D08.夢の神モルペウス
◇
そして眠りと夢の世界へとわたくしは落ちてゆきます……。
と皆さまに語った矢先、わたくしが目覚めるとそこは本当に眠りと夢の世界でございました。
いや、まだ目覚めていないというのが正しいでしょうか。
ポツンと一羽、殺風景な白い明晰夢。
角砂糖の内側みたいな、真っ白な四角い箱に閉ざされたようなこの世ならざる空間です。
唯一の配置物といえば、わたくしの目覚めたベッドのみ。
「まさか……」
わたくしはこの空間における私のなすべき目的を記した看板を探して右左と見回します。
きっとあるはずです。
『ふしだらなことをしないと出られない部屋』
みたいなご都合主義の産物じみたエロい看板が。冒険者の端くれとしては一度ああいう部屋に閉じ込められてみたいと思っていたのでございますよ、ええ、うえへへへ。
等と現実逃避、いえ夢中逃避しておりますれば……。
「ないねー、んなもんないねー」
と否定する天の声。
天井を見上げてみれば、わたくしの真上に綿雲みたいな白いもこもこがあるではないですか。
白い綿雲はみょーんと間延びした言葉遣いでわたくしに語りかけてきます。
「ここはいま、わたしときみのふたりきりのゆめのせかいだよー。ふしだらなことをしなきゃかえれないなんてへやじゃあ、おたがいあいてをよくしらないんだもの。こまっちゃうでしょ?」
「ありゃま、わたくしの考えていることが筒抜けでございます」
「ゆめのせかいだからねー」
白い綿雲のふにゃふにゃとクセになる声に早くもわたくし正体に察しがつきました。
「あなた様は眠りの神ヒュプノス……いえ、その子供、夢の神モルペウス様でしょうか」
「せいかーい、ものしりだねー」
ふわふわふかふかの綿雲は正体を言い当てたせいか、次第に人の形を整えていきます。
白いゆったりとした寝間着に象牙と黒檀のベッドに横たわり、上下逆さま、天井側に背を預けてリラックスしきった謎めいた女神。それがわたくしの目にした夢の神モルペウスでした。
群青色の髪に赤いナイトキャップ、ふんわりとゆるやかな丸っこい顔つき、体つきはふっくらとしていて丸々と実った果実のように豊満でございます。
なんとなくゾウやヒツジ、アリクイやウシといったのっそりとして緩慢に動いて草木を食む獣のようなのどやかさをモルペウス様には感じずにいられません。
というか、無駄にむっちりふわふわです。
「あー、エロスなことをかんがえてるねー? なるほどう、きみはゆめのかみさまをこーゆーふうにそうぞうするんだねぇ、もーやらしいなぁ~」
「うひゃうっ! 見透かさないでくださいまし! よいではありませんか、わたくしの夢ならば!」
「そだねー、ゆめならしょーがぬい」
のへへーと間延びした笑い方をなさるモルペウス様。なんだか見聞きするだけで癒やされます。
いや、実際にぐんぐん癒やされてる気がします。
「そーそー、まほうのちからがかいふくするのはねむってるうちにいやされるおかげだよ」
「そーなのですか!?」
「ねむり、ゆめみることはひとときめいふのせかいにみをゆだねること。しぬことでたましいはいきかえる。わたしはめいふのかみモルペウス。これからもよろしくね、カラットくん」
「は、はい、こちらこそ、今後ともよろしくおねがいいたします!」
四角い白箱、天と地で向かい合ったベッド。
お互いに見上げながら挨拶する不思議な光景に、わたくし少々混乱しつつ反射的に返事だけは大きな声ではっきりといたいます。
夢の神モルペウスはすーっとゆっくり天井のベッドから滑り落ちてきて、ふわっとわたくしの隣へとお座りになられます。
至近距離で接するモルペウス様からはなんだかクラクラするような花の薫りが致します。
「これねー、ケシのかおりだよー」
「ははー、ケシの花……。ケシの種ならお菓子によくまぶしてあって香ばしゅうございますよね」
「つかいかたをまちがえると、だめ、ぜったい、だけどねー」
「……あ、はい、モルペウス様はたしかケシの花に囲まれて普段お過ごしになってるとか。それはその、世が世ならば大変ヤバいやつでございますね、ええ」
「くさばなにつみはないのにね」
モルペウス様は赤白黄色のポピーをどこからともなく咲かせて、白いベッドをあっという間に花で埋め尽くしてしまわれますと、ごろんと横になってわたくしへおはなしになります。
「えーと、なんだっけー、なにかもくてきがあったきがするんだけどー」
「うーん……、寝る前になにをしてたか、夢の中で思い出すのはどうにも難しゅうございます」
「じゃあ、めざめるまでモルペとごーろごろする?」
「ぜひとも!」
かくて手狭なシングルベッドでふたり、色とりどりの花に囲まれて夢の中で眠ってしまいます。
