婚約破棄された子爵令嬢ですが、溺愛してくれる婚約者と最高の就職先を手に入れました。
「アイディリア、今日で君との婚約を解消しようと思う」
学園の卒業記念パーティーの夜に婚約者から告げられた言葉は、残酷なものだった。
彼が隣国からの留学生である美しい男爵令嬢と親しくしていることは既に知っていたし、その令嬢が男爵家とはいえ特産品の商いで財を成した家の、溺愛されている一人娘だということももちろん知っている。だけど、よりによって今日なのかと思ってしまうのだ。
「……イグナーツ様は、ツベルト男爵令嬢と新たに婚約されるのでしょうか。お父上のオル子爵もご了承済みで?」
「なんだ、知っていたのか。ならわかってくれるな?」
なにが「知っていたのか」だ。知らない方がおかしいというレベルで人目をはばからずかの令嬢とベタベタしているのは自分ではないか。その上なにが「わかってくれるな?」だ。卒業後に新しい婚約者を見付けることがどれだけ困難か、そっちはわかっていないしわかろうともしないのだろう。それなのに私には物わかりのいい態度を求めてくるなんて、どれだけ傲慢なんだ。
「……承知いたしました。家同士のことですので、正式な婚約解消は父のレルネ子爵へオル子爵から申し入れてください。父へは事前に話を通しておきます」
「ゴネないでくれてよかったよ。君は別に俺のことを好きじゃないし、ちょうどいいだろう?俺より成績がいいんだから、どこかに就職だって出来るさ」
最後にそう言い残して、彼女を待たせているからと足早に去っていた。卒業パーティーにエスコートもしてくれない婚約者への未練は全くないが、せめてもう少し早く申し入れてくれたら在学中に次の婚約者を探す機会もあったかもしれないのに……
◇◇◇
アイディリア・レルネ子爵令嬢は、貴族界のギリギリ端っこに引っ掛かっているような地味な子爵家の長女として生まれた。人はいいけど貴族らしい駆け引きの才にはいまいち恵まれなかった父と、前衛的過ぎて滅多に買い手がつかない独特の絵を描く男爵家出身の画家の母、年の離れた弟に優しい祖父母の六人家族で、最低限の使用人と領地でひっそりと暮らしていた。
婚約者だった男は同じ子爵家の三男で、領地も近く父親同士が学園の同級生だった縁から、入学前に婚約関係となった。この国の貴族は15歳になると貴族学園への入学と寮生活が義務付けられており、我が家と似たり寄ったりでこれといった特徴もない子爵家の三男という条件の悪さでは婚約者探しが難航するだろうと憂慮した彼の父親が申し入れてきたのだ。
「いくら向こうからの申し入れでも、他にもっといい人がいればそっちにいくのは、当然の判断だよね……別に好きじゃなかったし……いいんだけどさぁ……」
これはもう、婚約解消ではなく一方的な婚約破棄といっても過言ではないだろうと憤る気持ちと、他の人を想っている男と結婚せずに済んでよかったなという気持ちで半々くらいだ。今夜のパーティーでは親しい女友達はみな婚約者と共に過ごしているし、食事を楽しむ気分にもなれそうにない。少し早いけど寮に戻ろうと、玄関ホールに足を向けた。
(卒業したらどうしよう。今から先生にお願いして仕事を紹介してもらう?それともおじい様のツテで就職先を斡旋してもらえないか……心配かけちゃうな)
