第10話『クールダウン』
海良の中に浮かんだ炎のビジョンが、ふっとかき消された。
――「ほらよ、っと!」
華麗に着地し、ナイフをキャッチする青年。
気が付くと海良は、地面に倒れていた。
「僕は一体……?」
身を起こしながら怪物のほうを見ると、郁仁が援護に来ていたことに気づいた。
「郁仁さん……!」
両足に鈍い痛みが走るのを感じつつ、地面から起き上がる。
「本当に危ないところだったぜ」
と、片膝をついていた郁仁はそっと立ち上がった。
その表情は、いつも以上に深刻なものだった。
「すみません……」
「まあともかく、ここは俺に任しときな!」
郁仁はそう言いながら素早く体をひねらせ、後ろから飛んでくる火の玉を回避した。
「っ……、でも!」
それでも海良は、頑なに戦闘に加わろうとしていた。
怪物を前に一度ピンチになってもなお、彼の中には、自らの手でディアロイドという敵を倒したい、という強い願望が残っていた。
その自分の意欲と、先ほどの無茶ぶりとも言える行動で負ったダメージとを、秤にかける。
一瞬ためらったが、結局秤は前者に傾き、彼は戦闘の繰り広げられている場に駆け込もうとした。
「やはり僕も――」
が、一歩踏み出す直前、彼は右肩を掴まれた。
反射的に、後ろを振り向く。
「頭を冷やせ」
郁仁とともにやってきた隊員・珪だった。
冷静沈着で何事にも動じない彼は、郁仁や桐奈ほど派手に動かないものの、戦闘能力は申し分ない。
今回の戦闘では、彼はいざという時のサポート役として控えのポジションに立つことになっていた。
「今のお前はそれが最優先だ」
そう言った彼は、普段と同じく鉄のような無表情だったが、今のお前は役立たずだ、と責めるのではなく、その方が自分のためだ、と教え諭すような言い方だった。
先輩隊員の言葉を受け入れた海良は、そうですね、と言い、戦闘から手を引くことにした。
*******
遊魔の主たる目的は、魔力の回収だった。
他者が戦闘に入り、かつそれが有利に動いているのを見て、自分は力を温存しようと判断した。
戦闘が終わるタイミングを見計らい、『後処理』だけを彼が引き受ける。
彼はそうするつもりだ。
GOLの役目はあくまでもディアロイドの討伐であり、遊魔と違い、魔力の回収は任務のうちには入っていなかった。
だから、ずるいだとかハイエナだとか誰かに言われる筋はないと、遊魔は考えていた。
ただ、自分にとって必要な魔力を――上級ディアロイドが持つ大量の魔力を自分のものにする。
それだけの気持ちだった。
「命拾いしたか」
と、遊魔が呟いたのは、救助活動を終えた郁仁が参戦した時だった。
恐らくあの新人は、自分の身に起こりかけていたことを分かっていないだろうし、それが実際に起きれば、周囲はさらにパニックに陥り、状況が悪化していたに違いない。
遊魔はそう悟った。
傍観者である遊魔は、しばらく目下で繰り広げられる戦闘を眺めていた。
戦闘に慣れた2人の隊員と怪物による戦いは、ほぼ互角だった。
手を出す必要はないな、と思いながら、視線をずらす。
先ほどまで意気込みながらナイフを振るっていた小柄な隊員が、今では控えの位置にいる。
時々自分の脚を庇うような動きを見せる彼を見て、己を過信しすぎだと、遊魔は内心で言った。
*******
桐奈と郁仁は、怪物を前にうまく立ち回っていた。
海良が物理的に怪物から離れたことで、桐奈は銃撃戦に持ち込むことができたし、彼女がリロードしている隙に、郁仁はナイフを器用に投げて攻撃を喰らわせた。
真っすぐに飛んでくる火の玉も、軽々と回避する。
着実に体力を削られ、怪物の動きは明らかに鈍っていた。
「そろそろ終わらせようか、郁仁!」
「あいよ!」
怪物の動きが鈍くなったのを見て、2人は合図を送り合った。
それから郁仁は、珪に向かってこう言った。
「珪、あれ持ってきてくれ! わりとすぐそこにあるはずだ!」
「わかりました!」
そんな2人のやり取りを見て、いつの間に秘密兵器を用意していたのかと、海良はわずかに期待を寄せた。
1分もしないうちに、珪が校舎から戻ってきた。
両手には、寸胴型のシルエットのものを抱えていて、あの殺傷能力の高い、特別に支給された武器でとどめを刺すのだなと海良は確信した。
だが、それが大型の武器ではなく、ただの消火器だとすぐに分かると、意表を突かれる思いになる。
あんなものが、この未知の怪物に効力があるのか、と。
珪は真剣な面持ちで黄色い金具を引き抜き、噴射の準備をした。
そして、戦闘に当たっている2人に合図を出す。
「おう、一思いに浴びせてやれ!」
郁仁が意気揚々とそう言い、桐奈と共に、その場から素早くはけた。
珪は片手に持ったホースの口を、真っすぐ怪物に向ける。
――「発射‼」
珪が力強くレバーを押すと、ホースの口から白い粉が勢いよく噴き出した。
それをもろに浴びせられた怪物は、もがくように、顔を守る動作をしたり、両手をじたばたさせたりしながら、攻撃を免れようとした。
「お、案外効いてるっぽいな」
郁仁はあごに手を添えながら、感心したように言った。
消火器の中身が出尽くすと、先ほどまでのおぞましいオーラはどこへやら、部分的に発していた赤い炎は消え、真っ赤な全身も、灰のような色に変わっていた。
「意外と効くものだな……」
珪は消火器を持ちながら、郁仁と同じようなことを言った。
