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D03.そうだ今夜のおかずは焼き鳥にしよう

 ボレアス神殿にてわたくしが目撃したのはちょっとした地獄絵図でございました。

 この神殿は厳かな白石を用いて建造されています。雪の降り積もらない円錐系の屋根。暖炉がそこかしこにあり、床石には一定間隔で微熱を発する赤い魔術石を用いているので、真冬の寒さを快適に過ごせる設備が整っております。


 堅牢優美にして快適なる神聖な北風の神殿。

 そのほの温かい廊下の石床に、ぐったりと力なく神殿に仕える神官や宮女が座り込んでおります。

 鳥の翼を生やして鋭い爪を備えた有翼人のわたくしが素通りさせてもらえる程度に、神殿の一般構成員は軒並み気力を失っておりました。


 薄暗い紫の煙が神殿の床上を這って覆い尽くしているのです。

 この瘴気にあてられて、この方達はろくに身動きもとれないほど弱っているのでございます。


「腹が減った……」


「力が入らない……」


「めまいがする、何もする気が起きない……」


 死ぬ寸前、といったやせ細り方をしているわけではないのです。せいぜい多く見積もって一日から二日ほど食事ができていない程度の、まだ我慢しうるが強く危機感をおぼえる程度でしょうか。


 神域支配・空膳絶後。

 飢餓の神リーモス様の権能がもたらした災いの力は何と恐ろしいのでございましょう。


 罪なき人々への悪影響を最小限に留める。

 わたくしの要望に沿って、おそらくリーモス様は飢餓の力をほどよい程度に弱めていらっしゃる。

 それでも短時間のうちに、数百人という神殿内部の人間の大半が動くこともままならない。


 もしより強く飢餓の力を行使なされば、限られた食料の奪い合いだとか、体力の乏しい者から餓死していたのかもしれません。

 冥府の財宝の回収を、手段を選ばずに災いの神々に行わせては理不尽な悲劇を起こしかねない。


 もし、この横たわる人々が皆、飢え苦しみながら死んでいたとしたら――。

 あの料理勝負でわたくしが負けていれば、リーモス様を御することができていなければ、その惨劇の未来が訪れていたであろうことに胸の奥が冷たく寒い想像に苛まれます。


 リーモス様の権能の悪影響を受けない方法は、正反対である豊穣の力を授かるか、飢餓の料理を食すこと。あのリーモス様のピタ・ギロスを食べているわたくしには何ら空腹感がございません。


「……そこの人、何か、食べ物を」


 なるべく迅速に、一刻も早くこのわたくし自ら招いた小地獄を終わらせねばと回廊を進む中、不意に呼び止められてしまいます。


 食べ物を求める神殿の人間を、もう何人も無視して進んでおりましたのにわたくしが足を止めてしまった理由はひとつ。声の主は子連れの母、傍らに泣いてぐずつく年端も行かぬ女の子ひとり。

