C09.『♂』⇒『。』
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西ぃ~、クレオパトラぁ~。
東ぃ~、エリスぅ~。
両者見合って見合って、八卦よい!
――と雪のかまくらを土俵に、ふたり半裸でお相撲で白黒つけていただければよかったのに。
仄白いクレオパトラ様の白雪の肌と日焼けしたエリス様の褐色の肌。
美しく凛々しきおふたりがわたくしを巡って正々堂々たる勝負を繰り広げ、肌と肌をぶつけ、絡み合うさまをじっくり鑑賞できるのは行事軍配を振るう甲斐がさぞありましょう。
なんで相撲があるんだよ、ですと?
あー、じつはこの物語の世界観的にアリといえばアリなのでございます。
古代よりパンクラチオンという格闘技がございまして、その名は「全力」を意味します。
全裸に素手、打撃と組技で参ったというまで戦うのが古代パンクラチオンの習わし。
皆様の知るところによると総合格闘技やプロレスに近いでしょうか。ああ、これがまた血濡れて戦う野蛮で暴力的なものでして、その過激さゆえか古代オリンピックの正式種目にも選ばれた人気のある見世物だったわけでございます。現代ボクシングやレスリングのご先祖様ともいわれます。
しかしまぁ古代パンクラチオンを麗しい乙女同士でやってみせるのは心が痛むので、皆さんのよく知る紳士的で神聖なスポーツであるところのお相撲をイメージしていただいた方がですね、まだ安心して見ていられるというわたくしの配慮でございます。
では、実際のところクレオパトラ様とエリス様の一触即発の事態はどうなったかと申しますれば。
「ボクに挑むのは百年早いんじゃない? ザーコザーコ♪」
「ぐぬぬぬ!」
猪突猛進に氷の槍を携えて突撃するクレオパトラ様を、ひらりとかわして軽くあしらうエリス様。
まるで勝負になっておらず、とてもご覧の皆さまに見応えのある絵面ではございません。
「どりゃああーーー!」
「にゃはは! 無駄無駄っ!」
実体のあるクレオパトラ様の槍突撃に対して、エリス様は軽々と避ける仕草こそしているものの、そもそもまだ実体を形作っていないので仮に当たってもほとんど意味がないのでございます。意味があったとて、不死の十二神の霊魂を仕留めるほどにはクレオパトラ様は強大な精霊ではありません。
ああ、どうせならば拮抗勝負、白熱の女神相撲が見とうございました。
「ううう、こいつ何なのカラット!?」
「何、と申されますと、えーと……」
「わくわく」
エリス様、わたくしがどう説明なさるかを楽しみに待っていらっしゃいます。
とにかく他人を困らせるのが生き甲斐なのでしょうか、この邪神。
興奮したクレオパトラ様を一発で納得させ、あの非常にややこしいエリス様を説明するには。
「このお方はですね!」
「このお方は……?」
「おちんちん生えてるのでわたくしの性癖的に絶対ありえないのでご安心ください!!」
凍りつく空気。
クレオパトラ様は氷の槍をポイ捨てするや否や、すぅはぁと深呼吸して大声で叫びます。
「こんなかわいい幼女に生えているわけないでしょ!? ウソつき!」
と猛抗議なさるのです。
場を荒らし、混乱を招いた張本人は否定も肯定もせず、わたくしの対応をにやにや見届ける心算。
ああ、ホント邪悪すぎます。
「本当にございます! エリス様おちんちん生えてるんです! 性癖の不一致でございます! 嫌がらせ大好きの困った女神様でからかっておられるのです!」
「今女神ってったわよね! 女神におち……は、生えてるわけないでしょ!」
「ではどうか自らお確かめを! どうなっても知りませんからね!」
「はぁ!? いいわよ! あるかないか確かめてあげる!」
クレオパトラ様はぷんすか怒りつつ、当然あるわけないと信じ切ったご様子で。
おとなしくするエリス様のお召し物の下へとするっと手を差し入れて、おさわりになります。
「ほら、何もあるわけ……」
「きゃんっ……♪」
「……凍れ」
「ぎにゃああああああーーーー!?」
ああ、なんたる大惨事。
急所に凍結攻撃を食らったのか、エリス様が悶絶してのたうちまわっております。