卒業後は結婚して家庭に入る予定だったので、突然進路未定になってしまった。成績が良ければどこかで働けるだろうと無責任なことを言われたが、いくら何でも急すぎる。そもそも、本当は祖父が定年まで勤めていた王立研究所の言語学教室に行きたかったのに、家庭を疎かにして卒業後も学問にかまけるのかと苦言を呈したのは元婚約者なのだ。自分は騎士団に入って王都の騎士寮で見習い生活をするというのに。どうせ私にオル子爵家のことを丸投げする気だったのだろう。とはいえ過ぎたことをいつまでも怒っていてもしょうがないので、明日にでも先生に相談してみよう。
つらつらとそんなことを考えながら歩いていると、すぐ近くに見知った顔の同級生がぼんやりと佇んでいた。
「あれ、レルネさん。もう帰るのかい?」
「えぇ。ハーヴェイさんは今来たところ?」
「うん……なんなら来たくなかったんだけど、さすがにそういうわけにもね……」
レオカディオ・ハーヴェイは、領地を持たない代わりに王立図書館と王立研究所を管理するハーヴェイ伯爵家の嫡男だ。在学中の総合成績は常にトップで、卒業後は王立図書館に次期館長として勤務すると聞いている。今の私からしたら物凄く羨ましい職場だ。
「ハーヴェイさんはいつも本を読んでいるから、こういう催しはあまり好きじゃないんだろうなって思ってたよ」
「まさにその通り。卒業パーティーじゃなかったら来なかったよ……レルネさんもこっち寄りの人じゃない?」
「そうだね。だから気持ちはものすごーくよくわかる……」
「はは……この時間も全部読書に充てたいよね……」
彼は常に本を携帯し、隙あらば読書をしている。私が教室で祖父から贈られたお気に入りの異国の絵本を読んでいたら話しかけてくれて、そこから仲良くなった。共通点が多く、お互い華やかな場を好まず自分の好きなことに没頭していたいタイプなので、何かと話が合うのだ。
「レルネさんはイグナーツと一緒に来たんじゃないのかい?」
「一緒に来ていない上に、今しがた婚約を解消したところなの。だからもう帰ろうかなと思って」
「……今しがた?」
「えぇ、今しがた」
「新鮮なんだね……?」
「それはもう、ピチピチだよ。でも、元々こうなるだろうなと思ってたから、ハーヴェイさんは気にしないでね。突然こんな話しちゃってごめんなさい」
今後の事を考えると憂鬱なことに変わりはないけど、他者に話したことで少し心が軽くなったような気分だ。有難いことだ。
「えっとじゃあ、今レルネさんは婚約者がいなくて、今夜のパーティーでエスコートしてくれる相手も不在ってことでいいのかな」
「その通りです。付け加えると、卒業間近にこんなことになっちゃって進路はどうしようかと途方に暮れています」
「じゃあ、もしよかったらなんだけど、僕と婚約してくれないかな。卒業後はうちの図書館か研究所に勤めればいいし、レルネさんの言語学の知識は重宝されると思うんだ」
「え、仕事を斡旋してくれるの!?しかも王立図書館か王立研究所!!??」
「どっちも万年人手不足だし、レルネさんみたいな人が来てくれたら助かるな」
「わー、わー、ありがとう!!!!」
まさかこんなトントン拍子に仕事が見つかるとは。その上今なら婚約まで付いてくる!
