第13話『夜闇のタブー』
ナユミの端末から着信音が鳴った。
「いいとこなのに……」
彼女は顔をしかめながら、ポケットから端末を取り出した。
いいとこなわけあるか、と遊魔は内心で毒づく。
「はいはい」と、ナユミはめんどくさそうに応じた。
――『お前どこで油売ってんだ‼ 用が済んだんならとっとと戻ってこいやゴルァア‼』
電波越しの怒号が、わっとナユミに襲い掛かった。
『でないとクビにすっからな‼』
「わかった、すぐ戻ればいいんでしょ!」
ナユミは最後にそう言い、電話を切った。
「もう、本当にせっかちなんだから」
と、ぶつくさ言いながら端末をしまった。
路上のジャケットを拾いあげ、汚れを払い落として袖を通す。
それからブラウスのボタンを留め直し、つんとした顔で言った。
「というわけで、今日は諦めてあげる」
ナユミはそう言いながら、遊魔の肩にポンと手を置いた。
それから耳元に口を寄せ、甘く囁くように言った。
「また会いに来るからね。……ユウマくん」
それから彼女は、強烈な香水の匂いを残して足早に去った。
そして数秒遅れて、遊魔は自分の首元に口づけをされたことに気が付いた。
虫に刺されたような心地になりながら、彼はその箇所をそっと抑えた。
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「ゆーくん……さっきの人誰なの?」
正面には、飛鳥が俯きながら立っている。
「いつから見てた」
「ねえ、誰なの? 何であんなになれなれしくしてたの⁉」
飛鳥は遊魔のことも聞かず、ひたすら問い詰める。
遊魔はめんどくささを覚えながら、
「知らない奴だ」
と答える。
だが、その一言では決して飛鳥は引き下がらなかった。
「……嘘だ。ゆーくん、いつもと違う匂いするもん……」
気づけば、遊魔は着ていたシャツのボタンを外されていた。
それから飛鳥は遊魔に接近し、馬乗りになりながら言った。
「ほら、服の下にも染みついてる……。きっとさっきの人のなんでしょう? それなのに……『知らない奴』だなんて……」
遊魔をじっと見下ろす瞳は、正気を失っている。
「可哀そう。その変なにおいで頭の中まで毒されちゃったんだ」
そう言いながら飛鳥は、細く引き締まった手を遊魔の首にかけた。
「……すぐに掻き出さなくちゃ。僕が直してあげるよ」
遊魔を捕らえた手が、きつく、きつく絞められて。
「正気、なのか」
遊魔は自らの首にかけられた手を剥がそうとしつつ、掠れた声で言いながら、苦悶の表情を浮かべる。
「出てけ……ゆーくんから出てけ…………」
「やめ、ろ……」
遊魔は悶え苦しみ、意識が徐々に遠のいていく。
飛鳥が動作をやめる様子は一切なかった。
頭が回らなくなり、抵抗する力も弱まっていく。
一体何が、こいつをここまで狂わせたのか?
そう思いながら、意識を完全に手放そうとした寸前。
――「あらしがくるわ」
エコーのかかった、あの幼い少女の声が、すっと飛び込んできた。
それと同時に遊魔は、真正面から己を見つめる、少女の丸い金色の瞳を見た。
そこに彼女はいなかったが、彼は確かに、あのあどけない少女を、自分の中に見た。
あらしがくるわ。
彼女はまるで、これから起きようとしている事を警告するかのように、そう言った。
そして、その言葉が何を暗示しているかを聞く間もなく、遊魔は広場のベンチで目を覚ました。
近くに飛鳥はいなかったし、遊魔はちゃんと服を着ていた。
「……ひどい夢だ」
遊魔は後味の悪さに顔をしかめずにはいられない。
彼は突然の面倒な出来事に心身ともに疲弊し、長い間眠っていた。
いつもならば、彼の場所をかぎつけた飛鳥がちょっかいを出してくるところだったが、やはり、この日も彼は現れなかった。
既に西日が射していた。
遊魔は急ぎ足で、ひとけのない場所から浮上し、帰るべき場所へ真っすぐに向かう。
42区の街から遥か北に離れた、第17区へ。
低空飛行を続け、徐々に活気が弱くなってゆく風景を眼下に見る。
繁華街から閑静な住宅街へ、さらに住宅街から、人口密度の低い地区へ……。
夜空には、巨大な金色の満月が仰々しく輝いている。
我こそが、この星を照らし輝きをもたらす素晴らしき天体だと、堂々と胸を張るように。
目的地が見え、遊魔は地上に降りた。
その瞬間、遊魔の心臓がズキンと鳴った。
遊魔はこの場所で、誰かに遭遇したことは一度たりともなかった。
なのに、何故ここにいる。
よりにもよって、何故お前が……。と、彼は身を固くした。
――「……ゆーくん」
飛鳥はきまずそうに、ぎこちなく笑っている。
目の前に居ながらも、遥か遠く離れているような、そんな感覚だった。
「何故ここにいる」
遊魔は射貫くように、遠くに矢を放つように、飛鳥をじっと見ながら言った。
偶然だよ、と言われるとしても、それは嘘だとすぐにわかる。
飛鳥の住む地域から遠く離れたこの場所で、『偶然とおりかかった』と言うのはあまりに奇妙な話だ。
