魔王は少女 勇者は全裸
床には毛足の長い高級絨毯。
窓際にはたっぷりとしたドレープのカーテンが下がる豪華で大きな室内。
その窓際に置かれた高級木材の深い色合いを有した重厚な執務机。
その上に頬杖を突きながら、長い黒髪をさらりと揺らし、とある乙女が呟きました。
「はあ……、恋がしたい……」
程なく、その願いは最悪の……いえ、予期せぬ形で叶う事になります。
世界(の経済)は魔王(が経営する魔王カンパニー)に牛耳られ、人々は「ああ、世界一番の富豪が魔王なだけだよ。実はうちの息子も魔王カンパニーの社員なの」と苦労していたようなそうでもないような、そんな時勢でもあるご時世。
「何!? 魔王……だと!? 今まで俺は人里離れたド田舎に住んでいたから、世界の現状など何も知らなかった。くっこの世界はそんな奴に踏み躙られていたのか……ッ」
「ああいや、福利厚生はしっかりしているし全然踏み躙られてもいな…」
「いかーーーーん!! 字面だけだろうとそんな悪は許せんっ! 俺が――倒す……!!」
「え、いやお客さん?」
「止めてくれるなあああーーーーッッ!!」
田舎から出て来たばかりの短絡的な一人の青年――後の勇者が、本当に偶然に「奇遇ですな」「いやそちらも奇遇ですね」な会話を交わす御隠居よろしくたまたま来ていた酒場の椅子を蹴立てて、雄々しく立ち上がりました。
「あっこら店の椅子壊すんじゃねえっ!」
「スッスマン!」
結果、青年は備品を破壊したカドで店から叩き出されました。
「ふう、酷い目に遭った……。だがしかし俺は魔王を倒しに魔王城にゆくぞ!!」
蹴られた腰を摩りつつの宣言でしたが、堂々の冒険譚の始まりです。
ただ……いくではなく、ゆくと発音する所がちょっとウザいような気もします。
一方、そこから遠く離れた地では、真っ黒い曇天の下でゴロゴロピカッと雷光が断続していました。
決して、ぎざぎざ尻尾の黄色いポケットなモンスターが必殺技をかましているわけではありません。
腹の底に響くような低く恐ろしげな雷鳴を轟かせ、稲光は高い崖の上に聳える魔王城(←カンパニー本社)を何度も刹那に照らします。
立地場所は最早お約束ですが、そこを突っ込んではいけません。
加えて言えば、魔王城と言っても大層立派な高層建築物です。ビルです。
「――何ですって? 女神の加護を受けた勇者が猛烈にこちらに進行中ですって?」
その最上階。
見晴らしのいい全面ガラス張りの魔王の居室。
部下から報告を受け、一人の赤眼の少女が長い黒髪をパッと肩から背に払い「威勢のいいことね」と嘲りを浮かべました。
隠者のような黒いローブを身に纏う彼女は――魔王です。もしくは社長とも言います。
「そのようです。おそらくその進行速度からして、近日中にはこの地まで辿り着くかと」
「そうなの。報告ご苦労様。本日はすこぶる雷発電ができる宜しくないお日柄だってのに、気分が悪くなったわ。まあだけど、所詮どんな勇者が来ようとも私は負けないわ」
魔王の玉座に優雅に腰かけ、鼻で嗤います。
その悪の笑みを照らすように暗天がピカッと光り、どこかに落雷した物凄い音がこだましました。
余談ですが、結構眩しいのでよくカーテンを閉めます。
「ふん、見てなさい」
今まで最高級スーツに身を包んでいようがどんな交渉相手にも妥協しなかった魔王。
その厳しくも巧みな経営努力と手腕があってここまで会社を大きくできたのです。
あと、荒くれ者を従える強大な魔力も、時々役には立ちました。
並みの男には負けない自信があります。
何度も修羅場を経験してきたその自負があります。
「お待ちください。魔王様のお手を煩わせるまでもありません。このわたくしめがあなた様をお護り致しますゆえ、ゴフッ……!」
報告に来ていた眼鏡でスーツの美人秘書が喀血しました。
ええとそんな部下に護る言われても……などとは思わず、魔王は咳き込む何故か病弱な秘書の顎をくいっと上げ、血に濡れた唇を指先で拭うと微笑みます。
「いいえ、下がってなさい。大事な部下に無理はさせられないわ。勇者ごときに私は負けないから安心して?」
「ま、魔王様……!!」
頬を染め目を潤ませる秘書の胸にはきっと真っ白な百合の花が咲き乱れている事でしょう。
部下を下がらせ、そうしてしばらく魔王は玉座で待ちます。
律儀に待って、三日が経ち、十日が経ち、一月が経ちました。
「遅いっ!!」
一月も待てる辺り、尋常じゃなく忍耐のある魔王がとうとう業を煮やした時でした。
――きゃあああっ! こんなの魔王様にはまだ刺激が……ッ!