っていや、ちょっと待って。
「あの、私の聞き間違えだったら恥ずかしいから確認したいのだけど、ハーヴェイさんいま婚約って言わなかった?」
「ん?うん、言ったよ。ハーヴェイの関係者は大抵図書館か研究所に勤めてるし、僕はいずれハーヴェイ伯爵になって王立図書館長になるから、レルネさんが補佐してくれたら助かるなって思って」
婚約解消話がまだまだ新鮮なうちに、突如として新しい婚約話が舞い込んできたのだから、驚くしかなかった。
◇◇◇
「で、それからどうなったの!?」
「いいお話だし、有難くお受けしますって返事したよ。とはいえまだイグナーツとの婚約解消が成立してないから、まずはそれからだよね」
「そうだけど、そうじゃなくてー!!!!リアってばなんでそんな平然としてるのよ!!!!!」
あの後ハーヴェイさんと二人でパーティー会場に戻った私は、婚約者と仲睦まじく過ごしていたはずの友人たちから質問攻めに遭い、なんとかそれを躱しながらごちそうを堪能した。開始早々にイグナーツに連れ出されて何も口にしていなかったので、学生食堂のコックさん渾身のパーティー料理は骨身に染み渡る美味しさだった。そして今、寮の自室でルームメイトに詰め寄られている。
「今聞かれても答えられることはないし、お父様にもハーヴェイさんにも迷惑かけたくないもの。だったらご飯食べるしかないなって」
「そんなこと言っておきながら、ハーヴェイさんと最初のダンスを踊っていたじゃない!イグナーツも口開けてあなたたち二人を見てて、ツベルトさんに叱られてたわよ」
「そうなの?せっかくツベルトさんと婚約できそうなんだし、余所見なんてしてたら彼女に失礼だよね」
「最初に言うことがソレでいいの!?」
「マリアベルはパーティーの後だっていうのにそんな大きい声出して、元気ね」
「これが出さずにいられますかっての!!!!!」
この国の作法では、夜会の最初のダンスは伴侶か婚約者と踊ることになっている。相当する人物が居ない場合は親族と踊るか、輪に加わらないのが一般的だ。なので、傍から見たら私とハーヴェイさんは婚約者同士に見えただろう。
「たぶんだけど、ハーヴェイさんも決まったお相手がいなくて焦ってたんじゃないかな。それに、私から急にイグナーツとの婚約解消の話を聞かされて、同情してくれたんだと思うの」
「要するにリアは、ハーヴェイさんは自分の事を好きなワケじゃないって思ってるの?」
「彼って本以外のことに興味ないんじゃないかなぁ。私は言語学をかじってるから話が合うところもあるけど、基本的に人間に興味がない人に見える」
どんな相手とも当たり障りなく接しているし、クラス委員を務めていたこともあって大勢から慕われている人だけど、彼が一番生き生きとしているのは読書中だと思う。いつもいい笑顔で読んでいるし、異国の言葉で書かれた古い物語本を持ってきて「ここの解釈ってこれで合ってるかな?レルネさんはどう思う?」と質問してきたときも、頬がほんのり赤くなっていたさせていた。よほど本が好きなのだろう。
「私としては、なんなら婚約の話はその場しのぎのことでも構わないから、就職の斡旋は本気の言葉であってほしい。書面にしておけばよかった!」
「フツー逆じゃないー……?」
あははと笑いながら、私はベッドに潜り込んだ。
今日という一日の最後に考えるのが、婚約破棄と言っても過言ではない一方的な婚約解消のことじゃなかっただけでも、ハーヴェイさんには感謝したい。
◇◇◇
翌朝はスッキリと目が覚めた。卒業パーティーを終えると最終学年の生徒たちは一度王都の屋敷か領地に戻り、卒業後の進路のための準備期間に入る。本来だったら私はオル子爵夫人から必要なことを学び、イグナーツが騎士団の見習い期間の三年を終えたのちに正式に結婚する予定だった。そのため今日から領地の屋敷に帰り、数日ゆっくり過ごしてからオル子爵家のへ出立する予定だったけど、どうしたものか。ハーヴェイさんは詳しいことは追って連絡すると言っていたけど、その連絡は寮に来るのか屋敷に来るのか聞いていなかった。
