第1話『英雄なんかじゃない』
みなさんこんにちは、柘榴矢薫です。
今回の作品は、前作よりもダークな世界観で、内容もより濃くなっています。
更新はまた不定期になってしまいますが、是非最後までお楽しみください!
それは、いつもと変わらぬ日常だった。
――『昨日夕方、第37区〇〇番地にお住まいの、××さんが倒れているのが見つかり、病院に運ばれましたが、間もなく死亡が確認されました。ディアロイドによる犯行とみられています。犯行に及んだとされるディアロイドは未だ捕獲されておらず――』
ショーウィンドウに飾られた大型スクリーンから流れる、ニュースキャスターの淡々とした声。
道行く人は皆、それを通り過ぎてゆく。
そのわずか数十メートル先。
「こら、ちゃんとお行儀よくなさい! じゃないとディアロイドに食べられちゃうわよ!」
聞き分けのない子供をしかりつける母親。
叱られた子供は、いやだいやだと泣きながら首を激しく振っている。
幼い子供を躾けるのにこの決まり文句が使われるのは、決して珍しいことではない。
「ねえねえ、あの噂知ってる?」
「あの噂、って?」
二人組の女子高生が、向こう側から歩いてきた。
スカートを短く折ったボブカットのほうが、勿体付けたように言った。
「だ、か、ら! あの"英雄"のことだよ! たまにあたしたちの前に現れるって噂の!」
「ああ、その事ね。それがどうかしたの?」
「この前さ、見たんだって、マユミが! しかも直で!」
ボブカットに比べて冷静な黒のセミロングの生徒が、へえ、と相槌を打った。
超うらやましくない? と興奮気味に言う女子生徒に対し、彼女はさほど興味がない様子だった。
「……くだらねえ」
彼女たちに聞こえないようにそう呟いたのは、一人の少年だった。
「英雄なんているわけねえだろ」
その目は、まるでこの世のあらゆる物事を達観してしまったかのように冷めていて、右目は長い前髪に隠れていた。
少年は何も持たず、人の合間を縫うように、あてもなく歩き続ける。
彼がいるのは、『ルーンフルム』と呼ばれる地の、第42区。
若者向けのファッションビルを中心に、大型の商業施設が立ち並び、昼夜問わず人でごった返している場所だ。
最大級のオフィス街である、隣の第43区と並び、ルーンフルムの中心都市として栄えている。
人々の喚き声が聞こえるまで、さほど時間はかからなかった。
広い通りに出ると、2足のスニーカーが無残に打ち捨てられていた。
その先にある広場には、悲鳴を上げる群衆と、高さ約2メートルの不気味な怪物がいた。
「またか」
少年は舌打ちした。
怪物に捕食された人間はすでに絶命し、口からはみ出している両足はピクリとも動かない。
「おいおいおいおい何なんだよ一体……」
その近くにいた2人組の青年のうち、アロハシャツを着た男が青ざめた顔で歯をがちがち鳴らしている。
「とか言って、ホントは食われたのが自分じゃなくてよかったーとか思ってんじゃねーの?」
隣にいた金髪男が、茶化すようにへらへらと笑った。
「ぁあ⁉ ンなコト思ってねえよ!」
一瞬の焦りを見せたアロハシャツが、彼の胸倉を引っ掴んだ。
「お、お、やんのか?」
挑発気味に顔を覗き込む金髪男。
「ぁあ⁉」
恐ろしい怪物のそばで、2人の若者によるリアルファイトが勃発しようとしていた。
すると、獲物を肉片残さず綺麗に平らげた怪物が、2人のほうを向き、ひたひたと歩み寄った。
「ひいいぃぃー!」
青年たちは肩を震わせ、「先に食うならこっちだ!」「いやこっちだろぉ!」と、無様な様子でぐいぐいと押し合いながら互いを指さしている。
不気味な緑の瞳が、ぎろりと狙いを定める。
選ばれたのは、金髪男だった。
「ななななな何で俺なんだー!」
彼が涙目で叫んだ、その時。
