C05.ボクと恋愛しよう
◇
考える人。
とある著名な芸術家が見事に作り上げたこの思索する像が如く、わたくしはニレの大樹の上にて、深く考え込んでおりました。
愛とは何か。
そして、愛しの乙女におちんちんが生えていても、我が愛を貫けるのか。
かの詩人と名付けられた地獄門の考える像が如く、わたくしは深く考えるのでございます。
そして熟考の末、ひとつの結論に至ります。
「……わかりませんぬ!」
単純明快。
考えてもわからないことが世の中にはいっぱいある。下手な考え休むに似たりでございます。
「あははっ! キミらしいバカっぽい結論だなぁ~。バーカバーカ!」
災いの母にして争いの女神エリス様は黒髪の端をいくつもの蛇に化けさせ、あざ笑います。
実際おバカといわれてぐうの音も出ません。
「バカで結構! 小手先でちょっとそっと考えたくらいで結論が出せたら愛についてかくも地上の人々は翻弄されはしておりませんとも! しかし結論は出せずとも、理屈はわかりましたとも」
「ふーん?」
「愛する者と己との間に何かしらの障壁が在った時、それを乗り越えられるか、それを含めて愛せるか、というのがエリス様の問いかけの本質でございます。その障壁がおちんちんであれ、異性同性であれ、種族であれ、階級であれ、いずれも同じこと。それを乗り越えてなお愛し合えるのかは二人の愛情の深さ次第なのではないでしょうか! つまり、二人の愛の問題であって、わたくし一人によって結論づけるべき問題ではないのでございます!」
「……あれ? 意外と考えてみたんだ、へー」
わたくしの熱弁に、相変わらず膝上に据わっていらっしゃるエリス様は感心しているご様子で。
エリス様は腕組してうんうんとうなずいてくださいます。
「じゃあ、ボクを愛せるかは好きの度合い次第かもと言いたいわけだね?」
「でも! わたくし初対面のエリス様にそうあっさりとコマされたり致しませんからね!」
「じゃあお互いのことをもっと知って、じっくり時間を掛けたらわからないと、ふーん」
エリス様はいたずらげに悪巧み顔なさいます。
何をよからぬことを――、と怪しんでいるうちに、不意にエリス様は振り返って、わたくしを正面から抱いて頬を寄せ――。
強引にキスをなさるのです。
ほっぺに? いえ、この野蛮な邪神様が左様な上品な求め方をなさるはずがありません。
かぷっと。
エリス様はわたくしの鼻っ柱にキスをなさったのです。
一説に鼻へのキスが意味するのは「愛おしい」「守りたい」あるいは「可愛がりたい」といった庇護欲や愛玩欲だと申します。親愛でも友愛でもなく、子供やペットのような扱い。意外と遠慮がちと申しましょうか、もっと無理やり強引に迫られるかもと期待して……こほん、危惧していたのでわたくしおめめをぱちくりさせ、きょとんとしてしまいます。
「えへへ、キスしちゃった~」
なにかわいげに、ちょっと照れながら笑っちゃてるんですかこの子は。
かわいいけど! でも全然物足りない! そりゃドキッとはしましたけども!
ああ、わたくしが無駄にエリス様への抵抗感を示してしまったがために慎重になっておられる! 微妙な気遣い! なんとももどかしゅうございますよ、ええ。
等とおバカなジレンマに悩んで悶えるわたくしを、エリス様は爽やかに笑い飛ばします。
「いいよ、キミの考えついたバカげた回答を尊重してあげるよ」
エリス様は膝上から退いて、わたくしのことを引っ張り上げて立たせると正面から向き合います。
胸の高さ程度しかない幼い体躯で小生意気に。
そして自信たっぷりに言葉なさいます。
「ボクと恋愛しよう、カラット」
率直すぎて、わたくし返す言葉を思いつきません。
悪徳のフルーツバスケットみたいな悪しき女神の誘惑としては直球勝負ここに極まれりです。
高慢にもエリス様、自分と交際することが相手にとって魅力的提案であると確信してるのです。
ああ、そうでしょうとも。
わたくしとて、もしも性癖の不一致という障壁さえなければ、愛の女神アフロディーテさえ虜にするエリス様の誘惑にここまで抵抗を示せはしなかったでしょう。
極端を申せば、いつもの調子であっさり軽率に愛を求めていたことは想像がつきます。
いっそ力づくで押し倒されでもしていれば、わたくしは流されて一夜を共にしていたでしょう。
だのに、エリス様はそうなさらない。
恋愛しよう。
――それは一時の快楽と求愛のために閨事に興じようという提案ではないのでしょう。
「恋愛して、本気で好きになってくれたらボクのすべてをキミは愛せるんだろう? 面白い! 狩人が逃げる獲物を追うが如く、ボクはキミという愚かでかわいい小鳥を射止めてみたいんだ。しかも可愛がってるペルセフォネの愛鳥だなんて、泥棒猫気分が味わえて楽しそう! あははっ! 嫌ならボクを嫌ってもいいんだよ?」
「何をおっしゃるやら! 悪ふざけと嫌がらせと興味本位で三重に最悪じゃないですか!」
「わかんない? その最悪をボクに楽しませてくれるのはキミ以外にいないんだよ、カラット」
エリス様は心底、楽しそうでいらっしゃる。
わたくしの心を弄ぶことが彼女の娯楽として成立しているのでございます。
難儀なことに、その嗜虐的な悪い笑顔がなんともまぶしく輝いてみえてしまうのです。
「ま、いいや。今回はここまでにしといてあげる。今更キスより先を頼まれたってもう遅いよ」
「た、頼みません!」
わたくし口を尖らせて猛抗議いたします。
キスより先とやらをつい想像してしまい、ゴクッと生唾を呑んでしまったのは恋愛感情ではありません。ご清聴の皆さまいいですか、なにとぞ勘違いしないでいただきたい。
これは生意気ロリ女神とエロいことする妄想にエロい意味でムラっときた不純なエロ性欲ゆえの欲情であって! 断じて! 男女間の一般的な恋愛感情だとか! 純粋な相手への興味だとか! そうしたエリス様を調子づかせるような理由からではないとどうか誤解なきようにお願いします。
性欲! そう、エリス様との妄想は愛なきエッチな妄想に過ぎないのでございます!