 半端な覚悟しかないわたくしにとって、それは無視しかねる出来事でした。


「この子の分だけでも、どうか……」


「……ありません。何も、持っていないんです。すみません」


 刻一刻、ひとりふたりに構っている間に他の数百人がより追い詰められていく。

 自分で蒔いた災いの種を刈り取らねば、この飢餓の苦しみから根本的には彼女らを救えない。


 己の無力さに言い訳しつつ立ち去ろうとした時、ふと思い出します。

 わたくしの懐中にある飢餓の精霊石の金記章、今この時に、気休めでも使うべきだろうと。

 紫の輝石のメダルを握り締め、わたくしは歌うように詠唱します。


「畏み申す、畏み申す! いと慈悲深き飢餓の神リーモスよ! 罪なき親子にお恵みを!」


 すると応えるように精霊石は淡く紫の光を帯びて瞬き、魔法の力を発揮いたします。

 親子のために、飢餓の料理が与えられたのです。

 燦然と輝く料理に、涙ぐんだ母は手を伸ばしてはその串を掴み、娘に与えます。


「アマラ、さぁ、これを食べて」


「いい匂いがする……」


 小さな女の子――アマラは泣きはらした目をこすり、その串料理を目にして驚きます。


 光輝が解け、料理がはっきり姿容が明らかになるとわたくしも驚きます。


「焼き鳥……っ! 焼き鳥だよママ!! 食べていいの!?」


「ええ、遠慮せずにいいのよ。でも神様に感謝してからにしてね」


「神様! いただきます!」


 空腹に泣いていた少女は一心不乱に肉汁滴る香ばしき焼鳥にかぶりつきます。

 ええ、有翼人のわたくしの目の前で。


 六本ほど皿に盛られた焼き鳥をぺろっと三串食べて、少女アマラは残り二つを母親に差し出します。全部食べたいでしょうに我慢して。


 焼き鳥を。


 親子は砂漠で水を恵まれたように生命を蘇らせるように、焼き鳥を頬張ります。


 とっても美味しそうに。


 焼き鳥を。


「お姉ちゃんもはい、どうぞ!」


 天真爛漫にアマラちゃん、よかれと思ってわたくしに差し出してございます。


 焼き鳥を。


 ハルピュイアのわたくしに。


「いえ! いえいえ! 遠慮いたします! わたくし鶏肉料理は食べない主義でして!」


「そんな、貴方は恩人です! どうかこの神の御慈悲をぜひ、貴方様にも!」


「いや本当に要らないので!? 見えませんこの翼!? 鳥はですね!? 共食い的でしてね!?」


「お姉ちゃん、アマラの焼き鳥、食べてくれないの……?」


 うるうると涙ぐむ幼女。

 善意がまぶしい。悪意が悔しい。

 飢餓の神リーモス様、きっと他のチョイスもできたでしょうにわざとわたくしをからかうために鶏肉料理をお与えになったに違いありません。あるいはエリス様の指示でしょうか。

 今この場に姿こそ見えずとも、きっとどこかで笑い転げているに違いありませんあの邪神親子。


「わたくし先を急ぎますので! 失礼いたします!」


「ああ、せめてどうかお名前を!」


「カラット! カラット・アガテールでございます! さらば!!」


 わたくしは脱兎のごとく飛び去ってゆきます。

 その後ろ姿を見届けつつ、幼女アマラは焼き鳥をもぐもぐ食みつつ不思議がります。


「鳥の羽根! あのお姉さん、もしかして魔物さん……?」


「さぁ、でも、そうだとしてもきっと良い魔物だわ」


「ばいばい! カラットお姉ちゃん! 焼き鳥おいしかったよー!」


「それはけっこうでございましたね!? ああもう!!」


 ああ、一刻も早くこの小地獄を終わらせなくては。

 豊穣の角笛を見つけ出すまでに、あと何回、わたくしは焼き鳥召喚せねばならないのか。

 そうはなるまいと神殿を一生懸命に飛び回るのですが、ここで大いなる誤算がひとつ。


 飢餓の力に苦しむ方々は、飢餓の料理を食せば助かる。

 即ち、飢餓の料理の匂いには本能的に空腹な者を引き寄せる力がありまして。


 わたくし、今しがた、焼き鳥の匂いにまみれてございますので。


「匂うぞ、匂う、これは……焼き鳥!」


「おお、焼鳥が飛んでいる!」


「ぐおおお……! 食わせろ、食わせろぉっ……!」


 これまで空腹のせいで身動きしなかった神殿の人間たちが一斉に、わたくしを貴重な食料品とみなして力ない足取りのまま追いかけ回すようになってしまったのです。

 まるで亡者の群れのように。


「ひぃっ!? なんでこーなるのでございますか!? わたくしは焼き鳥ではございません!?」


「クワッセロ―!!」


「ヤキトリトンデマス!!」


「ウマソデスカ!!」


「バゴハン!!」


 もう完全にこれではパニック活劇のワンシーンではございませんか。

 何言ってるのかわからない神官や兵士が武器を手に集団で迫ってくる恐怖たるや、ああ地獄絵図。


「クワッセロ―!!」


「食べないでくださーい!?」


 わたくしは必死に飢餓ゾンビどもから逃げ惑いつつ、災いの神々に恨みを募らせるのでした。

毎度お読み頂きありがとうございます。

深夜にお読みの方、申し訳ございませんでした。ちょっとした飯テロ案件です。

筆者は今晩はおいしい親子丼を食べようとおもいます。

おいしいですよねとりにく。

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