「ゆーくんこそ」
飛鳥は彼の問いには答えなかった。
そして代わりにこう言った。
――「ゆーくんこそ、何でここにいて、しかもどうしてその姿なの?」
遊魔は全身の毛が逆立つような心地がした。
「この辺に、ディアロイドはいないよ?」
真に迫るような、飛鳥の金色の瞳。
地上を静かに照らす、金色の月。
白い髪に、白いマントをなびかせた、金色の光を両眼に宿した戦士は、しばらく言葉を詰まらせた。
「ついさっき、戦ったばかりだ」
遊魔はとっさに、そんな嘘をついた。
無意味だとわかっていても、考えるより先に、そんな言葉が口から零れ落ちた。
あまりに脆すぎた一言は、結果として何の意味も成さなかった。
「……ふうん」
一切表情を変えない飛鳥。
「じゃあ、その変身解除しなよ。今ここで」
恐ろしい程に平坦な声。
飛鳥は嘘を嘘だと知っていた。
ほんの僅かな沈黙が、今の遊魔には永遠のように感じられた。
無表情を貫いていた彼は空気の重みに耐えかねて、視線を落とす。
「どうしたの? 元の姿に戻りなよ」
相手を試すような視線。
飛鳥が途中で折れる気配はなく、遊魔は重い口を開いた。
――「こっちが本当の姿だ」
白い髪に白いマントをなびかせた、金色のオーラを纏う戦士。
そちらが遊魔の元の姿だ。
ごく普通の人間が、戦闘時に姿を変えていたのではなく、超人的な力を持ったこの戦士が、その本性を隠すために、ごく平凡な人間のふりをしていたのだ。
「……薄々感じてはいたよ。君が普通の人間とは違うってこと」
飛鳥の声が徐々に震える。
無音の暗闇に支配された2人を、金色の月だけが煌々と照らし続ける。
「人間としての姿も、どこか張りぼてのような、作り物のような、そんな違和感を覚えてたんだ。その予感は日に日に強くなって、やっぱりそうなんじゃないかって、思ってたよ」
「作り物、か」
遊魔は口元を歪ませながら、恨めしそうな視線を刹那に飛鳥のほうへ向けた。
「日が暮れる前に意地でも帰そうとしてたのも、そういうことだったんだね」
――月が出る前に帰れ。
それは、幾度となく遊魔の口から言われ、幼い頃から慣れ親しんだ曲のフレーズのように、飛鳥の中に深く刻まれていた。
彼の重大な秘密を、知られないようにするために。
月の光を浴びれば、遊魔の仮の姿はたちまち剥がされ、『英雄』として知られている姿になってしまう。
そして、それこそが真の遊魔だと、普通の人間とは違う逸脱した者だと、知られてしまう。
……知られてしまった。
遊魔は何も答えなかった。
その沈黙が、彼の答えだ。
「……殺さないの?」
飛鳥は挑発するように、微笑みかけて言った。
「口止めはいいの? こうして君の真実を知ってしまうのは、本当はいけないことなんじゃないの?」
大きく見開かれた飛鳥の瞳が、暗闇の中で鈍く光っている。
「でないと僕は、君の重大な秘密を世の中にばらまいちゃうかもよ?」
そう言いながら、ポケットから小型の端末機器を取り出し、ほらほら、と軽く振っている。
「世の中は相当混乱するだろうねえ。だって、ルーンフルムの救世主とも言われた君が、まさか寄りにもよって」
「お前がそうするメリットがどこにある」
飛鳥は、動きをぴたりと止めた。
「それを実行したところで、俺が危険人物として、警察かあの組織に捕まるリスクを増やすだけだ。……お前にそれができるのか」
できないだろう?
遊魔の態度は、一貫して堂々としていた。
すると飛鳥は、肩を小刻みに震わせて、喉の奥で笑った。
「ああ、その頭の回転の速さ、やっぱりゆーくんだ……。いっそのこと、ここで君に殺されるなら本望かもしれないな……」
飛鳥は激しい衝動を抑えるように、学ランに袖を通していない、ワイシャツの右腕をさする。
「その鎖で身体をきつく縛られて、身動きが取れないままに一滴も残さず吸い上げられて、そして君の一部になったほうが、僕は……」
「俺は人間には手を出さない」
遊魔は強い口調で言った。
「俺が倒すのは、ディアロイドだけだ」
緊張がほぐれたように、飛鳥はそっと口を開く。
「そんな」
「後付けで冗談にしようとするな」
遊魔はくぎを刺すように言った。
「……ううん、本心だよ」
飛鳥は寂しげな声色で、囁くようにそう言った。
「君と共にいられるなら、僕は死んだって構わないさ」
ニヤリと笑いながら、彼は遊魔の後ろに歩いた。
「もしも僕が、口も利けない凶暴な怪物にでもなってら、そのときは」
――君の手で、僕を一思いに殺してよ。
表情を一切変えない遊魔と、憧憬に似た色を顔に浮かべる飛鳥。
2人の間に、冷たい風が吹き込んだ。
それでも飛鳥の掠れた声は吹き飛ばされることなく、遊魔の耳にしっかりと残った。
「……ああ」
それから飛鳥は闇の中に溶けるように、音もなく、遊魔のもとを去った。
「……それでよかったんだ」
飛鳥は何かに納得したような顔でぽつりとそう呟き、風に舞い上がる灰のように、ふっと姿を消した。