――くっ何だ貴様はッ! 魔王様にちょん切られる覚悟はあるのか!?
城内から何故か女性配下たちのちょっと嬉しいような、逆に汚物でも見たような、そんな悲鳴が上がっているのを不思議に思いつつ、やっと勇者が来たのかと悟った魔王です。ですが蟻の吐息さえ聞き取る聴力で聞いていた部下たちの叫びが何となく気になって、机の抽斗奥から取り出した魔法の水晶玉でその男の顔を確認します。
勇者はテンプレ通り、金髪に碧眼の凛々しい貴公子と言える若者でした。
「えっ! 超イケメンじゃない!! ど、どうしよう~好みドストライク……っ」
水晶玉が映し出したのは顔だけでしたが、魔王はじっとその顔を見つめドキドキと胸を高鳴らせ目を潤ませました。
今まで誰にもした事のない表情でした。
この勇者になら負けてもいいかもしれないなどと思い始めていた魔王です。
何故なら、勇者は百年に一人の美形だったのです。
魔王の一目惚れでした。
「はあああ~ん早く来ないかしら」
髪を撫でつけたり黒ローブの綻びをチェックしたりと落ち着きなく身だしなみを整え、いざ勇者を待ち受けます。
そしてついに、その時が来ました。
部下たちの制止を振り切って近付いてきた荒々しい足音が止んだ直後、
「覚悟しろ! 字面だけはアクドイ、魔王とやら!!」
重厚な扉をバーンと蹴破って麗しの勇者が登場します。
――――全裸で。
「いやああああああああああああーーーーーーーーッッ!!!!」
大事な所は辛うじて何かの葉っぱがくっ付いていましたが、魔王にはそんな細かな点に頓着している心の余裕はありません。
勇者は侵入者であり乱入者であり闖入者――ちん入者であり……!!
魔王城に少女魔王の絶望の絶叫が上がりました。
百年の恋も一瞬で冷めました。
「何で全身肌色なのよ! 生まれたままなのよ! 配慮して腰蓑とか銀のお盆くらい持って来なさいよ!! さてはあなた勇者を騙った変態ね!!」
「いや勇者だ!」
「嘘おっしゃい! 勇者って言うのはもっとこう鎧とか聖剣とか持ってかっこいいものでしょ! 高貴な男でしょ!!」
「シャラアアアアァーップ! フツーじゃつまらんだろうが!」
「正義はないの!? 乙女に何晒してんのよ!」
「の割にしっかり興味津々に見てるな少女魔王よ。葉が落ちるのを今か今かと待っているのだろう? さては処じょ……」
「 帰 れ っ ! ! 」
物理的暴力なき一戦を交えて精神的打撃を受けた涙目の少女魔王は、怒った猫の子のようにフーフー言っています。
対峙しているのは、――――全裸っっ!!