「リア、おはよう。私は今日から領地に戻る予定だけど、そっちの予定が決まるまで一緒にいようか?」
「ううん、大丈夫よ。妹さんも待ってるだろうし早く帰ってあげて」
「水臭いこと言わないでよー!せめてハーヴェイさんから連絡来るまではいてもいい?それか、カミロにお願いしてハーヴェイさんを呼び出してもらう?」
カミロはマリアベルの婚約者で、ハーヴェイさんとは親しい間柄だ。お願いしようか迷っていると、魔術具のメモが家族からのメッセージが来ていることを示す淡いピンク色になっていた。
「ごめん、家族から何か連絡が来てるみたい。ちょっと待ってて」
「イグナーツのことかしらね……?困ったことが書いてないといいのだけど」
この国には王族とそれに連なる者だけが起動できる古の魔術遺産と、少量でも魔力を有する貴族なら使用できる魔術具がある。各国がそれぞれ異なる魔術遺産を保有しており、そこから派生した魔術具の性質が国の在り方を決めていると言っても過言ではない。
私が暮らすアデリア王国は生活を豊かにするような便利な魔術遺産を多数保有していて、家事全般をはじめとする暮らしを助けてくれるものから、長距離の移動や通信を簡単に行えるようなものまで、用途は幅広い。このメモもそのうちの1つだ。近年では更なる改良が進んでいて、魔力を持たない平民でも使える短いメッセージをやり取りできる魔道具が普及し始めている。これらを主に研究するのが王立研究所で、魔術遺産を魔術具や魔道具に転用するためには様々な言語や魔法陣の知識が必要なのだ。
『アイディリアへ
昨夜、ハーヴェイ伯爵家の執事の方が我が家を訪ねてきたよ。レオカディオ・ハーヴェイ伯爵令息からの求婚をリアが受け入れたので、すぐにでも顔合わせの場を設けたいと申し入れがありました。
半年ほど前からオル子爵の我が家への態度が横柄になっていたので、このままイグナーツ君と婚約させておくのは心配だと思っていたところです。昨夜既に彼からリアに婚約解消の申し入れがあっtことも聞いたので、オル子爵と手続きをしておきます。この件で困ったことがあればハーヴェイ伯爵もお力添えくださることになっています。伯爵はかつておじい様の元で学んでいた生徒さんで、この婚約を歓迎してくださっているそうです。だから、リアは何も心配しなくていいからね。
お父様より』
ぽやっとした父だけど、娘の幸せを願っていることが伝わってくる。そしてハーヴェイさんの動きが早くてびっくりだ。お陰で父が婚約解消に責任を感じて落ち込んでしまわずに済んだので、後でお礼を言わなくては。
「お父様やレルネ家の皆が心配しなくて済むよう、早めに根回ししてくれたのかな」
「それもあると思うけど、サッサと外堀を埋めて婚約を確実なものにしようという気概を感じるわ。ハーヴェイさんって思った以上にリアに本気なのかも」
「卒業しちゃったら、同年代でちょうどいい結婚相手を探すのって難しいからね。私も昨日焦ったもの」
「んんー?それだけじゃないんじゃないかなぁ……?」
ニヤニヤするマリアベルを横目に、身支度を整え食堂に向かった。運が良ければ食堂でハーヴェイさんに会えるかもしれない。
◇◇◇
食堂に着くと、窓際の席に座っていたハーヴェイさんがこちらを見付けて手を振ってくれた。いつもは二学年下の弟さんと一緒にいるけど、今日は一人のようだ。
「アイディリア、おはよう。ラウレーさんも、よかったらこちらの席で一緒にどうかな?」
「おはよう、ハーヴェイさん。もしかしたら私もレオカディオって呼んだ方がいいのかな?」
「そうしてくれると嬉しいな。ゆくゆくはレオって呼んでくれると一番嬉しい」
