第30話「永遠に解けない誤解」
「で、あの金髪女は何でわざわざそんなとこまで」
薄いグレーのよれたTシャツを着たトオルは、気だるそうに壁に寄り掛かっている。
「知るわけないでしょ」
ナユミは虚空を見つめながら言った。
長年幽閉されていたかのように、青白く生気のないトオルとは対照的に、彼女は常に身だしなみが整っており、血色のいい肌とシャツの合間から覗く豊満な胸の谷間が、内面からにじみ出る生命力をより感じさせていた。
「まあ、アイツもそこまで馬鹿ではないし、何かしら狙いはあるんでしょうね」
「……俺とは違って、って言いたいの?」
また出た、とナユミはため息をつく。
「誰もそんな事言ってないでしょう。どんだけ卑屈なの」
ナユミは彼を貶すようなことはしなかったが、彼女は実際のトオルが人一倍の知能数を隠し持っていたことを知らずにいた。
同じ『異端』同士、ナユミの言う「アイツ」を含めた彼らは、長年同じ空間にいるものの、それぞれ互いの身分や経歴は明かしていなかった。
「結局俺は、何も出来やしないんだよ」
トオルは吐き捨てるように言い、それから、出入り口からわずかに見える地上を、ふいと見上げた。
「月、出たみたいだけど。今日は行かなくていいの」
「今日はいいわ。なんか気分じゃないし」
「何だ。毎日年がら年中、欲情してんのかと思ったら」
「何よ。あたしをウサギみたいに」
つんとした顔でそう言った彼女はこの時間帯になると、人間たちのいる街、それもルーンフルム北部にある、いわゆる盛り場と呼ばれるエリアへ舞い降りる。
中心部の都市に比べて取り締まりの厳しくないその場所で、彼女の持ち前の妖艶さを振りまいては、非日常的な快楽を求める者を罠にかけているのだった。
ある時はバーカウンターの端で、またある時は人通りの激しい場所で、獲物を惹きつけ、然るべき場所へと誘う。
そして、白いベッドの上で激しく抱き合い、唇同士が重なり合って相手がすっかりその気になったタイミングで、標的の生命力や魂を、彼女の生命力として回収する。
それが、ディアロイド・プシュケーとしての彼女の、恐ろしい習性だった。
「俺にはその感覚が分からないよ」
「あんた、そんなに子供だったの」
トオルはそれには答えず、代わりに、例の周囲までも疲れさせる溜め息をついた。
まるで、その呼気に触れただけで生気が奪われそうな、濁ったような溜め息を。
*******
とうとう、元凶が姿を現したよ。
無線機から桐奈の声が聞こえた時、見回りに当たっていた3人は身を固くした。
「やっぱり、仕組まれてたんですね……」
「あの時、気づいてれば!」
郁仁が悔しそうにそう言ったのは、その『元凶』が、先ほど彼らが接触した金髪の女そのものだったからだ。
だが、隣にいる珪はあくまで冷静だ。
「それはほぼ不可能ですよ。人間に擬態するディアロイドだなんて」
人間に擬態するディアロイドだなんて、そんなものがいたのか?
これは、彼らにとって衝撃的なことだったが、ルーンフルムの市民たちの間でこれまで未知とされてきた、ディアロイドという怪物の謎に、また一歩近づいたということも意味していた。
「しかも向こうはかなり強い……否、かなり危険らしい。応援要請が来たら、俺らも加勢するぞ」
「はい!」「承知」
すると海良は、先日の夜に紺乃が発した言葉を思い出した。
――上手くは言えないけれど、この場所に呼ばれたような、そんな気がしたの。
それは海良も同じだった。
防衛局へ入隊した時から、あるいは生まれた時から、ここへ再び来ることが誰かによって決められていたような、そんな感覚。
それが本当だとしたら、どこまで定められていたのだろう?
ここへ舞い戻るところまでか、あるいは、その先待ち受けていることか――。
と、大通りに面した道で、はるか前方に、例の新種のディアロイドが数体見えた。
「あいつら……!」
麻酔銃を構える郁仁。
距離を詰め、ばん、と銃が放たれる寸前。
「……?」
郁仁たちは違和感を覚えずにはいられなかった。
怪物たちは、彼らに襲い掛かってく素振りはを見せず、向けられた銃口をみるなり、その場から逃げようとしたのだった。
「何だ、あいつら……?」
違和感を覚えつつも、彼らはその標的を追いかける。
角を曲がり、細い道へ入って再び怪物たちを追い詰めた。
「観念しろ!」
再び郁仁が銃を向けた。
すると彼らは、ゆっくりと身体をこちらに向け、両腕を顔の横に掲げ、降参のポーズを見せた。
まるで、人間がそれを表すかのように。
彼らは郁仁ら隊員に抵抗する素振りを一切見せない。
「何がしたいんでしょう……?」
彼らが不審がって動きを見せない隙に、人間の自我が残る怪物たちは、自分らの肉体の在処へと急いだ。
まだ、もとの場所にあると信じて。
「ともかく、逃がすわけには!」
この時の彼らは、この新種と呼ばれるディアロイドたちの、恐ろしい事実をまだ知らされていなかった。
知らないままに、彼らは怪物たちを有害な存在とだけ認識し、追い続け、銃口を、刃を向ける。
標的たちが戦う意志の無いことを体現しようが、彼らには関係のない話だ。
ディアロイドと呼ばれるものは全て、その手で排除する。
それが、政府公認の防衛局・GOLの信念だ。
「居たぞ!」
標的の斜め後ろにある建物の壁には、複数の男性の身体がもたれかかって地面にべったり座っていた。
それこそが、この逃亡を図ったディアロイドの本来の姿であり、今まさに、復活を試みようとしていたところだった。
が、その事実を知らない彼らからすれば、追われる怪物たちが市民を襲い、罪を重ねたようにしか思えなかった。
「あいつ、また人を……!」
海良が怒りを滲ませて言った。
違う。違うんだ。
ただ俺は、僕は、元に戻りたいだけなんだ!
声なき声でどれだけ叫び、どれだけ訴えても、『人々の脅威』として広まってしまっている怪物たちの声は、彼らには届かない。
撃たれる麻酔銃は、容赦なく怪物の動きを鈍らせる。
そして隊員たちはすぐ戦闘体勢に移行し、それに合わせて怪物たちも反撃の姿勢を取らざるを得なくなった。
が、身体は思うように動かせず、さらに、ディアロイドという怪物たちを滅ぼす目的で作られた武器も彼らには十分脅威であり、彼らは標的となった時点で進路を断たれたようなものだった。
「さあ、大人しくしてな!」
怪物となり果てた者たちは、遠のく意識の向こう側に、両手に刃を構える戦士の声を聞いた。
瞬く間に身を貫かれ、塵となって消滅するまでのほんのわずかの間、人としての人生を思い起こし、そのあまりの儚さを嘆いていた。
結局自分も、こうなってしまうのか、と。
当然彼は、こうなることなど望んではいなかった。
――「倒したか」
防衛局の隊員として戦う彼らは、そんな事実を知らずに、ルーンフルムの市民の救世主として在り続けていた。
未知なる怪物を鎮める戦士。子供たちの憧れの的。
この不条理な世界に生きる人々は、ディアロイドと呼ばれる怪物たちの真実を知らぬままに、ルーンフルム防衛局という組織の隊員たちを尊敬し、信頼していた。
戦士たちは、次の標的を探しに走り出した。




