第8話『騒乱』
「ほら、少しずつ騒がしくなってきた」
遊魔の隣にいる飛鳥は、すまし顔で言った。
その周りでは、サイレンがけたたましく鳴り、道路には、緊急時を告げる大型車がせわしなく通り過ぎている。
「学校で火事だってよ!」
「マジ? 授業か何かでやらかしたのかな」
街の人々も、早足で同じ方向へ向かっている。
だが、遊魔と飛鳥は急ぐことなく、周りの空気感とは正反対に落ち着き払っていた。
飛鳥の属する、第42区の中高一貫校は、多くの生徒が通う大規模な施設だ。
その巨大な校舎が、炎に包まれた。
「ああ、燃えてるねえ」
校舎に近づくと、飛鳥はうっとりしたように言った。
遠くから見ても、火の手が上がっているのがわかる。
「何故涼しい顔でいられる」
お前が通う学校だろう、と遊魔。
「あんな場所、燃えちゃえばいいんだよ」
と、飛鳥は平然と言った。
「あわよくば、僕をいたぶるクラスの輩どももね……。せいぜい死んで償えばいいさ」
飛鳥は校舎をじっと見据え、ばーん、と言いながら右手を開き、爆発を再現した。
すると、飛鳥の動作に合わせるようにして、大きな衝撃音が鳴った。
「……あはは」
乾いた笑い声をあげる彼に、遊魔は呆れ気味に訊いた。
「まさか、お前が仕掛けたんじゃないだろうな」と。
「あらかじめあれを仕掛けておいて、お前はそれに巻き込まれまいと回避したんじゃないだろうな」
「まさか」
飛鳥は困ったように言った。
「わざわざ大嫌いな場所に行ってまで、そんなめんどくさいことはしないよ」
「大嫌いな場所、か」
と、遊魔は反復した。
「騒がしい猿どもの檻、団体行動の強要と連帯責任」
飛鳥は歌うように言った。
「明確な理由も明かされないルールたち、ブッ潰される個性」
そう続けた声は一段と低く、冷気を帯びていた。
高等部一年の彼は、学校で異端児として扱われている。
本人としては普通に振舞っているつもりでも、教員を含めた周囲は彼を「変わった生徒」と見なし、特に生徒は、それだけの理由で彼を退け、輪に入れまいとしている。
中にはいじめに値する言動をとる者もいて、彼は「いじめを受けたら先生に相談しましょう」という教員側の決まり文句を信じ、自分がやられていることを担任に知らせた。
が、担任はまともに取り合おうとしなかった。
担任はすっかり飛鳥を「問題児」とレッテルを張り、彼がどんなに助けを求めても、それを信じようとはしなかった。
そんな彼は、他人に直接的に害を及ぼすようなことはしておらず、ただ、彼が納得していない校則に従わずにいくらか変わった身だしなみをしている、つまり「みんな」と合わせないという理由で、問題児として扱われていた。
学業の成績も決して悪くなく、むしろ、クラスメイトたちの妬みの対象になるくらいだった。
結局口ばっかりかと、飛鳥はすっかり失望し、クラスの人間たちと分かり合うのをすっかり諦めてしまった。
「あの場所が燃えたって、僕は何にも困らないさ」
寧ろ、燃えてしまえ。
飛鳥は学校への憎しみを剥き出しにして言った。
「俺は行くぞ」
と、彼は言った。
「ほぼ間違いなく、ディアロイドの仕業だ」
もし通常の火事ならば、校舎内にある防火扉が作動し、今みたいに炎が広まることはない。
だから彼は、通常の火事ではないとすぐにわかった。
彼は一歩、前に進んだ。が、
「ゆーくん」
飛鳥の細い手が、がっしりと手首を掴んだ。
引き留められた遊魔は煩わしげに、後ろを向く。
「助けるの?」
飛鳥は短い眉をぎゅっと下げ、しかめ面をしている
「奴らを助けるの?」
遊魔はしばし言葉に詰まらせる。
「……俺はあくまで、ディアロイドを狩りに行くだけだ」
遊魔は燃え盛る校舎を見据えたまま言った。
そして平静を保ったまま、けれど重要なことを教え込むように、付け加えた。
「人助けのためではない」
人間たちを救助する役は、他にもいるだろう。
政府に認められている、市民にとっての英雄たちが。
遊魔は胸の中でそう言った。
飛鳥は諦めたように、何も言わずに手を離した。
「容疑者にされたくなければ、離れろ」
飛鳥は現場となっている学校の制服を着、かつ校舎内におらずその様子を傍観している状態だ。
第一容疑者にされる可能性は十分にある。
だから遊魔は最後にそう言い、真っすぐに黒い煙のあがる現場に向かった。
*******
赤い炎と黒い煙は空中で入り交じり、まるで遊魔を手招きするかのように揺れている。
「(あれだけ派手にやるなら、中級以下ってことはないな……)」