ああいえ、勇者です勇者。
「いやそのマジでスマン。泣くなって、な? ま、まさか魔王に泣かれるとは……。これには深い事情があるのだ。だから頼むから泣くな、な?」
相手が世界の敵たる(勇者が勝手に思い込んでいるだけ)魔王とは言え、初対面の女子を泣かせさすがにバツの悪そうな全裸男は、右から左から全力で宥めに掛かっていましたが効果は皆無、いえむしろ逆効果でした。
「いやあああ近寄らないでよーーーーッッ、うええええーーーーん」
「あああ、ええと、その、ま、魔王を打ち倒さんと決意し夜、夢の中で降臨した女神から授かったチート能力あって一日で勇者になれてからと言うもの、俺の肉体に合う服がないのだ」
「だから来ないでってばーっ! 大体それって好みの服がないから服着ないってことでしょ!? 最っっっ低! あなたの方がよっぽど破廉恥大魔王じゃない!! 女の敵じゃないのよ! うええええーーーーん!!」
デスク上の筆記具を投げ付ける魔王です。
ぶんちんやら卓上ライトやら書棚の辞書、果ては椅子やデスクそのものという古典的ギャグな投擲物が全裸勇者へと飛来しまくります。
「いやっちょっ待っあっ……!」
三人掛けソファが当たり、勇者は憐れ、アニメだったら画面の外、漫画だったらコマの外に押しやられました。
「まっ待て勝手に決め付けるな。そうではなく勇者だから肉体が極限まで強化されていてどんな服を着ても、服が耐えきれず全てが全て破れてしまうのだ。頼む信じてくれ。俺だって好き好んでこんなカッコなわけじゃない! 非常に不本意なのだ!!」
その強化力で無傷で戻って来た勇者ですが、依然顔を真っ赤にしている魔王を宥めるように腰を低くしています。
最早力関係は歴然。
魔王討伐は失敗に終わりそうでした。
涙目を瞬かせた魔王が睨むようにして問いかけます。
「耐久性不足ですって……?」
「そうだ。普通衣服と言うのはどんな酷い攻撃を受けても最後まで絶対に大事な部分は破れないのが定石だろう!? なのに俺のは、俺のだけは木っ端微塵なのだ。困ったものだ……!」
頭を抱え悩む勇者の顔は大真面目です。でも全裸なのでいまいち深刻さや切迫感が伝わってきません。
「そうなの……」
やや落ち着いた魔王が同情はしてもやっぱり全裸は嫌だとドン引いて見つめていると、ぐううううう~、と勇者の腹が鳴りました。
「ふっ……スマン。ここ半月水以外ろくに口にしていなくてな……。故に予定より大幅に進行が遅れたのだ」
――変態に食わせる飯はないよ!
――警察呼ばれたくなければさっさと店から出てってくれ!
――その積極性……うちの店で働かないか?
遠い目をする勇者の脳裏を察し、涙が止まった魔王は不憫そうな顔をしました。
「敵ながら気の毒ね……その扱いでよく世界を救おうなんて思ったわね。闇堕ちしてもおかしくないのに……」
溜息を一つついて、魔王は机の上のベルをチリリンと鳴らします。
すると即座に部屋の扉が開いてスーツの美人秘書が現れました。
しかし秘書は「勇者この野郎、魔王様を泣かせやがって!」的な鋭い目で、今にも攻撃を仕掛けそうです。超絶殺気立っています。勇者を止められなかったという自責や悔恨も相まって形相は物凄い事になっています。
ですが、大切な者の傍に変態が威風堂々と佇んでいれば誰だってこうなるでしょう。
「お呼びでしょうか魔王様」
「この男に食事の用意を」
「なっ魔王様!? いけませんこのような変態にあなた様の貴重なお慈悲を施すなど、勿体なき事です!」
「そうだ、何を企んでいるのだ魔王よ! はっそうか毒殺か!」
「なるほど! 毒殺でございますか。申し訳ございませんこの不肖めには魔王様の深遠なるお心を正確に酌む事はまだ百万年早いようです。すぐにご用意致します」
「くそっ、この卑怯者。空腹の人間相手に食事を恵むふりをして毒殺とは……!」
「本当に、毒殺とは実に妙案でございます」
敵味方から揃って毒殺毒殺と連呼され、魔王は青筋を立てました。
「私を何だと……ッ。いいからさっさと普通の食事を用意なさい! 腹空かせた弱っちい勇者とやり合って勝っても嬉しくないのよ。魔王の沽券に関わるわ!」
「なっ、お、俺の股間に関わるだと!?」
「一生関わらないから安心してッ!!」
聞き間違いもいい所です。
面倒でしたが説明し誤解を解けば、勇者は滂沱と涙して感激しました。そんな勇者を前にフンと鼻を鳴らす魔王、女子ですが意外と紳士です。
