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B02.クレオパトラと雪山の小屋でふたりっきり

 雪山の小屋にて、ふたり、のんびりとした時間を過ごしております。

 わたくしカラットと雪風の精霊クレオパトラ様はしばし暖炉のそばで雑談にかまけておりました。


 なにせ、いまだ外は猛吹雪がつづいているのです。

 悪天候の中、必死に羽ばたいたところでどうなりましょう。日が落ちるまでに冠雪都市ボレアポリスに到着しそうもなく。


 冥府の七つの財宝を見つける、という使命は大事です。けれども気ばかり焦っても仕方なし。

 幸い、この吹雪のためか、冥府音に示される財宝の反応はほとんど動いておりません。

 そういうわけでかれこれ二時間、いや三時間か、わたくしおしゃべりを楽しんでおります。


「ですからわたくし申し上げたのです。キツネの鳴き声はトウモロコシではございません、と」


「あははっ、ひどいオチね!」


 幸い、吟遊詩人はおしゃべりに長けます。ほんの数時間で尽きるほどネタ不足ではございません。

 クレオパトラ様は雪風の精霊として生まれ変わって以来、ほとんど雪山や雪原、時たま都市をこっそり尋ねるだけで他人と話す機会に恵まれず、退屈なさっていたようです。


 わたくしは雪を溶かして白湯を作り、冥土の焼き菓子を添えて、ささやかな茶会と洒落込みます。


「ケルベロスにソップを贈る、ということわざをご存知ですか? かの冥府の番犬ケルベロスは美しい音色に眠り誘われてしまった伝説の他に、はちみつの塗られた小麦粉の焼き菓子に釣られて侵入者をまんまと通してしまったことがあるそうです。このことから袖の下を贈る、いわゆるワイロをしてケルベロスにソップを贈る、というのでございます。ああ、しかし誰が職務怠慢だと責められましょうや、美味なるお菓子の甘い誘惑には神々も魔物もよだれがしとどと滴り落ちましょう」


「なんともかわいい駄犬ね。しかしその話、こうして甘い菓子をつまんでいる時だからいいものの、小腹の空いた夜更けに聴かされた日には噛み殺されても文句は言えないわね」


「はわわ、食べないでくださいまし~!」


 おどけるわたくしの所作に釣られて、クレオパトラ様はくつくつとこらえきれずにお笑いに。

 誰もいないはずの真冬の雪山の木こり小屋からかしましい笑い声が聴こえてくるだなんて、新手の怪談噺のタネになりかねませんね。


 凛々しいしかめっ面も嫌いでないのですが、朗らかに笑ってくださるクレオパトラ様のご尊顔も見ていて幸せな気分になれます。

 しかしクレオパトラ様は憂い色濃く、ふとした拍子に暗い影を落とした表情を垣間見せるのです。


「あの、なにか気に病むことでも?」


「……良きハルピュイア、お前のせいよ」


「ぴゅい、わたくしのせい、でございますか」


「ええ、そうですとも。真冬の雪山にわざわざ足を踏み入れるものは稀よ。同じ精霊でさえ寒さを嫌い、身を隠す。冥府の女王ペルセフォネの婚礼をきっかけに世界に冬という季節が生まれて、我が父である北風の神ボレアスの誕生につながった。冬がない世界に北風も雪風も成り立たないから、そこは感謝しないといけない。けれど冬は死の季節、否が応でもさびしくなる。今一時はこうして楽しく夢中になれても、また明日には凍てつく銀世界にひとりきりだ。……ごめん。これは八つ当たりね」


 切なく、儚く、ちょっと幼く。

 クレオパトラ様の感じされるどこか幼気な印象は、きっと寂しがり屋な一面も理由でしょう。


 それにしたって、なんて可愛げのあることをおっしゃることか。

 いささか“仕込み”も手伝っての事とはいえ、こうも求められると嬉しいのなんの。


 わたくしは誠心誠意、クレオパトラ様のひんやりとした手を手で包んで、お答えします。


「人生に出逢いあり、別れあり。わたくしは風また風の渡り鳥、どこ吹く風の根無し草、あなた様のお心をこうして惑わせておいて、遅かれ早かれ飛び立ってしまう。それを罵ったとして、八つ当たりとは思いませんとも。……そうですね、ここはひとつ、悲しいことを話しませんか?」


「悲しいこと……? どうして」


「楽しいことばかりを話していれば心満たされるわけではございません。あなた様にとって、それは冬のない四季のように不完全なものにございましょう。なんでもいいのです。このさびしさを思い出させた罪滅ぼしに、わたくしに愚痴のひとつでもこぼしてみてくださいな」


