A03.冥府の渡り守カロン様とふたりっきりで 1/2
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るるるららー。
嘆きの川のたおやかな流れに我が身をゆだねて、わたくし、はるばる冥府の城へ向かいます。
到着までの一時、縄で縛られたわたくしとカロン様のふたりっきり。
おしゃべり好きの吟遊詩人としましては黙っていられる場面ではございません。
「カロン様カロン様、ひとつふたつ教えていただきたいことがあるのですが」
「……何だ? 私に質問するだけ無駄だ。魔獣ケルベロスを謀り、冥府の財宝を盗んだ咎人がこちらへ迷い込んできたとしか聞かれていない。詳しい話は冥府の城でだ」
「いやいや、わたくしが聞きたいのはそちらの話ではなくて、カロン様がご存知なことかと」
「……じゃあ何だ?」
カロン様は船を漕ぎながらわずらわしそうにお答えになります。
怪しげな黒のローブを纏い、骸骨の仮面で顔を隠されるカロン様は一見して不気味に見えます。
しかしなぜだか、わたくし、カロン様の素顔をどこかで見た気がするのでございます。
その薄ぼんやりとした記憶が正しければ、このお方の不気味な装束の下には……。
「カロン様はお美しくいらっしゃるのにどうして左様な仮装をなさるので?」
「なに? おかしなことを。妖鳥、いつ私の素顔を盗み見たというのだ?」
「さぁいつでしょう? 忘却の川水をもし飲み忘れていたとしても、死者の行列に並んでいるだけの死者の皆さまはカロン様のご尊顔を目にする機会はない様子。とすれば別の機会か、はたまた絵画に描かれたるお姿を思い起こしているのかもしれません。泣きぼくろが艶っぽくて素敵でした」
「……そこまで知っているとは、お前、何者だ」
警戒感を露わにするカロン様。
しかし漕手を休めることはありません。この通り、手足に羽根まで縛り上げられているわたくしに得物まで突きつける必要はないということでしょう。
「はて、さて。何者かといわれますと不詳わたくしカラット・アガテール、しがない名誉蛮族の吟遊詩人にして第三級の冒険者、アルフィン川の産湯に浸かりぴよっと生まれましたるは片田舎の」
「要点だけを言え!」
「要点、要点……。その、わたくし、もしや冥府の住人か何かなのでしょうか」
「冥府の住人? 私の仲間や知り合いだとでも? ……バカバカしいと言いたいが、確かに、そうでもなければ私の仮面の下を見る機会はない。しかしお前のような妖鳥の知り合いなんて心当たりは……いや、まさか、そうなのか?」
カロン様は深く思い巡らせておいでの様子。
わたくしは次なる一言を心待ちにいたします。
己の正体がいかなるものか、知りたいというのは純粋な探究心というもので。
少々不安はありますれども、後先ばかり考えて身動きできないのは本末転倒と心得まする。
「……ハルピュイア」
カロン様は重々しくその名を口に致しますと一度、漕手を休めてしまいます。
「地上と地底、現世と冥府、その橋渡し役になる冥府の従臣にハルピュイアといわれる妖鳥の姉妹がいる。本来ハルピュイアは四姉妹だったが、いつしか姉妹は二人になった。お前が冥府の神々の端くれだとしたら五体満足でこうしてのんきにしてられる説明がつく」
「ほほーう」
「神々は不死なる存在だ。己が何者かわからなくても、不死身であることが神性の証左だ。冥府に送り込まれようとも、根本的な死の概念がない。もっとも“死なない”ということは無敵ということじゃないがな。ハーデス様の沙汰次第では、お前は冥府の奥底タルタロスの監獄行きだ。そこで永遠に閉じ込められるのなら、いっそ死んで転生の機会を待てる人間どもの方がマシだろう」
「不死と永遠! いやはや、死ねなくても地獄住まいでは確かに元も子もございませんね」
「刑罰は串刺しか、火炙りか」
「焼鳥とローストチキンではございませんか!」
フッ、フフフ、とカロン様は仮面の下でお笑いになります。
我が事ながらなんだかおかしくて、釣られてわたくしも微笑んでしまいます。
ただしここだけの話、これは少々よからぬ悪巧みの笑みでもありました。