「……だからあなたもわかった?」
「は、はひ魔王様……ッ」
魔王は色気駄々漏れの眼差しで秘書に顎クイをして言い聞かせましたが、勇者はその無意味な光景を見て息を呑みました。胸を押さえ心なし頬を赤くしています。もしや百合百合したものが好きなのでしょうか。
程なく運ばれてきた食事を満足行くまで平らげた勇者。
「気持ちいいくらいに残さず食べてたけど、やっぱ毒入りかもとか考えなかったわけ?」
「そこまで姑息な真似はしないだろう?」
「……まあ」
ちょっと調子が狂う魔王です。
「ねえ、ところで、何で椅子もテーブルも用意したのに地べたで食べてるのよ。行儀悪いわね。ポンペイとかの歴史文化の継承者なの?」
「悪の魔王に行儀云々を諭されるのは正直複雑だが、これも耐性の問題でな」
椅子に座ればバッキリその脚が折れ、テーブルにちょっと手を付けばドガンと真っ二つ。
もともと怪力だったのが歯止めが利かなくなったようです。
「モーゼの海だってあそこまですっきり割れたりしないものさ。おかげで食堂には全裸理由以外でも出禁を食らっていてね。宿屋もそうだった。だからここに来るまでいつも野宿だったよ。……漆でかぶれたり、虫刺されとか大変だった。この世界の最強生物は、実は蚊だと思う……」
「そのレベルでもかぶれたり虫には刺されるのね……」
魔王はもう言葉もありません。
「っていうかその……もう少しどうにか隠せないの、ソレ。お盆が無理なら盾とかあるでしょう? そもそも勇者のくせに武器だって持ってないし。伝説の剣はないの?」
執務机から頬杖を突いて床を見下ろす魔王へと、飯を食う犬のような、人間がやると何かが壊滅的になる姿勢だった勇者は、身を起こしてアンニュイな眼差しを返しました。全裸と体勢のせいで魔王はまったくトキメキません。
むしろ駄犬を見るように完全冷め切った目です。
「ふっ盾も剣も耐性の問題で全て壊れてしまったよ。盾に触ればパキリと砕け、剣に至っては握った柄がボキッと折れ使い物にならなかった」
「伝説の武器でも?」
「伝説の武器でも」
「ああそう……」
「だから攻撃は全て徒手空拳さ。それに安心していい。この葉っぱだけは女神の慈悲なのか何故かどんな激しい動きをしても外れないから、絶対にあそこは見えない!! 仕組みは知らんがどんな角度も隙間も抜けがない全方位網羅型だった。この奇跡を生かし、空前絶後のアグレッシブな動きで道中芸をして小金を稼いだものさ。観衆の恐怖染みたあの歓声は今も耳の奥から離れない。思い出す度に興奮する」
「……」
勇者のプライドも見当たらず、マッパで恍惚となるこいつは変態以外の何物でもありません。魔王の視線の温度はとうに絶対零度です。
「まあ、物珍しさで最初だけだったがな。後は迫害の日々で……」
「……」
辛い日々を思い出したのか勇者はちょっとしょんぼりします。
彼が肩を落として前かがみになった所で、魔王は何かに気付きました。
「あ、今のいい角度」
「何がだ?」
「もうこうなったら要らないモノが見えないよう前屈姿勢で歩くの徹底したらどう? まんまじゃ全体的に無理だから」
「無理だと!? 要らないだと!? 何を言うっ誰しも営みの時には裸で抱き合…」
異空間から大きな書棚が飛んで来ました。
見事顔面にめり込みましたが勇者は無傷です。
けれど心は凍りつきます。
魔王は絶対零度すら下回る底冷えする瞳で勇者を蔑んでいましたので。時に魔王は……というか乙女には、科学の常識すら覆す極寒温度があるのです。
「うぐっ、し、しかし姿勢が悪くなるのは嫌だ。猫背はちょっとカッコ悪いし……」
「はあ、文句しか言わない男ね。もう十分残念な人よあなた」
「何、だと!?」
激しくショックを受ける勇者を呆れて眺める魔王が、どこからか一瞬にして転送した服を投げ渡しました。
「私と戦うんでしょ? だったらとりあえずこれで変なブツを隠して」
「おいこら変な……って、おおっ普通に触れる!?」
思わず反射で受け取った勇者は感動します。今までなら布に触れただけで指の穴が開いたりビリビリと破れてしまっていたのが嘘のようです。
感激の余り言われるままに無地の黒い貫頭衣――ローブに袖を通す勇者。
サイズが合わずつんつるてんで、しかも無地だと思いきや、黒い色糸で可愛い縁取りや刺繍や、外から見えない所に黒いふりふりレースなんかも縫製されていました。
どうやら女子用のようでした。
