテイアの角は相応しき形――片角の王冠となります。
金色に輝くプリンセスクラウン。
豊穣の女神としてアレサ王女殿下を象徴付けるような神秘の光景でございます。
されども、わたくしには漠然とわかりました。
この戴冠は一連の儀式のはじまりにすぎない、と。