――「全員伏せろ‼」
別の男の声が響いた。
少年も含め全員が、急いでその場にしゃがみこんだ。
その頭上で、2、3発の発砲音。
怪物の動きが鈍ると、筋肉質の短髪の男が颯爽と姿を現した。
「こちら第42区北通り、ディアロイド一体確認!樹海型・中級と見た!今すぐ戦闘態勢へと移行する!」
駆け抜けながら、小型の通信機に向かって呼びかけた。
『応援は必要そう?』
ノイズ越しに聞こえる女の声。
「いや、俺だけで大丈夫だ!」
青年は自信に満ちた顔で答え、腰のホルダーに通信機をしまった。
そして素早い手つきで、両手に小刀を装備すると、地面を強く踏みしめ、勢いよく跳躍した。
「ほらよ、っと!」
腕を大きく振り、怪物に向かって盛大に斬りかかった。
ディアロイドは怯み、青年が華麗に着地すると、群衆から歓声が上がった。
「ま、登場シーンくらいはバシッと決めないとな!」
青年はそう言っている途中で、襲い来る怪物に向かって回転蹴りをお見舞いした。
切り替えの早さにたちまち感心する人々。
「すげえ、あのバケモン相手に戦ってるよ!」
「あの人ってもしかして、噂の……?」
などと言いながら、小型の長方形の端末を、事が繰り広げられているほうへ向けては、フラッシュとともにパシャパシャ鳴らしている。
自分がその場に居合わせたという証拠を残したい、という気持ちの表れだった。
「おっと、手元が狂うといけないから、撮影はほどほどにな!」
といいながら青年は、余裕の素振りで攻撃を避け、小刀ですこしずつ攻撃を加えている。
「ふっ!」
青年は後方に引き、怪物と距離を置く。
すると怪物は、左肩から植物の蔓の束を伸ばし、青年めがけてものすごい速さで襲い掛かった。
群衆から短い悲鳴が上がる。
しかしその攻撃は、あっさりと弾かれた。
「不意打ちのつもりかい?」
武器を構える青年。
それでも懲りずに怪物は、鞭のように蔓をしならせる。
「お見通しなんだよ! もっと攻撃パターン増やさないと、あっさり絶滅しちまうぜ?」
鞭をひょいひょいと軽くよけながら、青年が挑発気味に言った。
「うわほんとだ戦ってるよー! ねえねえミサキ、あれってあの”英雄”じゃない?」
先ほど少年がすれ違った女子高生もいつの間に見物客に交じっていた。
興奮気味の女子生徒とは反対に、ミサキと呼ばれた黒髪セミロングは冷静だった。
「あのねユウナ、あれは――」
観客が一斉に悲鳴をあげた。
鞭を軽々とよけていたはずの青年は、怪物に捕らわれていた。
筋肉質の丈夫な身体が、緑色の蔓に縛られている。
「……はは、両肩から伸びるとか聞いてねえんだけど?」
触手が巻き尺のようにするすると引っ込み、青年は怪物の至近距離まで引っ張られた。
その拍子で腰の通信機が地面に落ちた。
「いや参ったな、ゲテモノと戯れる趣味は無いんだけどなあ俺……」
横目で怪物の顔を見ながら、引きつった顔で青年が言うと、彼の身体が高い位置に浮いた。
そして容赦なく、地面にたたきつけられた。
「おわっっぷ!」
青年はすぐに受け身の体制を取り、顔面にけがを負わずに済んだ。
だが、地面から立ち上がろうとする直前に、怪物の足に押さえつけられてしまった。
一度解放されたかと思えば、また踏みつけられ、まともに動くことができない。
つい先ほどまで優勢だったはずの青年は、怪物に完全に捕捉され、じわじわと体力を減らされていた。
「ぐは、っ!」
その光景は痛ましく、先ほどまでせわしなくシャッターを切っていた人ですらその手を止めていた。
そんな中でも、青年は必死に這いつくばって前方に進もうとした。
「せめて、戦況報告でも……」
すがるように、震える手を通信機に伸ばすも、距離が遠くて届かない。
戦況はもはや絶望的だった。
物見客の中には、もう見てられないと顔を覆う者も多かった。
