C12.飢餓の女神リーモスの召喚
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飢餓の女神リーモスとはいかなる者か。
ご清聴の皆さまはどのような姿容を想像なさっているでしょうか。
何分、この災いの神の一柱、吟遊詩人のわたくしにも伝承が思い出せないほどマイナーなのです。
冥府の闇に属して人々に語り継がれることもなく、それでいて凶事に際しては思い起こされるのが禍々しき凶神たち。それらを恐れてご利益のある神様を信仰するのが人の常でございます。
さて、飢餓とは。
飢餓とは、飢え苦しむこと。
その飢餓を司る神とは、もしや飢え苦しみを体現するような空腹で凶暴な怪物なのでしょうか。
吹雪の砦、雪のかまくらに魔法陣が光輝いたしますれば、ついぞリーモスの召喚がはじまります。
黒き煙が立ち込めて、紫の電光がバチバチと爆ぜまする。
ああ、夜の神ニュクスの血を継ぎし冥府の深淵より来る飢餓の女神よ。
ああ、災いの母エリスの腹を痛めし冥府の暗澹より覗く飢餓の女神よ。
恐れて見よ、目を瞑るなかれ。
光明なくともあろうとも、飢餓は昼も夜もなく忍び寄るのでございますから。
「飢ェルカム! ようこそ我が屋台へ!」
暗幕が上がれば、そこに在るのは目を疑うことに一台の移動屋台でございました。
その移動屋台の引手を担う者こそ、飢餓の女神リーモスそのお方。
四足の肉食獣らしき黒毛に覆われたカラダはオオカミに似ている一方、その首から上には美女が生えているというケンタウロスを彷彿とさせる異形の女神でございます。
それより何より目立つのは白い調理師服と高く長きコック帽子、紫色のエプロンでしょう。
醜悪な怪物を予想していたわたくしの予想は半分正しく、半分間違っておりました。
どこか禍々しい半人半狼の姿容は想像の範疇ですが、料理人風なのは想定外でございます。
「エリスマンマ! 久しぶり! あー、会いたかったぁ~!」
「わぁ! やめてペロペロするなぁ~!」
飢餓のリーモスは大きなオオカミの下半身に美女の上半身といういでたち、背丈はかなり高いのでございますが、その体格でひょいと母親であるエリスを抱き上げて顔をぺろぺろ致します。
寄ってみれば顔立ちは母親譲りに美しく、やや褐色めいた浅黒い肌、そしてオオカミらしく獣めいた耳と鼻と口をなさっています。にゅーっと突き出した犬科らしい口吻に長めの舌でペロリペロリとエリス様の顔を舐めるさまは微笑ましいやら恐ろしいやら。
わたくしも蛮族の端くれ、リーモス様のような半獣半人の蛮族や怪物に心当たりがないわけではないのでそこは同類として強い忌避感はないのです。さりとて、纏う空気感がどこか空恐ろしい。
飢餓と料理人。
なんだか、不吉な組み合わせに思えてならないのはわたくしだけではないはずです。
「自己紹介がまだだったネェ。ワタシは飢餓の女神リーモス! あなたが食材のカラットさん?」
「食べないでください!?」
リーモス様は狼の前足をバンバンと雪の上に叩きつけて「ハハハッ!」と大げさに笑います。
母エリス譲りの、クセの強い悪辣な性格なのでしょうか。
「ああ、それは失礼したネェ。マンマの呼び出しは屋台料理の出張サービス目当てばっかりだからワタシ勘違いしちゃったネ。調理してほしいのはこっちの冷凍食品?」
「だれが冷凍食品よ!!」
「じゃあ保冷剤? 美味しくなさそうだもんネ」
「コロス!!」
先手必勝、氷の槍。
鉄鍋がカンッ! と硬質な音を立ててクレオパトラ様の氷槍を弾いて防ぎます。
くるくるくると宙を舞う氷の槍、わたくしの足元すぐそばにザクッと突き刺さります。危ない。
「ハハハッ! おなか減ってるのかい? ワタシ気が強い子は嫌いじゃないヨ、飢餓だけにネ!」