この時点で遊魔は、かなり強いディアロイドが待ち構えていることを見越していた。
遊魔はスピードをあげながら現場へ向かう。
目的地に近づくと、近隣の住民たちが物珍しいショーでも見ているかのように、その様子を見守ったり、小型の端末のレンズを向けたりしていた。
そして敷地に入ると、そこには消防車にパトカー、そして報道陣が多く押し寄せていた。
消防隊は素早い動きで、消火活動、生徒や教員の救助活動にあたっている。
超大型のグラウンドには、1000人弱の生徒たちが身を寄せ合い、火に包まれる学び舎をじっと見上げている。
まさかこんなことになるなんて。
誰がこんなことを。
――きっとディアロイドの仕業だ。
未知の生命体による犯罪や事件が日常で起きるこの世界。
多くの生徒の中に、怪物による犯行を疑う生徒は決して少なくなかったし、幸か不幸か、それは見事に当たっていた。
――なんだ、あの銀髪のせいじゃないんだ。
遊魔の耳には届かなかったが、生徒の誰かが、そう言った。
――今日も来てないし、そいつがどっかのタイミングで火ぃ点けて、自分だけ逃げたのかと思った。
――本当はそうなんじゃない? あいつメチャクチャ頭いいみたいだし、今日の為に一人で計画練ってさあ。
――やめなって、失礼だよ。
そう言いながらも、クスクスと意地の悪い笑みを浮かべている。
そんな混乱に陥る彼らを、安全な場所から俯瞰するのは、各メディアや物見客たちのカメラレンズだった。
街中のスクリーンに映しだされる報道に、インターネットのニュース記事。
人口の多い第42区の、大規模な施設で事件が起きれば、各媒体で大きな話題になるのは明らかだった。
自分が派手に動けば、俺は間違いなく注目の的になってしまう。
避難する人々や各メディアの関係者を見ながら、遊魔はそう直感した。
人々の視界に入らないよう、遊魔は裏側から校舎に侵入することにした。
この学校は、校舎が4か所に分かれ、各階の渡り廊下で繋がっている。
それらにぐるりと囲まれているのが、生徒たちの憩いの場となっていた中庭。
そこには芝生や木などの緑が取り入れられ、それがあだとなり、火が燃え移ってしまっている。
遊魔は、今や火の海と化してしまった中庭をぼんやりと眺めていた。
隅に置かれたベンチに、そっと誰かの人影を重ね合わせた。
その左右には仲のいい友人がいて、他愛もない話をして笑い合っている。
――ふはっ、何だよそれ!
友人のくだらない冗談に噴き出す影。
3つの影は、体をゆすりながら楽し気に笑っている。
――なあ、お前らはどう思う?
今度は、左右交互に見ながら何かを訊いている。
が、友人たちは何も答えてくれない。
友人たちの残像は、塵となって儚く消えていた。
その影がすぐに消えた理由を知っていた彼は、両手をぎゅっと握りしめて俯いた。
――死神め。
棘をまとった声が、頭の中に飛び込んできた。
遊魔がちらりと後ろを見ると、それが海良のものだとわかった。
「ここで何をしている」
腕組をし、遊魔の顔をじっと睨んでいる。
遊魔が無言を貫いていると、海良は口元をゆるめ、嫌味っぽくこう言った。
「まさかとは思うが、お前がディアロイドを利用して、これを仕掛けたんじゃないだろうな?」
「馬鹿言うな」
流石の遊魔も腹立たしい気持ちになり、彼は目を逸らしながら言い返した。
「そういうお前こそ、何をしている。……職務放棄か」
「んなっ……」
海良は一瞬怯みつつも、こう言った。
「僕はこの大切な場所を、最後に見に来ただけだ」
顔をほんのり赤くしながら、彼は反論する。
それから咳払いをし、こう付け加えた。
「郁仁さ……リーダーからの許可はちゃんと得ている」
「……そうか」
「僕はそろそろ行くぞ。ディアロイドを倒すのは、僕たちだ」
せいぜい邪魔はするなよ。と海良。
だが遊魔はその直後、海良が去り際にこうつぶやいていたのを確かに聞いた。
――どれだけ僕から奪う気なんだ。
ディアロイドめ。
彼にはディアロイドに対するただならぬ恨みがあるのだと、この時遊魔は直感した。
あるいは、それがGOLに入隊する大きな引き金になったのかもしれない、と。
「……俺は俺のために戦うだけだ」
遊魔はそう呟き、中庭を後にした。
やること自体は一致しても、その目的は大きく異なる。
超人的な能力で戦う孤高の少年と、政府に認められた、強い正義感と共に戦う人間たち。
その遥か頭上では、負の感情に支配された一体の悲しき怪物が、己の欲望のままに炎を操っていた。