B01.強襲! 雪風の精霊クレオパトラ! 1/2
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『あははははーっ! 凍てつけ! 凍れ! 凍えろ!!』
白一色に吹雪く寒空、こだまする高笑い。
北方の冠雪都市ボレアポリスを目指して飛んでいたわたくしを襲ったのは正体不明の猛吹雪。
何たることか、このまま凍える北風に晒されつづけては冷凍チキンに早変わりでございます。
なに、お夜食に便利そう?
滅相もない、電子レンジのない舞台のおはなしですからね!?
とにもかくにもぴゅーぴゅー吹きます銀色の風もう寒いのなんの。
バナナがあれば何十秒でカチコチに凍りつきポッキリ折れるか試したいほどでございます。
「ええい、しからば!」
わたくしは翼が凍りつく前にと、ぴゅーんと真上に飛んで猛吹雪とはおさらばです。
地吹雪は地表の雪を強風によって舞い上げて生じています。地表から高く離れてしまえば、重みのある雪は天高くまでは届きません。いやはや、我ながら素晴らしい機転ですね。
こうして猛吹雪から逃れて一安心と思いきや、わたくしを狙う声の主はどうにもしつこいようで。
『薄汚れたハルピュイア! 災いの翼! 逃げるなっ!』
「ぴゅい!? 一体なんなのでございますか!?」
白雪舞う地表の猛吹雪を二つに割って、びゅおーんと飛び立ってくる影ひとつ。
後方を追いかけて羽ばたくのはわたくしのように背中に翼を有する、美しき蒼き髪と衣の乙女。
しかしてその翼は、わたくしのようにあたたかな羽毛で覆われているわけではありません。
猛禽類に似た翼でありつつも、それは氷像のように太陽の光を乱反射させます。
氷の翼の乙女。
遠巻きに見てもわかる、凛々しくも美しき雪と氷の遣わした美にわたくし見惚れてしまいます。
「観念したのね、ハルピュイア! 捕まえてやる!」
「ああ、捕まえてくださいまし!」
突撃してくる氷の翼の乙女を、わたくしはこの懐中で受け止めて差し上げます。ぎゅっと。
まさに予想外の迎撃。
「何をする!? 離せ!」
「えへへー♪ 捕まえたのはそちらではございませんか~♪」
「キモい! 抱きつくなァ!」
じだばた抜け出そうと氷の翼をばたつかせる乙女。
わたくしと彼女は空中で乱雑に回転しながら揉み合いになります。
ここでポイントになるのがわたくしの半人半鳥らしい猛禽の脚でして、鷲掴みという言葉があるように、わたくしの脚爪は鋭く力強いのです。かといって乙女の柔肌をみだりに傷つけるのは趣味でないので、慎重に足首をぎゅっと鷲掴みにして離れられないようにしているのです。
「この密着状態なら吹雪にも邪魔されずにわたくしの声が聴こえますよね」
「だったら何だ!」
「では――聞き惚れていただきましょう」
わたくしは耳元でささやくように歌います。魔性の歌を。
まどろみの呪歌。
たちどころに意識は薄らぎ、氷の翼の乙女は浅い眠りの中へといざなわれてゆきます。
あの魔獣ケルベロスにも通用したのです。至近距離なればこれくらいはできて当然にございます。
しかし完全に意識を失ってしまうと空中では厄介この上ないので、うっかり地吹雪の真っ只中に不時着せずに済むよう、半分は起きていてもらうことにいたします。
「ら~ららら~、ねむれやねむれ~」
「ん、む、くぅ……何を、した……」
「さぁ、おねむりくださいまし」
眠りに落ちた氷の翼の乙女。
わたくしは懐中に抱きとめて、ランデブー飛行しつつ彼女をじっくりと観察します。
見目麗しいのはいうに及ばずですが、わたくしより一回り二回り体躯は小さくて、ちょっと幼い印象がございます。
氷雪を司る力に氷の翼、察するに精霊の類でしょうか。