たむたむとまた狼の前足で足元を叩き、リーモス様は自分の冗談で笑ってしまわれます。
クレオパトラ様の苛立ちは明白ですが、しかしふざけた調子にかえって頭が冷えたのか「……ふんっ。災いの神々に礼儀を求めたあたしがバカだったわ」と矛を収めます。
「いやぁでもワタシたち相性は良いはずだよ? 雪風に埋もれた食物を求めて彷徨う飢えた小動物の必死ぶりを眺めるのは死の季節の風物詩だからネ」
「……まぁ、秋に埋めたどんぐりを冬に見失うリスはおバカでかわいいとは思うけども」
和解成立、でいいのでしょうか。
今更ながらわたくしの関係者、ヤバい連中揃いすぎません? どうにも個性の偏りがひどい。
飢餓の女神リーモス様はよいせっと狼の背中にエリス様を乗せます。移動屋台を引きながらトコトコ歩き回る母子。幼女と愛犬。争いの女神と飢餓の女神。見かけと実体の乖離もひどい。
「モッすんモッすん、あのねー? ボクのおねがいは二つ。アルテイシアの角の回収を手伝ってほしってのと、ボクのお気に入りの冥府の使い、そこのカラットがキミに直接文句を言いたいんだって」
「ふーん、食材風情がワタシに文句をネェ」
リーモス様の雰囲気が急に鋭く尖ってしまわれたのは“お気に入り”という一言のせいでしょう。
エリス様との母子の仲が良好なればこそ、急に湧いたわたくしに嫉妬心を抱くのは無理もなく。というか意図的に争わせようという意図がエリス様から感じられます。
きっと『ボクを挟んで争い合うふたりを見るのは愉快だなぁ~』とか思ってますよ、このお方は。
しかし文句を言いたいと申したのはわたくし自身です。
虚言でない以上、ここは堂々と。
「わたくしはカラット・アガテールと申します。偉大なる飢餓の神リーモス様に申し上げたいことは二つ、日頃の感謝、そして一時の不服にございます」
恭しく頭を下げ、低姿勢に片膝ついて言葉いたします。
「災いの神々はその畏敬により我々地上の民草の愚かさを戒め、恐怖という警鐘を鳴らしてくださる大切なお役目を務めておられること、一介の名無し草として感謝を申し上げます。いかに飢餓が恐ろしいものかを予め知らしめておかなくては、愚かな地上の人間である我々はいざその時になるまで飢え苦しみの何たるかを忘れて、蓄え備える努力を怠ります。わたくしの故郷アルフィンホリオが今日まだ多数の死者を出すことなく、凶作飢饉に耐えて越冬を試みることができているのはあなた様のおかげであると、心より感謝を申し上げます」
わたくしは面を挙げ、まっすぐに飢餓の女神リーモスの眼を見つめます。
沈黙するリーモス様。
その瞳は人ならざる輝きを宿します。
琥珀色の目。金色の狼の目。
なぜ彼女がオオカミの姿であるか、わたくしには察しがつきます。
ひとつは戦神アレスの聖獣、また災いの母エリスの眷属として獰猛さと不吉さを象徴して。
もうひとつは狼が農耕の民にとって良き獣、益獣であるためです。
一般にオオカミには羊のような牧畜を襲う害獣という側面、そして鹿や猪のような農作を荒らす害獣を駆除する益獣という二つの側面がございます。
飢餓の神とは、飢餓をもたらす存在である一方、飢餓を知らしめる存在でもある。
荒ぶる神々によくある、畏れ敬えば加護を、侮りないがしろにすれば災厄をもたらすという話。
それを踏まえれば、まず敬意を払うことが第一に大切とわたくしは賢しくも考えました。
「……感謝、ネェ。口先ではなんとでも言えるよ」
「しかし、口に出さぬ感謝よりはよろしいかと」
「ふーん。ずいぶん口が達者だネ。マンマが気に入るわけだ」
リーモス様がちらと背中のエリス様を見やると、彼女は「でしょー?」と自慢げにします。
まるで「カラットはボクが育てた」と言わんばかりですが会って半日も過ぎてませんからね。
「で、ワタシに生意気にも文句ってのは何だい? 特別に聞いてあげるよ」