 そう誘われて、クレオパトラ様は少し戸惑いますが、やがて切々と語ってくれました。

 一言一句を伝えるには長い話でございますのでその一部始終を語ることはできかねますが、かいつまんで要点を申せば、以下の四つ。


 双翼の勇者カライスとゼーテースの英雄譚。


 その敬愛する双子の兄達を殺してしまった、とある大英雄について。


 父親である北風の神ボレアスとのこじれた親子関係。


 雪風の精霊としての日々の喜びと悲しみ。


 いずれも一朝一夕に話せば解決という訳でなく、まさしく相談ではなく愚痴に他なりません。


「なにが大英雄だ! 兄上達の惨劇をさも美談のように騙りおって、ヘラクレスの末裔どもめ!」


「あはははは……。嘘か真か、箔付けにヘラクレスの末裔を名乗る輩はキリがないですからねぇ」


「ハルピュイア! ホットワインのおかわりを!」


「は、はいはいただいま!」


 愚痴も長引いてくるとのどが渇いてきたと言い出して、クレオパトラ様はどこからともなく葡萄酒を持参して、暖炉の火であっためて呑み始めたのでございます。


 このホットワイン、単にあたためたのではなくて、スパイスやフルーツを交えます。今回は砂糖、シナモンスティックに干しリンゴと干しレモンを加えて、なんとも甘酸っぱい仕上がりでございます。


 わたくしもいっしょに飲んでおりますが、ああ、白湯とは異なってスパイスとアルコールが体の底からじんわりあたためる感じは雪に閉ざされた山小屋ではこの上ないごちそうでありましょう。


 ぐび、ぐびり。

 とりわけクレオパトラ様の飲みっぷりたるや、酒豪とまでは申さずとも、恨み辛みに悲しいことを酒の肴にしながらホットワインを煽るものだから勢いが止まりません。


 はたと気づけば、小鍋いっぱいのホットワインをふたりで飲みきってしまった始末でして。

 はらほろひれはれとなんとも酔いが回って、ふわふわのぽかぽかで。


「……ひっく」


「あわわ、クレオパトラ様、飲み過ぎでは!」


 完全に目が据わっております。

 凍てつくサファイアの瞳がどんより淀んで、暗黒が渦巻いているかのよう。なんだか恐ろしい。


「はるぴゃいあ! おみゃーをやっつけたら冬祭りにゃもってこいの手土産になるとあたしは勇んで、あのざまだ! わらえよ! わらえよ~はるぴょいや」


「クレオパトラ様、“ピャ”でも“ピョ”でもなく“ピュ”でございますよ」


「ごめん! おわびにもっぱいのむからゆるして!」


「斬新なお詫びでございますね!?」


「ふゆゆゆゆゆ」


 ぐでんぐでんになったクレオパトラ様を、わたくしも千鳥足でよろめきつつベッドへ運びます。

 このまま子守唄でも聴かせて寝かしつけてしまいましょうか。

 これはこれで楽しい一時ながら、少々ハメを外しすぎてしまった気がしてならず。


「……かりゃっと」


「はい、カラットでございます」


「ふゆ」


 気の抜ける声と裏腹に、クレオパトラ様は力強くわたくしを引き寄せてしまわれます。


 ベッドの上に折り重なるふたり。

 ホットワインの甘酸っぱい吐息。

 ちょっと小生意気に、なんだか誇らしげににんまり笑って、彼女は朱色の頬を吊り上げます。


「今は、パティと呼んで」


 その響きに、誘惑に、チカっと脳裏によぎる名がありました。


 クレオパトラ様の仰った“パティ”とは、わたくしの冒険者仲間パトリツィア様の愛称でもある。美少女という一点を除いて、さして似てない両者が今この時は重なってみえてしまいました。

 彼女への未練も断ち切れぬまま、愛欲に溺れて、焦がれて、刹那的に愛を求めるわたくし。


 暖炉の薪がカランと燃え崩れ、火の粉を吐き、ふたりの沈黙に爆ぜる火花の音を添えます。


「……パティ。あなた様はわたくしのことを良きハルピュイアと呼びましたが」


 わたくしのてのひらで撫ぜた氷の翼の乙女の素肌は、ほんのりと冷たくて。

 けれども、確かに汗ばんで、雪風の精霊らしからぬ奥底の熱い火照りを伝えてきます。


「やっぱり、わたくしは悪いハルピュイアかもしれませんね」


 目と目で見つめ合う。

 額と額をくっつけ合う。

 唇と唇を求め合う。


 冬の山小屋、暖炉の火は夜中ずっと絶えることなく燃えていたのでございました。

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