「段階を踏んでいくって、親しくなっていく実感が持てていいね。じゃあ、今日からレオカディオって呼ぶね。いつかはリアって呼んで欲しい」
「イグナーツは君を愛称で呼んでなかったし、早くそうなれるよう頑張りたいな」
「ヤダこの二人、相性バツグンじゃない……?」
ニヤニヤするマリアベルと共に食事を受け取りに向かうと、昨夜と同じように友人たちから再びの質問攻めに遭った。
「ねぇねぇねぇ!なんでアイディリアがハーヴェイさんと一緒にご飯食べてるの!?初めのダンスも踊ってたし、婚約するの!!??」
「ていうかイグナーツはどうしたのよ!婚約解消したの!?」
「どうせイグナーツはツベルトさんに夢中なんだからどうでもいいでしょ!そんなことよりどうやってハーヴェイさんを射止めたの!?」
理解のある友人たちで何よりだけど、私が射止めた訳じゃないのでなんと答えたらいいものか。そして早くレオカディオのところに戻りたい。
「アンタたち、仮にも淑女なんだから落ち着きなさい!ハーヴェイさんがリアを待ってるんだから、早く行かせてあげなさいよ!!」
「あ、だったらマリアベルはこっち来て色々教えてちょうだい。リアはハーヴェイさんと二人っきりにさせてあげましょ」
マリアベルが快くみんなを引き受けてくれたので、一人でハーヴェイさんのいる席に戻ることにした。厚い友情に感謝だ。
「ごめんね。人目につかないところで話せたらよかったんだけど、あまり時間もなかったから……」
「ううん、大丈夫。魔術具のメモを分け合っておけばよかったね」
「用意してあるから後で渡すよ。とりあえず、食べながらこれからの話をしようか」
レオカディオは昨夜実家に連絡して、婚約が決まったことと、相手のレルネ子爵令嬢は元婚約者との婚約解消手続き中なので、そちらが円滑に進むよう口添えしてほしいと伯爵であるお父様に頼んでくれていた。伯爵夫妻と一番下の弟さんはこの報せを大いに喜んでくれて、早急に正式な婚約を結ぶため各所に連絡を取り、オル子爵家にはなるべく早く婚約解消の手続きをして欲しいと伝えたようだ。
「オル子爵はイグナーツからまだ何も聞いていなくて慌てていたけど、レルネ子爵家との婚約は解消する予定で動いてたから支障はないそうだ。よほどツベルト男爵家と縁を結びたいらしい」
「勢いもお金もある男爵家だし、なにより隣国との縁を結べる機会なんてめったにないから、オル子爵の考えは当然のものだわ。それにしたって、もっと早く言ってくれればよかったのに……」
「その通りだね。そしたらもっと早くアイディリアと婚約出来て、恋人同士として学園生活を楽しめたのにと思うと、僕も残念だよ」
「え……恋人同士?として?」
レオカディオは、ただの婚約者として私を受け入れるんじゃないのだろうか。私だってイグナーツと婚約していたからわかるけれど、婚約者イコール恋人同士とは限らないのが貴族社会というものだ。婚約はあくまで家同士の結び付きや貴族としての義務を果たすためのものであり、そこに心が伴っているとは限らない。そういったことを説明すると、レオカディオは初めて見る物凄くいい笑顔でこう言った。
「それってさ、逆もアリだよね?貴族同士の婚約でも恋人同士にはなれるし、心が伴っていて悪いことなんて1つもないだろう?それに僕はイグナーツと違って、婚約者は自分の意思で選ぶ。将来を共にしたい相手としか結婚する気はないからね」
その言葉を聞いて、途端に胸が高鳴った。
「レオカディオは……私の事が好きで、ずっと一緒にいたくて婚約を申し込んだの……?」
「もちろんそうだよ。信じがたいなら、改めてここで申し込もうか」
昨夜はあまりに急だったしねと言うと彼は席を立ち、私の前に跪いた。
「アイディリア・レルネ子爵令嬢。僕、レオカディオ・ハーヴェイは初めて言葉を交わした日からあなたをお慕いしていました。既にイグナーツという婚約者がいたのでこの想いは秘めていたけど、二人の婚約が解消されたので、正式に婚約を申し込みます。僕と結婚してくれますか?」