「おおおお……っ――目覚めそうだ」
「何によ!!」
「もしや魔王は男の娘を所望か?」
「違うわよ!! その服なら着れるでしょって思ったのよ! 見るに堪えない汚物をもう目にしたくなかったから!!」
「ぐっ……汚物とは失礼極まる。いつかお前の方から拝みたいと言わせてやるぞ! だが今はそれより服の方だ。確かに引っ張ってもまったく破れない!! しかもよく見ると実は魔王とお揃いと来ている。これが世に言う双子コーデか」
「なわけないでしょ! いつの間にか親友気取りかっ!」
「因みにこれはどこで売っている服だ!? 魔王様特注品か!? 男用もあるのか!?」
是非とも出所を教えてくれ、と武器無し文無し布無し勇者は目を輝かせます。
「売ってないわ、どこにも」
「魔王お抱えの職人手製か? ならば依頼したい。そちらの言い値でいいから頼む!」
「……あなたお金ないでしょ」
「聖女とか各国国王から工面する!」
「聖女の財産とか国民の血税を何だと……」
ああ、わかっていますが何という最低のクズ勇者でしょうか。
「言っとくけど服飾のお抱え職人なんていないわよ」
「ではどうやってこれを? なあなあなあなあ教えてくれ!」
「……しつこいわね」
「俺だって背に腹は代えられんのだっ! 魔王だからって意地悪言わずに!」
「意地悪ですって!? 悪役令嬢じゃあるまいし、世界トップの魔王がそんなみみっちい嫌がらせしないわよ! 失礼ね!」
「ではどうして……。いやそもそもどうして女物しかないのだ? もしやそういう仕組みなのか? ならばこの際女物でもいい! 全裸を卒業できるのなら俺は喜んでオカマ勇者となろう!!」
唾さえ飛ばし力説する様子に、魔王は完全しらけて無表情です。
勇者は勇者で反応がないのを不満に思ってか「この一枚を頂いてしまえばしばらくは凌げるか……?」とか逃亡を仄めかす呟きまでする始末。魔王は疲れたような深い溜息をつきました。
「――私が作ったの」
「は?」
「私が、縫ったの。……私も服に困った時期があったから、手縫いしたのよ。だからお店には売ってないし、女子用しかないの」
「なんだと……!?」
そうです。
魔王にも以前、勇者と同じ理由で着られる服がないという乙女的大ピンチが発生したのです。
男の勇者よりも隠すべき部分が多かったので、当時は数段深刻だったようです。
地上からは決して覗かれない最上階に魔王部屋があるのも、その時の名残です。
それまではどこの階にも行きましたし、立場関係なく社員に混じって精力的に仕事をこなしていた魔王だったので部下からは慕われています。
服がなかった時なんかは、女性社員総出で男性の目から隠してくれ醜聞にならずに済みました。
乙女の体も心も護られたのです。
しかし社長たる者いつまでもそのままというわけにもいかず、自らで服飾技術を学ぶ事でその大問題を解決しました。
布を強化し同じく強化針と強化糸で一針一針、更には耐性を付与しながら縫い上げる事で、魔王の魔力にも耐えうる衣服強度を実現したのです。
そういうわけで、魔王は裁縫が大の得意でした。
「見るに堪えないから、その服今は貸しとくわ。クリーニングして返しなさいよ」
「お、お前は本当に魔王なのか!? 実は隠された血筋の聖女ではないのか!?」
マッパになってから土とか水とか空気以外、久しく何かに包まれる事もなかった勇者。
魔王の慈悲に涙を流し崇めるような眼差しです。
というかもう魔王教の狂信的信者です。
「お、大袈裟ね。女性に害悪を与えるあなたをそのまま放置できなかっただけよ」
「む……さてはツンデレ」
「何ですって!」
もはや勇者は戦意を喪失していました。
結果的にペアルックになったまま、魔王の前に跪きます。
「え、なに急に?」
「――毎日、君の作った服を着たい!」
「は?」
「作ってくれ!! ついでに味噌汁も付けてくれていいから! あと俺のパンツも作って洗ってくれ!!」
勇者は鍛えた素早さを駆使し魔王の両手を取ると、(衣服に)飢えた獣の熱い眼差しで見上げ強く訴えます。
「……仕立て屋に転職勧めてるみたいだけど、生憎私は骨身から魔王よ。って言うかホント初っ端からキンチョー感ゼロねあなた。思い出しなさいよ、何のためにこの魔王城まで来たワケ?」
「――服を探すためだっ!!!!」
「嘘つけえっ! 入って来た時覚悟しろ魔王みたいな台詞言ってたでしょ!!」
