A04.冥府の女王ペルセフォネ様との再会 2/3
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「虹の女神イーリスはわたしの大切な恩人です。この冥府に嫁ぐ折のいざこざをとりなして、わたしに地上と冥界を往来する権利をくれるきっかけとなってくれたのです。恩人イーリスの妹、ハルピュイア。それを無闇やたらに焼き焦がすことができましょうか」
「いやいや、何をおっしゃる女神様! わたくしは生まれも育ちも片田舎の蛮族風情! それは確かに妖鳥でこそありますが、両親は平々凡々たる魔物! 驚異の海神タウマースといえば原初の地母神ガイアと原初の海神ポントスの子! そんな大それた父母じゃあございません!」
「確かに、魔物の一族アガテール家で生まれ育ったことは事実でしょう。かといって、あなたが地母神ガイアの孫にあたり、虹の女神イーリスの妹、そしてわたしの父である天帝ゼウスと母である地母神デメテルのイトコであることもまた事実です。ちなみに地母神ガイアは私にとっては曾祖母、あなたにとっては祖母なので、つまりカラット、あなたはわたしの親戚のおばさんでもあり……」
「神々の家系図ややこしすぎません!?」
「それは同意せざるをえません」
ペルセフォネ様はうにょうにょと植物の蔦や葉を操って家系図らしきものを表現してくれました。
しかし複雑怪奇すぎて何がなにやら。
図を見るに、『原初の地母神ガイア』を神様第一世代として、第三世代に『虹の女神イーリス』『ハルピュイア(わたくし)』、そして現在最高位の神々である『天帝ゼウス』『冥王ハーデス』『海神ポセイドン』『豊穣の女神デメテル』がある。ガイアおばあちゃんの孫、という見方をすれば、たしかにわたくしと天帝や冥王はイトコという血縁関係になってしまいます。
第三世代の『天帝ゼウス』と『豊穣の女神デメテル』の娘として第四世代に『冥府の女王ペルセフォネ』が位置づけられるということは、第三世代のわたくしは親戚のおばさんと言えなくもない。
吟遊詩人として神々の詩を日常さえずるわたくしでさえも神々の家系図は難解でピンとこないのですが、まさかわたくしもめまいがするような神々の家系図の一端だとは。
いやいや、こんな小市民な小鳥のわたくしに限って最高神のイトコだなんてまさかのまさか。
「あの、妖鳥違いではございませんか? 本当にわたくし、そのような神々しい親戚付き合いに一切おぼえがございません。今回の罪を許してほしいからと他人様の名を騙るつもりもございません。ましてや愛情深く育ててくださった父母を、じつは赤の他人でしたといわれてはいそうですかと納得できるほど薄情でもなく。一体なぜ、そのような不可思議なはなしになっているのですか?」
わたくしは一時、目を瞑りました。
妖鳥の蛮族として生まれついたわたくしは半人半魔、鳥と人の姿を併せ持っております。
父母も同じ姿形でしたから、血の繋がりを疑うことはありませんでした。
人間界において、わたくしのように特異な人ならざる怪物のうち、人に近しく意思疎通のできるものは蛮族――バルバロスと呼ばれておりました。
多くの場合、蛮族と人族とは敵対関係にあり、相容れないものでした。
名誉蛮族、と度々わたくしは口にして参りましたが、それは蛮族でありながら人族と共存できる例外的存在ということで、わたくしは特異な怪物でありつつも人里に生まれ育ったのです。
人里暮らしは楽しゅうございました。
父母の日頃の行いの賜物か、わたくしは無理解な人々に無闇やたらに石を投げつけられることもなくのびのびと平穏に育ちました。あののどやかな片田舎が今でも懐かしゅうございます。
しかしながらある時、人里に不作が襲ってきたのです。
食料がなければよそから買うため、だれかが出稼ぎに行かねばなりません。
他の若い里人と同じく、わたくしも人里を助けるためにと冒険者になる決意をして上京します。
ここでまぁ振り返るのも嫌でしょうがない散々な目に会い、けちょんけちょんに打ちのめされてくじけそうになっていたところを心の天使パトリツィアちゃんご一行に拾われまして。
とかく、あっけなく冥界送りになってしまったとはいえ、わたくしなりに生涯を力強く羽ばたいてきた所存であり、急に神々の末席だといわれてもすんなり受け入れづらいのです。
「転生、です」
ペルセフォネ様はわたくしの目をじっと見つめて、言い聞かせるように語ります。