昨夜婚約を申し込まれたときは余りにさらっとしていたし、何よりその後に提示された勤め先が魅力的過ぎてそちらにばかり気を取られていた。
「え、えっと、私の、一体どこがいいの……?イグナーツには、見た目も家柄も趣味も地味で面白くない女だって言われ続けていたから、男性から見た私が魅力的だとはとてもじゃないけど思えないの」
「僕はアイディリアのふわふわの巻き髪もキラキラした緑の瞳も可愛いと思ってる。レルネ領の領民の暮らしは安定していて堅実な領地経営をしていることがわかるから、君のお父上には凄く好感が持てるよ」
「そんな風に言ってもらったの、はじめてだわ……」
「それに、君が学んでいる言語学は魔道具の発展に必要不可欠な学問だ。地味の一言で片付けるような人間はうちには居ないから、安心してほしいな」
「そっかぁ……なんだか、凄く嬉しい。容姿を褒められてドキドキしているし、家の事を悪く言われなくてホッとした」
私はレオカディオが差し出してくれた手を取った。
「婚約したら、こうやって一緒に食事をしたり、同じ部屋で本を読みながら過ごしたりしたいな」
「もちろんだよ。君の望みはなんだって叶えたいし、きっと僕の望みと同じことばかりだと思う」
「ありがとう。あなたと結婚できるの、とっても嬉しい」
私がそう言うと、いつの間にか集まっていた周囲の人たちから大きな拍手と声援が送られた。
「レオって女子に興味あったのか!おめでとう!!!」
「リアーーーーよかったねーーーーー!!!」
昨日の今頃は、夜の卒業パーティーに誰からもエスコートされないことを残念に思っていたというのに、たった一日でこんなに幸せになれるなんて想像もしていなかった。イグナーツも愛する人と婚約をするようだし、お互いにとっていい結果になったと思う。レオカディオに卒業間際まで婚約者がいなかったことにも感謝したい。
こうして私は、愛してくれる婚約者と最高の就職先を手に入れた。
◇◇◇
「レオ兄!上手くやったな!!」
「クスト、見てたのかい?」
クストディオはレオカディオの二歳年下の弟で、同じ学園の生徒だ。普段は朝食の時間を共にしているが、今朝に限っては愛しの婚約者のためにその時間を空けたいという健気な兄の意向を汲んで、弟は二人を遠巻きに見ていた。
「アイディリア・レルネ子爵令嬢かぁ。言語学の権威レルネ教授の秘蔵っ子らしいな。そんな子が研究所に来てくれるなんてありがたいなー!」
「クスト、アイディリアの勤務先はまだ未定だよ。図書館に来てくれたら一番いいんだけど……」
「いっそ兼務してもらえばいいんじゃねぇの?どっちも人手不足なんだし」
「彼女が激務になるのは許容できないよ。僕と過ごす時間だって必要なんだから」
「婚約者が出来た男は言うことが違うなぁ……」
ハーヴェイ伯爵家は、今でこそ伯爵家だが元は王家から分家した家門だ。学問を司る一族として政治からは遠ざけられ、領地を持たず王立図書館と王立研究所の運営を領地経営の代わりとし、長い時間を掛けてその立場を盤石なものとした。王立の機関を王家の代理人として治める一族だと敬意を払われることがほとんどだが、歴史の浅い貴族家からは、王宮に出仕せず政治に疎く武力も持たない一族として軽んじられることもしばしばある。その悪評の影響に加えて、相応の知識を必要とすることもあって職員採用のハードルは高く、どちらの職員も常に不足していた。
「陛下からは、あまり選り好みせず一から育てる気概で人を雇いなさいと言われているようだけど……」
「そんな時間があったら研究していたいよなぁ」
「そもそも僕らみたいな人間って、人を育てることに向いてないよね。第一王女殿下が学園入学と同時にセラ叔母さんに師事するらしいけど、大丈夫かなぁ?」