「はっ。文句というのは今年の凶作、とりわけわたくしの住まう故郷アルフィンホリオ一帯や近隣の飢饉について、なぜかくも厳しく実り恵みをお奪いになるかについてでございます。飢餓の煽りを受け、我々名誉蛮族は抵抗することもできず略奪を受けました。それが決められた自然の理だと仰るならば仕方ありませんが、貴方様が意図して行われた仕打ちだとしたら、なぜ我が故郷に飢餓をお与えになったのか、どうか愚かなわたくしにも納得できるようお教えください」
「それはホントに愚かな質問だネェ」
深くため息をつくリーモス様。
ここから先は何と仰るかの予想もありません。わたくしに神々の深慮など知る由もないのです。
「飢餓と豊穣は表裏一体、今年の凶作を決めたのはワタシの一存じゃあないだよネェ」
「と、申されますと……?」
「豊穣の女神デメテル、その娘にして同じく豊穣を司る冥府の女王ペルセフォネ、他にも何柱か。今年の凶作は彼女らと話し合った結果でネェ。飢餓を与えたのはワタシ、豊穣を与えなかったのはペルセフォネ達ってわけさ」
それは衝撃的な一言でありつつ納得のいく回答でもありました。
わたくしの後ろ盾だ、味方だと信じ込んでいたペルセフォネ様のご意思によってわたくしの故郷は困窮に陥っていたのですから、なんと皮肉なことでしょう。
「豊作と凶作、どちらかのみが何十年と不自然に続いたんならまだしもネェ。良い時もあればダメな時もある、それが自然の摂理だよ。そりゃ未来永劫に豊穣あれと願うのは人間どもの勝手だけど、自然にもバランスや限度があるからネェ。話を聞くに、キミが怒り悲しんでいるのは凶作や飢餓を与えられたことにじゃない。理不尽な略奪を受けたことだ。それって逆恨みジャナイノー?」
「ぐっ」
何も、わたくしは言い返せませんでした。
飢餓をお与えになったことを理不尽だと感じたのは無理からぬことでも、事実、故郷にもいずれ来る飢餓に備えた蓄財はあったのでございます。それはむしろ飢餓の恐ろしさを説くリーモスのおかげ。泣く泣く略奪を受け、それを手放すことになったのは別問題である。
とても悔しいですが、わたくしはまた深々と頭を下げて「お答えくださり、ありがとうございました」と丁寧に一礼を、そして己の浅慮を恥じる弁を述べました。
リーモス様はこてんぱんに言葉で打ちのめしてやったことに上機嫌なのか、はたまたわたくしの態度を素直で従順で好ましいと思われたのか、意気揚々とこうおっしゃいます。
「不敬な問いは許してあげるネ! キミみたいな賢いバカはワタシも嫌いじゃないヨ! でも、アルテイシアの角を回収する手伝いをしてあげるかは別問……」
「え? 召喚したボクの顔に泥塗る気?」
エリス様、リーモス様の狼耳のもふもふとした耳毛ににょろりと蛇を這わせて脅迫いたします。
毒親すぎますエリス様。
「で、でも、北風の神ボレアスの神殿に戦女神アテナの加護を受けた聖騎士が立て籠もってるんですよネ? コレ確実に攻めたら二柱、いやそれ以上を敵にまわすヤバいやつだよネ?」
「うん、最悪アテナは直接やってくるね」
戦女神アテナ。
一言で申せば、オリュンポス十二神最強候補の一人。エリス様と対になる宿敵です。
「帰ってイイデスカ」
「ダメダゾ☆」
無茶振りする邪悪ロリママ、恐怖する哀れなオオカミ娘。
エリス様がわがままで横暴なのはわたくし達だけでなく我が子にもであったとは。
リーモス様は苦し紛れにわたくしを指差して叫びます。
「では、コイツとの料理勝負で白黒つけるってのはどうでショー!?」
「はい?」
「あ、面白そー。それで決定! カラットが負けたらモッすんの好きに料理していいよ」
「はぁぁぁぁぁぁー!?」
次回、料理対決! 飢餓の神リーモスvsカラット!
……ってなんですとー!?