「……はっ! エリス様! いつまでもわたくし冥界に留まってはいられません! 地上で死んでしまったのですよ! 早く現世に戻らなくては!」
ああ、エリス様のせいで完全に忘れておりました。
そうです、冥府の七つの財宝を取り戻すべく、第一の冥宝を求めてボレアス神殿に近づいたわたくしは問答無用でペガサスナイト三騎兵に殺害されて今ここに至るのでございました。
「現世に戻る? どうやって?」
「それはもう一直線に地上へ羽ばたいて……」
「あにゃはははっ! バカだね! 不死の神々にも地上にとどまるためには生命の器が必要なんだよ? 神霊体のままじゃできることは限られてるからね、不死鳥のキミだって例外じゃない。地上に取り残されてしまったキミの肉体はバラバラ死体か、もう封印か焼却かされてるかもね?」
「……は? はぁぁぁぁぁぁーーー!?」
「あーはっはっはっはっ! ボクそのまぬけづら大好き!」
最悪です。
この神様、ホント最悪です。
このロリかわエロいだけの性悪女神、ホント何なのでしょう。
まったく、親の顔が見てみたいとは思いませんか皆さま!
……え? エリスパパは最高神ゼウス様? またですか、最高神こんにゃろー!
毎度お読みいただきありがとうございます。
お楽しみいただけましたらブックマーク、評価、感想等お引き立てのよろしくお願い致します。
さて、今回のあとがきはエリス様について。
少々長くなりますので読み飛ばしていただいても構いませんが、それでよければご一読を。
当作でただいま登場中の災いの女神エリスは、モチーフであるギリシャ神話における三柱を統合した設定となっております。
まず殺戮の女神エニューオーは「恐怖」を意味する名でエリスと同一視され、別名であると解釈されます。
このエニューオーは血まみれの武器を携えた姿で描かれ、戦場ではアレスと共にあり密接な関係にあります。
しかしアレスとの関係は姉妹説、母説、娘説があるとあやふやなものであったりします。
一方、争いの女神エリスは戦いの神アレスの妹、双子の妹扱いで母や娘とはされません。このエリスは複数の災いの母であり、もしエニューオーと同一存在であるエリスがアレスの母であった場合、アレスは災いの神々と兄弟姉妹という不可思議なことになります。
軍神アレスは明確に父親を天帝ゼウス、母親はヘーラーであると言い伝えられ、エリスおよびエニューオーはアレスの妹のはずですが、ところがエリスやエニューオーにはゼウスやヘーラーと血縁がありません。
エリスを産んだのは夜の神ニュクス単独、もしくはニュクスと闇の神エレボスなのです。
つまり、この双子、ゼウスとヘーラーの子アレス、ニュクスとエレボスの子エリスという完全に異なる両親なのに表裏一体の双子というさらに不可思議なことになっているのです。
こうした矛盾はギリシャ神話にはよくあるもので複数の神話や信仰が合わさり、異なる語り部や物語から織りなされる壮大で多様なものであるからこそ生じるものと言えます。
エリス、エニューオー、アレスは密接な関係にありながら不明瞭な間柄、「殺戮」「争い」「戦い」それぞれが不可分で近似するために関連付けられたと想像できます。
よって当作の解釈としては「アレス、エリス、エニューオーは同一存在である」としています。
争いの女神エリスは戦いの神アレスにとって双子の兄妹かつ母親であり娘であり両親が異なる無二の戦友、という不可解な矛盾した状態を当作なりにアレンジしつつ整理した形となります。
少々ややこしい神話事情の新ヒロインですが、今後の活躍をどうぞお見守りください。
ちなみにエリスと冥府の渡し守カロンは同じくニュクスの子でエリスは長女にあたります。
一方、アレスと冥府の女王ペルセフォネは同じくゼウスの子でアレスは長兄にあたります。
カロンとペルセフォネに血縁関係は無きに等しいのにエリス様は二者のお姉さんお兄さんなのです。
ああ、神々の家系図のなんとややこしいことやら。