おうち時間は、推しとともに
隅谷雪奈は、巨乳だ。
カップでいうとF。
前歯を下唇に付けて発音する、エフである。
若い頃は、それはモテた。
なにせ、巨乳だ。
天から授かった女の武器を、使わずして何とする。
初期装備が、エクスカリバーのようなものだ。
一振りで、バッサバッサと男が落ちていく。
ちなみにこの「一振り」とは、胸を上下に揺らすことだ。
雪奈は、自分を勝ち組だと信じて疑わなかった。
信じて疑わず、流されるままに日々を送った。
今が楽しければいい。
「人間、いつ死ぬかわからないしねー!」
そう笑いあった女友達は、全員みごとに結婚した。
友人を気兼ねなく遊びに誘えなくなり、そうこうしているうちに外出を自粛する風潮になり、部屋ですごす時間が増えた。
おしゃれなデザイナーズマンションで気ままな一人暮らし、と言えば耳障りはいいが、ぶっちゃけ暇である。
有り余るおうち時間を充実させるため、雪奈は親友に聞いた。
「休日が暇すぎる。なにかオススメの過ごし方ある?」
「彼氏つくれば?」
「材料おしえて。買ってくるから」
「ちがうし」
「わかってるし」
気の置けない親友との会話は、やっぱり楽しい。
でも、スマホの向こう側から赤ちゃんの泣き声が聞こえて、雪奈は苦笑する。
「忙しいところごめんね。育児がんばって」
「雪奈、誕生日にぴったりのプレゼント送るから、楽しみにしていて! じゃあ、またね!」
泣き声に負けないくらい声を張り上げた親友に、変わってないなぁと通話を切った。
誕生日当日。
「おめでとう三十路」のメッセージカードとともに、親友から届いたのは、一枚のDVDだった。
タイトルは「10th Anniversary Fuvuki in TOKYO DOME Miracle Forever」。
ジャケット写真で笑う五人組は、テレビでよく見る吹雪というアイドルグループだ。
雪奈にとっては、人気あるよね、ぐらいの認識だった。
酒のつまみに再生した雪奈は、行儀悪くくわえていた枝豆を取り落とした。
画面に映る、美しい青年たち。
バックで躍る、たくさんの美少年。
力強いダンスに、飛び散る爽やかな汗。
キラキラの舞台に、噴水や花火が上がる。
ノリのいい曲、観客が持つたくさんのうちわ、動きのそろったカラフルなペンライト、飛び交う黄色い悲鳴に、熱狂的な夜間ライブ。
特典映像まで全て鑑賞しきった雪奈は、汗と一緒に荒い息を吐き出した。
「抱かれたーーいっ!!」
雄々しく吠えてから、防音性の高いデザイナーズマンションの壁に、感謝する。
雪奈が、五人組アイドルグループ吹雪の虜になった瞬間であった。
あれから一年。
雪奈は暇さえあれば、吹雪のDVDを片っ端から鑑賞し、グッズを集めた。
推しがいる毎日は、キラキラと輝いて、とても楽しい。
つまらなかったおうち時間が、吹雪のおかげで色づいていく。
その感謝の気持ちを、課金という形であらわしたかった。
ファン歴は一年と短いが、毎日吹雪漬けの濃密な時間を過ごした雪奈は、どこに出しても恥ずかしくない、立派な「吹雪限界オタク」へと進化をとげた。
「吹雪と出会って、ちょうど一年かぁ」
三十一才の誕生日は、おりしも休日だった。
コンビニスイーツでお祝いしようと、近所のコンビニに入ると、BGMが吹雪だった。
これを運命と呼ばずして、なんと呼ぶ。
控えめな鼻歌を奏でながら、スイーツコーナーに向かう。
「うーん。やっぱり濃厚モンブランかな」
雪奈の中では、コンビニスイーツは、ご褒美のカテゴリーだ。
うきうきで手にとり、レジに向かう。
「袋はご利用ですか?」
「あ……そのままでいいです」
袋が無いことに気付いたが、手で持っていけばいいやと断る。
たかが三円だが、それすら吹雪に回したい。
帰ったら、コンビニに流れていた曲が入っているDVDを見よう。
そんなうわの空で自動ドアをくぐったのが、まずかった。
「うわっ!」
「え?」
軽い衝撃のあと、人にぶつかったことに気付き、雪奈はあわてて飛びのいた。
「すみません!」
「こちらこそ……あ」
男性の目線をたどると、道路に転がった濃厚モンブランが、容器の中でグチャグチャになっていた。
「俺のせいですね。弁償します」
拾ってくれた男性が、申し訳なさそうに告げる。
「いいえ! 私が前をちゃんと見ていなかったから――」
「あれ、もしかして隅谷さん?」
苗字を呼ばれ、とっさに相手の顔を確認する。
黒ぶち眼鏡をかけた、若い男性だ。
どこかで見た気がするが、思い出せない。
そんな雪奈に気付き、男性は眼鏡を外す。
「いつもお世話になっています。烏丸酒造の竹内です」
「ああ! 烏丸酒造の――」
ニコリ、と微笑まれて、雪奈は固まった。
右目の泣きぼくろがエロいと評判の、イケメンお兄さんだ。
性格は穏やかで、人当たりがいい。
彼が来るのを楽しみにしている女子社員は多い。
雪奈もその一人だ。