海良は思わず、勢いを失った怪物と、隣の珪を交互に見る。
効くかどうか知らずにやったんですか、と突っ込みを入れたくなり、口をもごもごさせた。
「使えるものは、何でも使ってみるものだ」
と、怪物を真っすぐに見たままの珪はまた、真面目な顔つきで言った。
「これなら、物理攻撃を喰らわせても平気そうだな」
よっしゃ、と言い、郁仁は意気込みながら2本のナイフを構えた。
「素直に鎮火してくれて助かったぜ、全く」
「あんまり油断すると、また逆転されるかもしれないよ」
「そうだったな」
郁仁が、にっと笑う。
桐奈はそう言いながら、銃を構えた。
銃撃によって怪物は怯み、刹那に動きが止まった。
標的が再び動き出さないうちに、郁仁は助走をつけ、天高く飛ぶ鳥さながら、高く跳躍した。
獲物に標的を定めるかのように、真っすぐに怪物を見下ろす。
――「終わりだぜ」
両手に収められた銀の刃が、ギラリと光る。
「はぁああッ‼」
そして怪物の体めがけて、凄まじいスピードで斬りかかった。
「グアアァァアッ……!」
派手な斬撃を喰らわされた怪物は、苦悶に満ちた呻き声と共に天を仰ぐ。
それでも諦めまいと、ふらつきながらも、どうにか地面に立ち続ける。
どうにか痛い目に遭わせてやろうと、ぎこちない足取りで郁仁のほうに向いた。
怪物が一歩踏み出すか踏み出さないかのところで、郁仁がすっと立ち上がった。
そして、振り向きながらこう言った。
「その状態で、まだやるつもりかい?」
彼の言葉がさらなるダメージになったかのように、最大の武器である炎をとうに失った怪物は、がっくりと両膝をついた。
その光景は、他者の言葉で現実を突きつけられる、人間の絶望する瞬間と酷似していた。
「何らかの形で救う方法がありゃよかったけれど、あいにく俺達は、あんたらを始末するのが仕事なんでね」
郁仁の言葉は無慈悲そのものだったが、それは紛れもない事実だった。
GOL――ガーディアンズ・オブ・ルーンフルムの隊員になった者は皆、人々の平和を守るため、そこかしこに現れる未知なる怪物たちを倒し続けなければならない。
標的が絶命したのを確認し、戦闘を終えた郁仁は、ふう、と一息ついた。
「一件落着、か」
そう言いながら、小型の通信機に手を伸ばそうとした。
するとそこに、遊魔がふらりと現れた。
彼はGOLの隊員たちに見向きもせず、手の中から出した鎖でディアロイドの魔力を吸い上げた。
怪物の肉体が消え、すぐに引き返そうとした遊魔は、一瞬郁仁と目を合わせた。
「……ご苦労さん」
郁仁がそう言うと、遊魔は白いマントを翻して姿を消した。
その背中を見送り、通信機を起動させた。
「こちら第42区北部、中高一貫校。ターゲットの消滅を確認。……また例の戦士が現れたよ」
――「『また現れたのね。 ……ともかく、お疲れ様』」
「どうも」
通信機を腰のホルダーにしまった。
「全員、無事に生き残ったね」
と、桐奈が言い、海良と珪もそこに集まった。
「……なんかあいつ、俺ばかり狙ってなかったか?」
郁仁は戦闘中のことを思い出しながら、眉をひそめて言った。
「気のせいじゃないの? 相手が強かった分戦闘が長びいたせいで、そう感じただけかもよ」
「んーむ、だといいんだけど」
郁仁は、ぽりぽりと頭をかいた。
校舎は無事に鎮火されたものの、被害は大きく、今まで通りの授業を再開できるまでには時間を要した。
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「あら、また会ったね」
次の日の朝。
遊魔はいつもの街中で再び、ミサキとすれ違った。
昨日までブレザー姿だった彼女は、タートルネックの黒いニットを着ていた。
「私の学校、燃えちゃったの」
彼女は寂しさを滲ませて言った。
「しかも、原因ははっきりしてないんだって」
遊魔は事実を明かさなかった。
彼は全て知ってたが、ここで言う必要はないと判断した。
「じゃあ、またね」
ミサキは青みがかった黒髪をなびかせ、その場を後にした。
ほんのりとしたシャンプーの香りが、そっと風に乗る。
その美しくも儚い後ろ姿は、今までそこに埋め込まれていた重要なパーツが欠けてしまったかのような、物足りなさを漂わせていた。
だけど、欠けてしまったそれが何かは、誰にも思い出すことができない。
誰かがそれを思い出す日は来ない。
遊魔はそっと目を閉じながら、忘れ去られた幻影に、思いを馳せる。
束の間厚い雲が空を横切り、また眩しい光が射した。
――「ゆーくん!」
またいつものように、飛鳥が近寄ってきた。
「当分、自由の身だよ」
彼は心底嬉しそうに言った。
「だから好きな時に、会いに来れるよ」
「……そうか」
遊魔はいつものように、無表情で言った。
「もう、もう少し嬉しそうにしてよ!」
ふくれっ面の飛鳥は、自分を素通りする遊魔の後をついていく。
「俺は別に何とも思わないが」
「そんなー」
落胆の声をあげながら、飛鳥はいつものごとく、遊魔の後につく。
「で、今日はどこ行くの?」
「いつもと一緒だ」
ディアロイドを倒しに。
否、魔力を回収しに行く。
それでも懲りずについてくる飛鳥のことを、遊魔は決して見捨てたり、突き放したりなどはしなかった。
だが、散々繰り返されたこの日常は、既に終わりを迎えようとしていた。