精霊とは、神々に準ずる眷属にして自然界や事象の化身とされております。
とりわけニンフといわれる精霊たちはうら若い乙女のすがたかたちだと言い伝えられております。
上位の神々に対する、下級の神々とも言えるでしょうか。
いやはや、各地の様々な土地ごとに美女がいるとはなんと素晴らしい神話世界であることか。
「さて、あなたが何者か、教えていただけますでしょうか」
うろんな瞳。
虚空を見つめる光なき眼、ぽっかりと空いた口で氷の翼の乙女は答えます。
「……くれお、ぱとら」
「クレオパトラ、素敵なお名前ですね。なんだかとても高貴な響きです。……あ、もしやお父様は」
「ぼれ、あす」
「北風の神ボレアス! やはりでございましたか!」
わたくしは重大事実判明にあわてて冥府音でペルセフォネ様に連絡差し上げます。
「もしもしペルセフォネ様! 重大なトラブルに遭遇いたしまして! かくかくしかじかでして!」
『北風の神ボレアスの娘を……催眠術にかけて抱いている? カラット、貴方という人は……』
「だいたい合ってますがまだ何もしてませんから!?」
『“まだ”?』
「けほけほ、ああ喉に雪が! ええと、で、どうしましょう。北風の神ボレアス様といえばなかなかの大物でございますよね。これから向かう冠雪都市ボレアポリス、まさにボレアス様のお膝元だったはず……、お知恵をくださいペルセフォネ様!」
『いいでしょう、少しお待ちなさい』
ああ、さすがは冥府の女王ペルセフォネ様であらせられる、なんとも頼もしい限りです。
なにやら書棚でも漁るような物音がしばし聴こえた後、ペルセフォネ様はこう答えました。
『北風の神ボレアスの父親は星空の神アストライオス。アストライオスの母親はエウリュビアー。エウリュビアーの父親はポントス。原初の海神ポントスは貴方の祖父、ボレアスにとっては曽祖父です。つまり、あなたとボレアスは血縁関係であり、ボレアスはあなたの目下です。冥府の使いと名乗り、かつ目上の親類とあれば穏便に事は済むでしょう』
「神々の家系図ホントややこしいですよね……」
『それはそう』
通話越しにもペルセフォネ様の重い溜息が聴こえてきます。いちいち資料を見ないと把握できない神々の家系図には苦労していらっしゃるご様子。
「しかしまぁ、予感はしていたのです。氷の翼を目にした時、なんとなくわたくしと似てる気がして。遠縁ながら同じ海神の血を引いていると。疾風の女神と北風の神となれば、同じ風の神様ですしね。いえ、わたくしがホントに疾風の女神アエローの生まれ変わりかというのは半信半疑なのですが……ともあれ、ありがとうございました」
『どういたしまして。でもそんなことより一刻も早く、カラダをあたためなさい』
「え!? 気が早くないですか!?」
『体温の低下に対処しなさいと訂正します』
「あ、そちらでしたか」
『もう、この色ボケさん』
ペルセフォネ様の口ぶりがちょっとやわらかいのがむずがゆくてなりません。
昨日の今日でございますからね。
毎度お読みいただきありがとうございます。
今回もこぼれ話をひとつ。
皆さん「おや、クレオパトラ? なぜエジプトの女王様の名前が雪風の妖精?」と思ったのではないでしょうか。
じつはかの有名なエジプトの女王、クレオパトラ7世はギリシャ由来の王族なのです。
またクレオパトラという名は古代ギリシャ語で「父の栄光」を意味する由緒ある、そして時々見かける名前なのです。
北風の神ボレアスの娘としてクレオパトラという名前があるだけでなく、他にも若干名同じ名前の女性がいたり、現代でも人気のある名前だといわれています。
ともあれ北国のクレオパトラにどうぞご注目あれ。