あのエリス様が初めて情けない悲鳴を上げられるとは。余裕の表情でわたくしをバカにしつづけた罰でございますね、きっと。
不死の神霊であったとて、精霊の冷気をもろに弱点に受けては涼しい顔してられないご様子。
いや、逆にあんなところを氷漬けにされて死なないだけ凄いとも。
玉が冷える、いえ、肝が冷える話でございます。
「がるるるる! 次つまんないもの触らせたらその粗末なアイスキャンディーを噛み砕くわよ!」
「怖い! こいつボクこわい!!」
「カラットの女癖が悪いのは覚悟してたけど、男はダメ! カラットも! さっき女神だって言ってたのに! ウソつきキツツキ!」
「かくかくしかじかで、エリス様はオリュンポス十二神のアレス様でもあるのでございます! わたくし何もウソは申しておりません!」
「え、オリュンポス十二神!? ウソでしょ……」
信じられないというご様子のクレオパトラ様。
ええ、まぁ、そうでしょうとも。
「はぁー、生き返るぅ……」
地獄の業火っぽい黒い炎を掌に浮かべて、それでお股を温めるオリュンポス十二神ですからね。
殺戮の女神にして火星を司る戦神そして数多の災いの母エリス様は背景にお花畑まで浮かべて、凍結した急所が雪解けするのを春のおとずれみたいにぽわぽわと喜んでいらっしゃいます。
「ボクあやうく普通の女神になっちゃうところだったよ……」
「……あ、それは良きお考えですね」
「凍らせて、ポキっと折る?」
「やめて!? ホントやめて!? ねえ知ってる!? 『♂』って火星を意味する天文記号なんだけどあれ火星の神様のボクのことだからね!? 天文学者が困るからね!」
「じゃあ今後の火星は『♂』じゃなくて『。』ってことで」
「ひっ! た、たしゅけてカラットぉ~!?」
泣きべそ幼女がいじめるお姉さんから逃げようとわたくしの脚にしがみつきます。
エリス様はすっかりうるうる涙ぐまれて、嗜虐心に欠けるわたくしとしては気が引ける次第。
それにしてもエリス様は意外と脆い、まるで見かけ相応な一面もあるのでございますね。
「ちなみに『♀』は金星を意味する天文記号、金星を司る愛の女神アフロディーテ様を表しますよ」
「そうそう、ボクの嫁!」
「不倫ですよね!? アフロディーテ様の正式な伴侶は鍛冶の神ヘパイトス様ですからね!?」
「……ねえカラット、オリュンポス十二神ってこんな連中ばっかなの?」
呆れ顔のクレオパトラ様。
わたくしは静かに首肯いたします。
「残念ですが」
奇人変人ならぬ奇神変神のオンパレード。
吟遊詩人としてはネタに困らず助かりますが、時々理解に苦しむのが悩みのタネでございます。
毎度お読みいただきありがとうございます。
お楽しみいただけましたらご感想、評価、ブックマーク等ご贔屓によろしくお願い致します。
今回の小話は『♂』と『♀』について。
作中言及のあるように『♂』は火星を『♀』は金星を表す天文記号です。
これが雄記号、雌記号として使われるようになったのは1751年、分類学の父カール・フォン・リンネという学者さんが植物の性別を表す際に用いたのがはじまりだとされています。
アレスとアフロディーテは恋人関係にあった男女の神様なので♂と♀を雄と雌を意味する記号に用いたのでしょうか。
『♂』という記号は、戦神アレスの盾と槍が由来だとされています。矢印っぽい箇所は槍を、円形っぽい箇所は盾を表しているわけですね。
『♀』という記号は、愛の女神アフロディーテの手鏡が由来だとされています。円形は鏡を、十字は握るための柄でしょうか。
ギリシャ神話においてはアレがナイナイしちゃうというのはじつは重要な意味があります。
原初の天空神ウラノス、最高神ゼウスの祖父にあたるウラノスは、ゼウスの父、ウラノスの息子であるクロノスに鎌でアレを刈り取られることで最高神の座を去ることになります。
この時、海へと落ちていったアレが泡となり、なんとそこから愛の女神アフロディーテが産まれたとされているのです。
有名な絵画「ヴィーナスの誕生」(裸婦が貝殻の上に立っているやつです)は、ローマ神話における金星の女神ヴィーナス=アフロディーテの誕生を描いた絵画です。
もしエリス様のアレがああなっていたら、もしかしたら新たな女神様が産まれていたかもしれませんね。