序章③
なんだ、この音は
左を歩くシリーポンを見る
大理石と対照的な黒のレースをつけた「それ」は、普段ならすらりとくびれた腹部を異様な形で膨らましていた
「かっ・・・、かはっ・・・・・・・。」
目が飛び出るほど見開かれ、異様なほど飛び出した腹部の先端にはどこの部分かわからない肉片がこびりついている
「はっ・・、ひぇ、」
違う、腹じゃない、腹にしては鋭くとがりすぎている
貫かれているんだ、鎌で
鎌の先端から垂れる鮮血が、純白の石畳を赤く染めていく
ふと、自分の左隣、
「楽しんだか?」
「うわあああああああぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーー!!」
それは漆黒に身を包んだ青年だった。
全速力で階段を駆けあがる。
足裏についたどす黒い液体のせいで何度も転んだ。
バスローブは赤く染まり、びりびりに破れ、裸同然になりながらも僕は走った。
なんだあれは、馬鹿げてる、ボディガードはどうしたんだ、ほかのみんなは?
先程の出来事を受けいれることができない、できるはずがない
きっとこれは何かの間違いなんだ、広間に行けばみんながまた笑顔で僕を迎えてくれる、幸せな日常が待っているはず、、、
広間の光景は凄惨たるものだった。
あるものは眼球を貫かれ、
あるものは装飾品の模造刀を胸に刺され、
あるものは首から上が切り離され、
あるものはシャンデリアに絡まり、糸の切れた人形のように宙をふらふら踊っていた。
みんな、みんな、みんな僕を愛した、そして僕が愛した人たちだ
夢じゃない
これもあの少年がやったものなのか?
漆黒のフード付きマント、人を殺したというのに全く感情の変化がみられない身が凍るような冷徹さを感じる声、使う凶器は先が三日月のようにカーブした大鎌。
まさに伝承やイメージに聞く死神そのものだ。
いや、死神などといった優しい存在ではないだろう。死神というのは端然とした秩序のもとに人々から生を奪うものだ。運命、冥界による掟、前世からの因果。そういったある種の理屈をもって、死が決定づけられている者の前にしか現れない、そういうものだ。
だが「あれ」は違う。
「あれ」に秩序なんて言葉は存在しない。
僕が築き上げてきたものを何の理由もなく一方的に奪い、あろうことかそれらを僕に見せつける如く最悪の形でぶち壊している。もはや「あれ」は悪魔だ。人類の不幸を自己の幸福とし、人が恐怖し、嘆く様を見て自分はまるで長い時間をかけて完成させた巨大なパズルを眺めるように悦に入る。そういう存在に違いない。
このままでは、完璧な僕の世界が。何一つ欠けることのない僕の理想郷が壊されてしまう。
彼女はどうした?
この世界にとって最初にして最大、幸福の絶対条件
そうだ、彼女さえいれば僕の世界は保たれるはず
急いで、5階へと向かう。途中の廊下では黒服たちが、やはりごみのようにゴロゴロと転がり、床は一面朱に染まっていた。先程の血が乾く間もなく上染めされ、勢い余って転倒してしまうのをこらえながら、道脇に転がる肉塊に目もくれず僕は走った。
頼む、無事でいてくれ
たとえわずかな可能性であってもその奇蹟に僕は祈らずにはいられなかった。だって僕のこの人生がそうだった。なにをするにしても絶望する運命。暗く、孤独だと思っていた僕の人生は、まさに奇蹟としか言いようがない出会いによって光が差し込んだ。その時僕は思ったんだ。〝世界はこんなにも美しかったんだ〟って。
真っ赤な顔がそこにあった