「あなたは転生を遂げ、神々の一族でありながら人間界にて再誕してしまったのです。人間たちの魂がレテの忘却の川水を飲み、過去生の記憶を失って生まれ変わるようにして。縁のある妖鳥の一族として転生した貴方にとって、生み育てた両親はまぎれもなく血のつながりのある家族でしょう。あなたはカラット・アガテールという新たな自己を確立してしまっている。それを捨て去れとは、わたしも言いません。愛する家族と無理やり離別させられるつらさを、わたしは深く知っています」
「……そうでございました。ペルセフォネ様は、この冥府に望まぬ形で連れ去られてきたのでしたね。わたくしも詩としてよく心得ております。冬という死の季節が人間界に巡ってくるのは、大切な愛娘のあなた様と会えない悲しみにくれた豊穣の女神デメテルがお隠れになるからだと。……ペルセフォネ様、やはりわたくしは今生の名を捨てることはできません」
わたくしは真剣に見つめ返しました。
この純真無垢で恥じるところのない金剛石もかくやという輝きを秘めた眼差しで。
するとすると死の国の女王ペルセフォネ様は慈悲深くも、ああ、慈悲深くも首肯してくださって。
「カラット・アガテール。今一時、あなたが本当は何者であるかをわたしとの秘め事とします」
「はっ! ありがたく!」
「しかし何者でもない蛮族を名乗る以上、あなたは罪人として、然るべき償いをせねばならない」
「覚悟の上です」
わたくし、凛々しく答えました。
正直なところ場のノリと勢いで、何も考えずにそれっぽいことを言っているだけなのですが。
「己の過失を、失われた冥府の七つの財宝を、己の手で回収してくるのです」
冥府の女王ペルセフォネは罪深きわたくしに命じます。
「大罪人カラット・アガテール。その罪を償うとここに誓いなさい」
「……誓います」
そうわたくしは力強く応えて。
「ええ、誓いますとも! 必ずや、ペルセフォネ様の元に七つの財宝を!」
わたくしは勢いよく両翼を羽ばたかせ、周囲の草花を風で舞い上げてしまいます。
咲き誇りますは花吹雪。
その艶やかなる花吹雪は、わたくしの秘めたる神々の力の片鱗でございました。
「……やはり、その力、あなたは疾風の女神アエロー」
しかし不幸なるかな。
この時まだわたくしは疾風の女神なる権能を使いこなすには到底及ばず。
そう、不慮の事故です。
それは奔放なる風のいたずら。
それは翻弄する風のたわむれ。
つまり端的に申せば、冥府の女王ペルセフォネ様のスカートをぺらりと風がめくったのです。
淑やかな緑葉と白絹の衣がふわりと翻れば、そこにはまばゆき太腿と冥府に相応しき“黒”が――。
「……カラット、あなたは」
「……これがホントの、あ、エロー。なんつって」
はい、死にました。
わたくしの冒険譚もこれでおしまいでございますね。
冥府の女王のスカートめくり等やらかして、どうやって生きて地上に舞い戻れましょう。
いやはやこれは冥府の七つの財宝を盗んでしまったことが霞むほどの大罪ではないでしょうか。
滝汗です。
わたくし、沈黙する女王陛下にケルベロスとの対峙に勝るとも劣らない恐怖を感じております。
ああ、でも、最期に目にする光景としては最上級でしょう。
冥府の女王の下着を、恥ずかしがるさまを、この目に焼きつけて塵と消えゆくのであれば――。
「カラット!」
「は、はい!」
感情の起伏を表すように、ペルセフォネの侍らせる草花も蔦や葉を不気味に揺らします。
これはやはり丸鳥の香草焼き不可避でございましょうか。
「本当に! 本当に!」
それは誠に燃えるような眼差しでございました。
そう、単なるスカートめくりへの抗議では説明つかないほどに、熱烈なのでございます。
「何もかも、忘れてしまったというのですか!」
執念を示すように、わたくしの手足に草蔦がしゅるりしゅるりと巻きついてゆき。
すっかり気圧されてしまって、わたくし、緑手に絡め取られてなすがまま。
ペルセフォネ様の剣幕はしかしどこか悲しげで、なぜゆえか唇が震えておいでなのです。
はて、さて。
わたくしは一体、何を忘れてしまったせいで、彼女をこうも怒り悲しませているのか。
「……どうかお教えくださいませ。わたくしと貴方様の過去について」
「これでも、思い出せない?」
わたくしは息を呑みました。
ペルセフォネ様は草花で縛りあげたわたくしに迫り、頬に手を添えて、愛しげに撫ぜるのです。
わたくしは不意に到来する予兆に思わず、苦しいほどの胸の高鳴りに襲われつつ。
死の国の女王に唇を奪われるのでした。