B01.強襲! 雪風の精霊クレオパトラ! 2/2
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通話を終えたわたくしは雪山の木こり小屋を見つけて一時お借りさせていただきます。
暖炉に薪をくべて、借りた旨と心ばかりの謝礼金を包んだ書き置きを残して、暖を取ります。
あわや凍死という危機から一転、安心して暖炉の火にあたるとぽかぽか気持ちようございます。
氷の翼の乙女、クレオパトラ。
彼女は暖炉の火にあたっても翼が溶けたりはしないようで、あたたかいのが苦手というわけでもないらしく、今はすやすやと眠っていらっしゃいます。
その間に、わたくしは冷たくなったお弁当のパンやおかずを火で温めておきます。
それに仕込みを少々……。
「いいですか。目が覚めたら、あなたはわたくしのことを敵だと思いません。わたくしがあなたを助けたからです。誤解は解け、好意的にみてくださいます。よろしくおねがいしますね?」
催眠術、といっても万能無敵というわけではなく。
ほんのすこし、意識の薄らいでいる間にすりこみをしておくのがせいぜいでございます。
わたくしの声には人の心を操る不思議な力があります。
ただし、それはささやかなものでして、根本的に当人に不利益であったり欲求に反することには反発されてしまいます。
誘惑するには魅力がなくてはなりません。
睡眠欲や情欲はその点、いつでもだれでも潜在的に宿している欲求です。魅力的な誘惑たりえます。
少々気を咎める点もありますが、まぁ、今回はやむなしということで。
「さぁお目覚めくださいクレオパトラ様、昼食の準備ができておりますよ」
「……ごはん!」
がばっとベッドから飛び起きたクレオパトラ様は左右を見回して、わたくしと食事を見比べます。
本来ここでわたくしへの警戒心が勝るべきところを、クレオパトラ様はあっさり捨て置いて食事のテーブルにつくと香ばしく湯気立つパンを優先します。
「いただきます!」
空腹だったのか、あちちと熱さに翻弄されつつ、パンと干し魚の切り身、チーズとオリーブの野菜サラダなどを平らげてゆきます。
食べ方は行儀が良いというほどでもなく、かといって粗暴でもなく、所作は庶民的です。
クレオパトラ様は途中からパンを千切って魚とサラダを挟み、豪快にかじりついております。
「いやぁ、見事な食べっぷりでございますね」
「冬の雪山だぞ! あったかい食事があったら誰でもこうなる!」
わたくしも同じく食事に舌鼓を打つのですが、朝食をしっかり冥府でいただいてきたので夢中で食べるほどではなく、やはりこの差は空腹によるものでしょうか。
「……この食事は、お前が用意したのか」
「いかにもたこにも。といっても、冥府で用意してもらった食材をちゃちゃっと温めただけですが」
「冥府の食事だと!? そんな、あたしは“また”死ぬのか……!」
クレオパトラ様はガタッと席を立ち、苦しげによろめき、演劇のような立ち振舞をなさいます。
しかしいつまで経っても死なないので、こほんと咳払いしてまたテーブルにつきました。
まるで何事もなかったかのように装って。
少し赤面しているところを見るに、大げさに騒いだことが小恥ずかしいご様子で。愛らしい。
「冥府にいる時、冥界の特別なたべものを食す。というのが冥界にとどまらなければならなくなるルールだそうですから、地上では何ら問題ないそうですよ」
「ふん、笑いたければ笑え」
「ところで“また”とは? こうしてお元気なのに死んだご経験でも?」
「あたしは死んだ後に雪風の精霊に生まれ変わったもんでさ。あたしのことより、お前は何者だ? 邪悪なハルピュイアではないのか?」
「何者か、と聞かれましたら答えてあげるが世の情け!」
わたくしは大仰に、自慢の喉声を披露しながら自己紹介をいたします。
「冥府の財宝を探すため! 地上の平和を守るため! 愛と幻想の歌を奏でる! 冥府の使い! 吟遊詩人カラット・アガテールにございます! 以降お見知りおきを!」
朗々とした通りのよい声で手振り羽根振り演じてみせますれば、なかなか様になっていたようでクレオパトラ様も小さくぽてぽてと拍手をくださいました。
「冥府の使い……。憎めないやつだが、邪悪なハルピュイアであることに間違いないんだな」
「邪悪だなんてとんでもない! わたくし清廉潔白、悪いことはしておりません! ……たぶん」
ええ、はい、エロいことはしてますとも。
おまけにいえば冥府の財宝を盗んだ罪滅ぼしに今こうして回収の使命を与えられているのですが。
「あたしの双子の兄さんたちはね、伝説の英雄なのよ。大昔、邪悪なハルピュイアの姉妹を退治したってね。その時ハルピュイアは命乞いしたから兄さんたちは慈悲深いことにゆるしてあげたのよ」
「もしや双翼の勇者カライスとゼーテースの物語でございますか! わたくしも存じておりますとも、ああ、確かにあのお話に登場するハルピュイアは悪さしておりましたものねぇ……。でもでも、少なくともわたくしは違いますよ! ご安心ください!」
クレオパトラ様はそのお美しいサファイアのような瞳でわたくしのことを精査いたします。
まじまじと顔を見つめられますと、はぁ、なんとも言えず恥ずかしい限りでございます。
責めるような、値踏みするような視線。
美少女のこうしたトゲトゲした視線にゾクゾクするのは世にわたくしだけではありますまいて。
唇をツンと尖らせ、白磁の肌は暖炉の灯りに照らされております。
「……そっか、ごめん」
素直な謝罪の一言に、わたくし目を丸めました。
「あたし、間違いは素直に認めることにしてるの。意地になって反省できないのはカッコ悪いもん」
後ろめたさに視線を泳がせつつも、クレオパトラ様は最後には深々と頭まで下げてくださいました。
わたくしとしては申し分ない態度で、逆にこちらも「こちらこそややこしくってすみません」とつい謝ってしまう次第。実際、嫌われるのは慣れっこですし。
「この翼、この脚爪、わたくしのような蛮族は誤解されること、憎悪されること日常茶飯事ですので。どうかお気になさらず。どうか気落ちせず、元気はつらつな顔をお見せください。貴方様のようにお美しい方がしょげるより、微笑んでくださる方がわたくしうれしゅうございます」
わたくしは膝をつき、クレオパトラ様の手を包んでは微笑みかけます。
すると想い通じたのか、彼女も雪解けるようにふわっとほほえみ返してくださいました。
暖炉の薪がパチパチと熱く、火の粉を舞い上げて爆ぜる音がふたりの間に響きます――。