「かの優秀な王女殿下なら、案外なんとかなるんじゃね?ついでに叔母さんにいい感じの伴侶を斡旋してくれないもんかな」
「人の事はいいから、クストも早くお相手を見付けなよ」
「ホント言うことが違うな!昨日まで同じ立場だったのに!!」
クストディオは移動の魔術遺産の研究と魔道具への技術転用に没頭しており、目下の野望は飛行の魔道具の開発だそうだ。
「どっかにいないかな……空を飛ぶ浪漫をわかってくれる好奇心旺盛で快活な女の子……」
「貴族のご令嬢では難しいかもね。いっそ特待生の平民の子から探してみたら?他の伯爵家と違って、うちなら平民からの伴侶でも気質次第では問題ないだろう」
なんせ一族の全員が何かしらの研究に没頭しており、その中で暮らしていくのだから並の感覚の貴族令嬢が馴染むのには相応の努力がいるだろう。
「兄さんはいつからレルネ子爵令嬢に目を付けてたんだ?」
「二学年に上がった頃かな。彼女、ノルディラ王国の古い絵本を辞書もなくさらっと読んでいたんだ。しかもその本は実家から持ち出した蔵書だって言うんだから、婚約者がいなければその場で申し込んでたよ!」
南方の大国ノルディラは継承争いが苛烈で、長い歴史で幾度となく内乱が起こった結果、失われた書物や言語が数えきれないほどあると言われている。アイディリアはその国の、絵本とはいえこの国とはまったく異なる言語で書かれた物語を昼食後の読書時間に楽しんでおり、聞けば幼い頃祖父に読み聞かせてもらった思い出の一冊だと教えてくれた。
「教授、引退後の楽しみは孫と遊ぶことだって言ってたらしい。今は領地で2番目の孫と遊んでるんだろうな」
「弟さんも是非うちに欲しい人材だね。今から根回ししておこうか」
「いやマジで、オル子爵がレルネ子爵家との縁を惜しまずにあっさり手放してくれてよかったな~」
オル子爵は、たまたま領地が近く年齢もちょうどいいという理由だけでアイディリアと息子を婚約させたようで、イグナーツが学園でもっといい条件の令嬢と縁を結べたらレルネ子爵家との婚約は解消しても構わないと考えていたようだ。イグナーツもそれを承知しており、野心をもってさまざまな令嬢に粉を掛けていた。留学してきたばかりで彼の素行不良をまだ知らない時にまんまと篭絡されたツベルト男爵令嬢は、彼との婚約を隣国の両親から反対されているという。オル子爵はそのことを知っているのだろうか。
「今夜は両家の顔合わせを兼ねた夕食会だから、クストも遅くならないうちに屋敷へ向かってくれるかな」
「勿論!エルディオも楽しみにしてるだろうし、早めに帰るとするわ」
「アイディリアの弟さんも来るから、うちの末っ子と仲良くなってくれるといいな」
幸せな未来予想図を脳裏に描きながら、アイディリアと合流し自邸に向かうべく歩き出した。
◇◇◇
その後のアイディリアは、全員が何かしらの学問オタクなハーヴェイ伯爵家一同に大歓迎された上、彼女の勤め先をどちらにするかで図書館長の伯爵と研究所長の伯爵夫人の間で揉めに揉めた。最終的にはアイディリアの祖父の後押しで研究所の言語学教室に所属し、数年の婚約期間を経た後に二人は結婚した。
お互いを「リア」「レオ」と呼び合うようになり、末永く仲睦まじく暮らしたという。
なお、ツベルト男爵令嬢は隣国の幼馴染から「君が戻ってきたら求婚するつもりでいた。どうか僕を選んでくれないか?」と求婚され、イグナーツに別れを告げて早々に帰国したようだ。オル子爵家がその後どうなったのかはここでは割愛させていただく。
初投稿です。
長めのお話を書いてる途中に、ふと思いついた脇役のエピソードを膨らませてみました。
長めのお話はこちら、完結済みですのでよければ是非。
「婚約破棄されたので、悪役令嬢は聖女を元の世界に戻します~殿下が恋した聖女は幼馴染に片想い中~」
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