すやすやーのふわふわー。
でもなにか、早く目覚めねばならない理由があった気が……。
「すぴーすぴー」
「くぅくぅ」
眠りと夢の誘惑はとても甘美でおだやかでございます。
惰眠を貪ることは戒めるべきでも、快眠を軽んじてることもまた戒めるべき悪徳でございます。
そうこう言い訳しつつ、夢と眠りの世界を堪能しておりますと……。
「えへへ! 起きなよカラット! こちょぐっちゃうぞ~!」
と宣言した直後、わたくしの寝間着の下に手をつっこんでくる何者か。脇腹やおなかをいたずらにまさぐられて、わたくしは耐えられない刺激に「ひゃうっ!?」と叩き起こされます。
もちろん、犯人は隣ですやすや寝てるモルペウス様ではございません。
褐色肌に黒い翼、黒い髪、ちんまりとした体躯でわたくしのおなかに騎乗なさっているこの神は忘れもしない、災いの母エリス様でございました。
「な! なんでわたくしとモルペウス様の憩いの夢空間に乱入してるのですエリス様!?」
「モルペウスとボク、エリスは姉妹だもん。姉妹の部屋くらい無断で入ってもよくない?」
「あーもー! ホントどーなってるんですかね神々の家系図!」
そーです。思い出しました。
夜の神ニュクスに連なる神の一柱として、実際エリス様とモルペウス様は家族でいらっしゃる。
あまりにモルペウス様が冥府の神にしては癒やし系すぎて、わたくし油断しておりました。
「ああ、エリスおねーくんだ~! モルペしゅき~」
「ボクもモルペしゅきー♪」
お姉さんらしく抱擁しようとして、子犬と母牛くらいの体格差でおっぱいに圧殺されるエリス様。なにかもがもがと息苦しそうにぺちぺちギブアップ訴えてますけど憎らしいので無視いたします。
「ぷはぁっ! あー、ボク死ぬかとおもったー」
「お望みとあらばどうぞ永眠なさってくださいエリス様」
「なになにー? うらやましい?」
「うらやましいですけどなにか! わたくしのすやすや快眠タイムを返してくださいませ!」
「おいおい、ニワトリは早起きしてなんぼだぞー?」
「トサカッター投げて一刀両断にしますよ! トサカッター!」
わたくしの剣幕をケタケタとあざ笑うエリス様。
一方、我関せずのモルペウス様はもしゃもしゃとポピーの花弁を食んでらっしゃいます。
「んまーい。エリスおねーくんもケシたべる?」
「ごめんけど食べないよ、ボクは花を踏み散らすのが常なんでね」
エリス様はわたくしのおへその真上に腰を落とした馬乗り姿勢のまま格好つけて言います。
その軽くも重い負荷にわたくしが耐えていますとエリス様、今度は丁寧におなかを撫でてきます。
「……あれ? 意外だね、けっこうカラットのハラミ腹筋ついてるんだ」
「食用鶏肉の希少部位ですよねハラミって言い方ァッ!? 発声には腹筋が必須ですから当然そりゃ吟遊詩人は大なり小なり鍛えてますとも。見た目に割れてる必要ないので体格はふくよかでもいいのですけどね。いや、そんなことよりですね!」
わたくしはまどろみが解けるにつれ、睡眠に至る経緯を思い出しておりました。
これだけは今ここでエリス様に問い質さねばならないとなりません。
「アレサ王女の父、アドニスを殺害したのはエリス様だというのは本当でございますか!」
「うん、本当だよ」
エリス様はなんのためらいもなく、あっさりとお答えになります。
殺戮の女神にとって、たかが人間一人を殺めることにさしたる感慨もないのはわかります。
この小さな苛立ち。わたくしの心までは不死の鳥になりきれていないからでしょうか。
「アドニスを殺したのはボクさ」
「なぜです!」
「つまらない同情はやめなよカラット。君はこれからあいつの野望を打ち砕く凶鳥だってのに」
「わかってます! だからこそ真相を知りたいに決まってるじゃないですか!」
「めんどくさ、ボクの目線で語っても客観性に欠くだけなんだけどもなー」
「ものがたりをしりたいのはぎんゆーしじんのさがだぁ~ね~」
ふわり、くるり。
月下の水面下を優雅に泳ぐ人魚のように、夢空間をモルペウス様が輪を描いて遊泳いたします。
輪は満月のような白銀の輝きを放ち、その向こう側より、真実を知る者がやって参ります。
「アドニスについて語るのは私の役目です、カラット」
――冥府の女王ペルセフォネ様。
わたくしは冥府の使いとしてお仕えする主人との再会に、なぜだか息苦しさをおぼえました。
散々にエリス様に不信感を煽られた末、王女アレサの秘密にもペルセフォネ様は関わっている。
「どうか、お聞かせください。我が主、ペルセフォネ様」
わたくしは動揺を隠すように、そう神妙に返事いたします。
……仰向けにベッドに寝そべり、おへそにまだエリス様が騎乗してることをさておいて。