「はは、油断したな……」
地面にぱたりと落ちる、弱弱しい手。
今にも光を失いそうな目で、青年は諦めたように笑う。
どうしよう、どうしよう、と、青年の勝利を確信していた人々は慌て始め、その場はパニックになりかけていた。
――「全員離れろ」
一人の少年が声をあげるまでは。
群衆は一斉に静まりかえり、少年のほうを見た。
「もう人間の死に際は沢山だ……」
少年はゆっくり前進しながら、半ばめんどくさそうに言った。
前髪に覆われた右眼に手がかざされると、手の甲に紋章が浮かび上がった。
真っすぐに下を向いた弓矢を思わせる、金色の模様。
それを起点に旋風が巻き起こり、少年の身体を包みこむ。
「あ、あれってまさか……!」
群衆のひとりが驚くように言った。
それにつられて、ざわざわと騒ぎ始める人々。
風を払いのけた少年・遊魔の姿は、大きく変わっていた。
耳にかかるかかからないかの茶色がかった髪は白化し、さらに長さも増していた。
一対の眼は金色に輝き、前髪に覆われていた右眼は堂々と解放されていた。
何処にでもいるような地味な少年は、煌々と輝く戦士となり、怪物に向かって無言で前進する。
「間違いねえ! "英雄"だ‼」
群衆は一気にわっと盛り上がり、やはり食いつくように、小型の端末でパシャパシャとせわしなくシャッターを切っている。
少年は煩わしそうに舌打ちした。
「あ……あんたは……!」
満身創痍で地面に伏せる青年は、わなわなと少年を指さした。
遊魔は青年に一瞥だけやり、また正面に向きなおった。
「街の護衛隊が見て呆れる……」
「んなっ……!」
冷ややかにそう言われた青年は反論しようとするものの、自分の置かれた状況を考えて言葉を詰まらせた。
「下手に動くなよ」
「はいはい分かってますよだ!」
そんなやり取りをしている間にも、少年は手のひらから鎖を顕現させ、怪物の身を拘束した。
「……弱らせるまでもなさそうだな」
鎖を思い切り引っ張り、遊魔は唱える。
「『ドレイン』」
すると、ディアロイドの身体から緑色のオーラが搾り取られ、鎖を伝って少年の手の中に回収されていった。
身もだえる怪物は必死に抵抗するも、鎖は最後までほどけなかった。
エネルギーを根こそぎ吸い取られた怪物は、あっさりと気絶してしまった。
怪物は鎖から解放されるとすぐに、自然消滅した。
鎖を手の中に引っ込めると、少年は無表情のままに元の姿に戻った。
あまりに一方的な戦闘を見せられた群衆は、一瞬の出来事にぽかんとしていた。
「すげえ……、あっという間に消しちまったよ……」
怪物にやられかけていた青年はよろめきながら立ち上がり、少年に声をかけた。
しかし、彼は一瞬視線をよこしただけでその場を去ってしまった。
「うわ、クールだとは聞いてたけど結構感じ悪……。しかもなんか生意気でムカつく。ねえミサキ?」
ユウナはしかめっ面で、隣の友人に同意を求めた。
「……悪くないかも」
「ぇえ⁉」
クールな表情を保ちながらも、去り行く少年を見つめるその瞳だけは恍惚の光を帯びていた。
「なんか、『孤高の英雄』ってかんじでカッコイイじゃない……?」
「あちゃー、ミサキってまさかそういうのがタイプ?」
地面の通信機を拾い上げた青年は、少年の背中を見ながら引きつった笑みを浮かべた。
「へえ、結構おっかねえヤツ……」
そして、通信機が正常に起動するのを確認し、事の顛末を伝えた。
いつもと変わらぬ日常の世界を、少年はただ真っすぐに歩き続ける。
謎に満ちた二足歩行怪物があちらこちらを彷徨い、誰かがその餌食になっている。
「……俺は英雄なんかじゃない」
少年はまた一人でぼやく。
「寧ろ俺は……っ⁉」
彼を待ち伏せしていた何者かが背後から急接近し、少年の独り言は遮られた。