目の保養にちょうど良く、会社に訪れる営業さんの中に限っていえば、推しと言っても過言ではない。
「じゃ、いきましょうか」
「え?」
近くで見た推しの笑顔に思考が止まっていた雪奈は、気が付くとなぜか一緒にケーキを買いに行くことになっていた。
黒のスポーツセダンの助手席のドアを開けられ、流されるままに乗り込む。
「あの、竹内さん」
「今日はオフなので、瑛斗って呼んでください」
「え!?」
「俺も雪奈さんって呼びますね」
途中、何度か疑問を口にしようとしたが、そのたびににっこりと微笑まれ、その笑顔に見惚れているうちに、お店についた。
「せっかくなので、俺のおすすめのケーキ屋を紹介させてください」
「わあ……」
ショーケースとレジだけの小さな店だったが、キレイに並んだたくさんのケーキが、雪奈には宝石のように見えた。
「どれにします?」
「ほんとうに、いいんですか」
「もちろん」
「じゃあ、このオペラで」
瑛斗が、穏やかに頷く。
注文を確認する店員に、やわらかいテノールで答えた。
「オペラとクラシックショコラとショートケーキとキャラメルフロマージュとレモンタルトと」
「竹内さん!?」
「和栗のモンブランとシュークリームをお願いします」
まさかの大人買いに、雪奈は瑛斗をまじまじと見つめる。
ふわりと微笑まれ、イケメンの笑顔の破壊力を受け止め切れなかった雪奈は、視線を泳がせた。
瑛斗はまた助手席のドアを開けて、笑顔で雪奈に乗車を促す。
車を発進させてから、瑛斗が口を開く。
「美味しそうで買いすぎちゃいました。一緒に食べてください」
「はいい!?」
「じゃあ、俺の家に行きますね」
にっこりと微笑まれ、雪奈は言葉を失う。
――私いま了承した? してないよね?
自問自答をしている間に連れてこられた瑛斗の家は、雪奈の隣のマンションだった。
ここでもまるで魔法のように、気が付いたら雪奈は瑛斗の家にあがりこんでいた。
「ご近所だったんですね」
「はは。運命ですよね」
軽く言われ、雪奈は返答に困る。
そういう冗談には慣れていない。
「コーヒーでいいですか?」
「はい。ありがとうございます」
恐縮しながらお礼をいうと、また瑛斗が微笑んだ。
部屋中に、コーヒーのいい香りが広がる。
瑛斗の部屋は、掃除が行き届いている上に、おしゃれだった。
瑛斗はカフェ店員さながらの手際の良さで、ケーキとコーヒーを雪奈の前にサーブする。
たくさんのケーキが乗った皿のでかさに、おもわず雪奈は吹き出した。
「多いですね」
「いっぱい食べてください」
瑛斗が、雪奈の前に座り、小首をかしげた。
「そういえば、吹雪が好きなんですよね」
雪奈は、コーヒーでむせた。
「な、な、なななな!?」
「カバンにファンクラブのキーホルダーつけてるし、たまに会社で歌ってますよね」
「うそ!?」
「で、かわいい声だなーって好きになったので、近くに引っ越して、今日は思い切って待ち伏せしちゃいました」
聞き捨てならないことを言われた気がして、瑛斗を見た雪奈に、彼はとろけるような笑顔を向けた。
それに見惚れているうちに、いつの間にか彼は、触れるほど近くにいた。
「俺と付き合ってください」
「た、竹内さ――」
「瑛斗です。俺のこと、嫌いですか?」
「嫌い、ではないですけど」
「じゃあ好きってことですね。今日から彼氏として、よろしくお願いします」
そう言うと、瑛斗は雪奈に口づけた。
唖然とした雪奈を見て、瑛斗は目を細める。
「お誕生日おめでとうございます」
「な、なんで」
「聞いちゃいます? 俺の推し、雪奈さんなんです」
瑛斗が、至近距離で笑う。
そのどこか退廃的な笑みは、よくみせる人好きのする笑顔ではない。
「いい声で鳴くんだろうなって、毎晩想像していました」
自然な動作で床に押し倒されて、雪奈は口を開けたまま瑛斗を見上げる。
「だいじょうぶです。責任とって、結婚しますから」
右目の泣きぼくろがエロいお兄さんは、その本性もエロかった。
ひさしぶりの人肌で甘やかされた雪奈は、巨乳目当てじゃないならいいか、と頭の片隅でぼんやり思い、気が付いたら入籍していた。
月末の繁忙期を終えた、解放感あふれる休日。
雪奈はいつも通り、吹雪のDVDを再生する。
「はい、コーヒー」
「ありがとう」
雪奈が座るソファに、隙間をあけずに夫が座る。
「吹雪はいいな。俺も雪奈の推しになりたい」
そういって肩にもたれかかってくるのは、右目のなきぼくろがエロいお兄さんだ。
料理は上手なのに、洗濯が苦手。
実は年下だった彼には、意外と甘えん坊なところがあって。
かっこよくてかわいくて、好きなところを上げるとキリがない。
これはもはや、推しと言っても過言ではない。
――もう、なってますよ。
照れくさくていえない言葉のかわりに、雪奈は夫にキスをした。
流されまくった雪奈が流れ着いたのは、思ってもみなかった幸せな場所だった。
こうして雪奈は、一人増えた推しとともに、充実したおうち時間を過ごすのであった。