「はて、そうだったかな? とにかく女性物でも構わんから他にも衣類を寄越せ魔王!!」
「勇者のくせに恐喝!? 勇者の風上にもおけないわね!!」
「ああ失礼……いや違うな。今のは愚かしい昔の俺の言葉と思って忘れてくれ。ついつい取り乱してしまったのだ。この大いなる運命に気が逸ってしまってな……」
「大いなる運命……?」
「このまま逆玉の輿も視野に入れ……ああいやいや何でも。魔王といると楽しいと思ってな」
「楽しい……?」
敵同士で何言ってんだこいつ頭沸いてんのか、と魔王は眉をひそめます。
全裸を見るまで頭が沸いていたのはどちらかは、棚上げです。
「別に仕立て屋に転職を勧めているわけではないぞ。転職そのものは勧めているがな」
「?」
勇者は真摯な目で魔王を一心に見つめ、
「――――嫁に、来ないか?」
爆弾発言。
世界と服を天秤にかけ、服に重きを置いた瞬間でした。
ホント最低ですこの勇者。
クソ全裸です。
「えっ、ええ!?」
一方、突然の求婚に戸惑う魔王。
そういえば、勇者は百年に一人のイケメンでした。
もう他に類を見ない超絶美形でした。
裸体というか葉っぱの方ばかりに目が行って顔の造形はすっかり失念していましたが、服を着た事で禁断のグリーンモザイクが隠され、ようやくそれが際立ちました。
復活したイケメンに、魔王は両目を細めます。
「ううっ何このイケメン光……! 眩し過ぎて胸がトゥンクするぅ……!」
やっぱり好み百パーセントだと頬を染めてよろける魔王です。
「はっ危ない!」
転びそうになったのを見て咄嗟に魔王を支え抱き寄せる勇者。
二人は至近距離で見つめ合いました。
「あっ……」
「あっ……」
(ああもう何これ、変態なのにかっこいい!)
(うっ恥じらってる顔も可愛いなくそー! この魔王自覚はなさげだが超絶美少女過ぎて、最初本気で天使かと思ったぞ)
(ま、魔力に弾かれず私をこうやって抱えてられる相手なんて初めてだし! ああどうしようヤバいじゃないこんなの反則よ~っ)
(先程の秘書殿への眼差しも実はぞくぞくした……。俺に向けられでもしたら理性が……と気が気じゃなかった。いや俺だけに向けてくれればいいものを……ってああくそ、らしくなく何を言っているのだ俺は!)
相手しか見えない二人の心臓はトゥンクトゥンクし、お約束にも時が止まった瞬間です。
比喩ではなく、両者が秘める破格な力により実際確かに世界の時は止まりました……が二人の世界の人たちには特に関係ありませんね。
魔王から手を離すのも惜しくて支えたまま、勇者はぐっと咽を力ませました。
「な、何度でも言うが、俺と結婚してほしい」
勇者、自分自身の意外な動揺を押し殺しての攻め。
魔王は……頭から湯気立ってますね。
世界を牛耳る魔力と手腕は男顔負けで素晴らしい魔王でしたが、仕事一筋だったので、恋愛面での男性への免疫が皆無でした。
生まれてこの方彼氏もいませんでした。
もう結果は火を見るより明らかでしょう。
ドストライクでしたしね。
ルビーのような両目も潤んでぐるぐるして初めての恋の熱に蕩けていますし、こりゃもう落ちてます完全に。
「……で、魔王よ、返事は?」
「……ふぁうあい」
「え?」
「ふ、ふぁい!」
「…………」
勇者がそれ以上何かを問う必要はありませんでした。
魔王の耳まで真っ赤っ赤な照れ顔が彼女の気持ちを雄弁に物語っていましたから。
その様がこの上なく可愛らしかったのでキスの一つでもしたくなった勇者でしたが、何となくこの状態の魔王に手を出したら罰が当たるような気がして、我慢しました。偉いです。
変態クソ勇者にも一つくらいは良いとこがあったようですね。
こうして前代未聞の全裸勇者は世界を無事救う……必要は元からなく、迷惑にも押しかけ夫しただけでしたが、念願の衣服と可愛い魔王嫁をゲットしました。
世界トップ企業の婿。
葉っぱ一枚全裸からの凄まじい逆玉です。
わらしべ長者だってこうはいきません。
以後、美人秘書に命を狙われ続けたり、美人秘書が魔王に張り付くようにしていたせいで中々手を出せず悶々としたり、魔王城内の四天王の争いに巻き込まれたり、果てはカンパニーの株価急落の一報を受け、それが魔王の親族による姑息な裏工作だと知り、愛妻のためにそれを暴いてゆく!!……かもしれない勇者です。
ゲスい勇者ですが、何故か魔王の前ではその真価を発揮できなかったとも言います。
これは、とある勇者と魔王の一応は恋の話です。