B09.冥王なら隣で寝ています
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ミラ・ボレアス商会の提案とはずばり、普通の預貯金でございました。
つまりは個人では管理しがたい金銀財宝をカラットの資産として商会に貸し預けて、商会はそれらの資産を元に商売を行うことで利益を得ます。
普通の預貯金なので少額の利息をもらえますし、元本は保証され、いつでも引き出しができます。
ローリスクローリターンってやつですね。
……え、思わせぶりにしておいてそれだけ? とわたくしだって思いましたとも。
ミラ会長の底知れない器量を考慮すれば、もっと言葉巧みに金銭への誘惑もできそうなものです。
「普通すぎて逆に怪しいのでございますが、これは一体……?」
「私には運命を読み解く力があります。断片的で心許ないながら、運命の糸というべきものを垣間見ることができるのです。もしこれ以上に過ぎた利益を追求すれば、きっと私は破滅するであろうと予期してのことです。いえ、運命を読まずとも、今回の一件は慎重に対処せねばならないことは賢い者にはわかることです。――だって冥府の財宝ですよ?」
きらり輝く糸車の文様。
わたくしは一瞬、ミラ女史の瞳に特異な糸車の文様が光るのを目にしました。
運命の糸。
運命を司る女神モイラを象徴する糸車を、人の身にして宿すとは不可思議なことでしょうとも。
この地上には時折、神々の力の断片を宿して産まれる、あるいは目覚める者がおります。
太古の昔より、神々は人間との間に子供を作ることがたびたびあり、これらを半神と呼びました。
それら半神の子孫は運命の気まぐれのように、先祖の半神の血を色濃く受け継いでしまうのです。
――半神の血。
ミラ女史には運命を司る女神の血が流れているというのであれば、三十半ばの若くして商会長の座につき、冠雪山麓都市を代表する豪商になれた“読み”は本物でしょう。
その彼女を言わしめて、慎重に対処するしかないとはよほどのことではありませんか。
「慎重を期した結果が預貯金、いわばバンクオブチキンという訳でございますね!」
「却下で」
「ぐっ、流行りそうな名前だと思いましたのに」
「流行っては困ります、個人との巨額の金融取引なんですから」
たしなめるミラ女史にてへっと愛嬌良くとぼけるわたくし。
コッケ―なやりとりに、そのさまを見守っていたアンナ様が薄っすらと笑ってくださいます。
「わたくし不思議に思っていたのです。これだけの巨額の財貨をどうしておとなしく引き渡してくださるのか。手紙をなかったことにすれば、カンタンにお宝が手に入る。それをせず、誠実に対応してくださるのはむしろ慎重を通り越して臆病でさえある。なぜ冥府の財宝だからとそうなるので?」
「それは死こそ生物にとって不可避の絶対なる運命だからです」
「……あー、忘れておりました」
わたくし、不死鳥になってしまったもので少々その感覚を忘れかけておりました。
死ぬのは怖い、というシンプルな感覚です。
酒場で声高に凍死も誉れと強がりを叫んでいた人々だってそうでしょうとも。死後の世界というよくわからないものに不安や恐怖をおぼえ、時に忘れたがるのは人の常です。
「ああ、冥府の財宝にまつわる事柄なんてきっと冥府の神々も注目なさってるはず。その渦中で悪徳を働けば、死後の処遇に響きかねない。むしろ協力しておいて良い印象を与えるチャンスだとおっしゃりたいわけですね!」
「その通りです、冥府の御使い様」
「ぴやっ!? なぜそれを知っていらっしゃるので!?」
「さぁ、なぜでしょうね」
ミラ女史はウサギ耳を模して両手をぴこぴこ動かして冗談めかします。
あれ可愛いと思ってやってるんでしょうかね、いえ、一周回って可愛いんですけども。
三十過ぎの成年女性がやるにはギリギリ感が漂ってるのですよね、ウサちゃんポーズ。
一切の照れもなくうさみみポーズをやりきる度量、美人であればギリギリセーフなラインを見極めてやる計算高さ。恐ろしい方でいらっしゃいます。
「わかりました! ちょっと上司に相談させていただきます!」
「……上司とは?」
「お察しの通り、ペルセフォネ様ですよ」
「なっ……」
ミラ女史が青ざめ、冷や汗を流したのをわたくし見逃しませんでした。
いかに計算高くウサミミあつかましい大商人とて、冥界のナンバー2の名を聞けば驚きもします。
虎の威を借る狐の気分でちょっぴり得意げになりつつ、わたくし冥府音をピポパと鳴らします。
『……ん、むう、カラット? どうしたのかしら?』
おや、なにやら寝起きっぽい様子。
それに何やら小さく寝息も他に聞こえて参ります。
「あの、もしやお隣でどなたか寝ていらっしゃいます……?」
『ん、あの人だけど』
「失礼、あの人とは……?」
『ハーデスよ、冥王ハーデス』
なんということでしょう。
応接間の全員がペルセフォネ様の爆弾発言に凍りついてしまいました。
つまり、わたくし、寝室で寝ていらっしゃった冥王夫妻とうっかり通話してしまっているのです。
死後に響く悪徳ポイント一気に100点は加算ですねこれは。
「め、冥王様がお隣で寝ていらっしゃるので……?」
『ええ、事後です。夫婦の営みです。たまにはするでしょう、夫婦ですもの』
冥王なら隣で寝てるぜ。
――なんて衝撃すぎます。わたくしはまだしも、地上の人々であるミラ女史とアンナ様には。
『愛人のカラットとしては複雑なキモチかしら? もしかして嫉妬してくれてる?』
「いや、あの、じつはですね、この通話……」
『安心して。あなたのことをずっと愛していますよ、カラット。わたしの愛しい小鳥ちゃん』
そして通話越しにチュッとキス音を鳴らしてくださるペルセフォネ様。
ああ、この溺愛されっぷり、本来は嬉しくもありこそばゆくもあるところでございますが――。
これ、不倫現場ばっちり目撃されちゃってるんですよねー……。
死後に響く悪徳ポイント5億点越えってとこですね、はい。
「じつは私の隣にもいるのですよね、その、とある地上人が……」
『……ふーん』
ペルセフォネ様、一呼吸を置いて。
『アエロー、その人達の名前を教えてくれる? タナトス(死の神)ノートに書かないと』
そう冷たい声でおたずねになられるのでございます。
冥府音から暗黒の瘴気じみた黒い靄がドロドロ湧き出してくるかのように錯覚するほど恐ろしく。
口の軽いわたくし、ついうっかり喋ります。
「ミラ・トライト様でございます!」
「ちょっちょ、まっ!? ちょっと待ってよ!?」
『ミラ・トライト……、記名完了、書きました』
ああ、どうかご冥福をお祈りいたします、ミラ・トライト様――。