#1-2
「そろそろかな?」
私たちは2年生の校舎の出口である靴箱の外で、関谷美香を尾行するべく待ち構えていた。
「なんか緊張するね」
隣で友梨が小さな声で言った。
昨日の『こっくりさん』のあと、私たちはこれからどうするかを話し合った。
『こっくりさん』が示したのは、行方不明となっている上野莉理は、「せきやみか」の「いえ」にいるというものであった。この答えに反応を示した、今回の占いの依頼者である栗本鈴に訊いてみたところ、「せきやみか」――関谷美香という女の子が自分と同じクラスにいて、その子は上野莉理と仲が良かったという。
ちなみに、鈴が『こっくりさん』をするときに用意した、上野莉理と――初めて見た時点では誰か知らなかったが――関谷美香が写った写真も、仲の良い二人を遊びで撮った他の友人から調達したそうだ。
そして私たちは、まずは関谷美香の身辺を調査することから始めようと決めたのである。
「まあ、今日のところは、関谷さんの家に両親がいないことが確かめられればいいと思う」
私は友梨に言った。
今からしようとしている追跡の目的は、関谷美香の家に今、両親がいるのかどうかを確かめるというものだ。
何日かにわたって他の家の子供が自宅にいたら、普通の親ならその子の両親に連絡を取ったり、その子自身に訳を訊くなど、なんらかの行動を起こすはずである。そうなれば、遅かれ早かれ上野莉理の存在が外部に知られて、行方不明という状態が続くことは考えられない。だが、現状、そうなっていないということは、――関谷美香の親が上野莉理の事情を酌んで、彼女を保護している可能性も無くはないが、その場合よりも――関谷美香の両親が今、不在で、それを利用して、関谷美香がこっそり上野莉理を匿っていることが考えられる。
「あっ、来た」
私より背が高い友梨が先に、下校する他の生徒の中から、関谷美香の姿を見つけ出した。
少し遅れて、 私も関谷美香の姿を捉えた。7:3に分けた前髪は、柔らかい髪質なのか、毛先が目の少し上のあたりで曲線を描いて流れており、肩口まで伸びる横髪も内側に向かって緩やかにカーブしている。
『こっくりさん』が示した少女、関谷美香である。
私たちはこの尾行の前に、前もって関谷美香の顔を確認しておいた。クラスの違う私と友梨は、関谷美香の顔すら知らないので、彼女と同じクラスである栗本鈴に誰が関谷美香か教えてもらいながら、休み時間の間に、廊下からこっそり教室の中を覗き見て、彼女の顔を覚えておいていた。
「自然な感じでね」
私は友梨に言った。私たち二人と関谷美香の間に面識はなかったので、私たちが彼女を尾行しようとも、関谷美香にそれを意識される可能性は低いだろう。知っている者ならまだしも、見ず知らずの人間にそんなことをされているなんて思う者はいないはずだからだ。だが、一応は怪しまれないように行動したほうが無難よい。
校舎から出てきた関谷美香は一人であり、友達は連れていない。鞄を肩にかけて特に何と形容することもない表情で歩くその姿は、普通の様子に見える。ただ、あの写真で見たような明るさは今は全く感じられなかった。
「行こう」
関谷が私たちの前を通過するのを待って、私たちは追跡を開始した。
関谷の10メートルほど後方を歩く。やはり、自分の後ろをついて歩く私たちに、関谷がその意識を向けることはなかった。
私たちは一軒家が数多く並ぶ住宅地を歩いていた。関谷美香の追跡は順調に進んでいる。
「でも、上野莉理ちゃんが美香ちゃんの家にいるとしてさ、それってなんでなんだろうね」
私は結衣に訊いた。
「う~ん、まあ、やっぱり家出とか?」
「うん」
やっぱり家出なのだろうか?それが理由なら一番いいのだけれど。
「なにか、事件に巻き込まれてるとか、そんなことないよね?」
「まだわからないけど……。そうだとしたら警察とかに相談するはずだし……。まあでも、相談するっていうのはハードル高いのかな……」結衣は手を顎に当てて考えてる仕草をした。
やっぱり、まだわからないことがいっぱいあって、なんとも言えない。
「あっ」
見ると少し先を歩いていた関谷美香が、ある一軒家の門に手をかけ、中へと入っていった。
「あそこが家かな?」
「みたいだね」
「どうする?」私は結衣に訊ねた。
「一旦通り過ぎるふりをして、家の様子を見よっか」
結衣は答えた。
結衣の言うとおりに私たちは関谷美香の家に向かって歩く。
家の前を通過する際、私と結衣は横目でさりげなく関谷美香の家の様子を覗いた。
見ると、家はまだ真新しくて、今っぽい造りの二階建ての家であった。門と数段の階段があり、周囲は塀で囲まれ、門の隣に駐車スペースがあった。
家の前を通りすぎて、少し歩いたあと、私たちは歩みを止めて、関谷の家を振り返った。
「何かわかった?」私は結衣に訊ねた。結衣は頭がいいから、なにかに気付いているかもしれない。
「う~ん、まだ確定じゃないけれど、関谷さんの家、やっぱり今親がいないんじゃないかな?」
結衣は答えた。
「どうして?」
「ポストに新聞が入ってたでしょ?」と結衣。
「ポスト?」
「うん。新聞。新聞ってさ、普通朝取るでしょ?それが今もポストのなかにあるってことは、朝、それを取る人がいなかったってこと」
「ただ取り忘れていた、とかじゃなくて?」
「確かにそれもあるけど、でももう一つ。カーテンが閉まってたの」
「カーテン?」私は訊いてばかりだ。
「門のところから、ガラス戸が見えたでしょ?そこのカーテンが閉まってたんだけど」
「だっけ?」そこまで見ていなかった。
「多分あそこ、普通の家の間取りならリビングだと思うんだけど」
「うん」
「大抵の家庭なら毎朝カーテンを開けるでしょ。でもそれが閉まってたってことは、朝それを開ける人がいなかったってこと」
「っていうことは……」
「そう。上野莉理がこの家にいる可能性が大きいってこと。」
「もちろんこれだけじゃ絶対そうだって言えないから、まだ様子を見るけどね」
結衣がそう付け加えた。
「まあ、もっと上野さんが関谷さんの家にいるって確信できる証拠を見つけられればいいんだけどね」
結衣は言った。
「友梨は何時までいける?」
「えっ?」
「何時まで、ここで見張れそう?」結衣は言った「寮の門限って8時だよね」
「う~ん、7時半ぐらいかな」私は答えた。30分あれば、ギリギリだけど寮の門限には間に合うと思う。
「だよね。わたしもそれぐらい」結衣は言った。結衣も門限があるようだ。
「私たちが帰ったあとに関谷さんの親が帰ってくるっていう可能性もあるけど」結衣は人差し指で自分の顎をトントンと叩きながら言った。「まあ、しかたないよね。出来る限りやってみよっか」
「うん」私は頷いた。
こうして、私たちの張り込みは始まった。
張り込みをすると言ったものの、要は関谷美香の家に両親が帰ってくるかどうかをただ見張り続ける
「ねえ、結衣」
「何?」結衣は関谷美香の家に向けていた目をちらりと私に振った。
「あの変な幽霊……悪霊っていうのかな……のことなんだけどさ」
私が話題にしたかったのは、『こっくりさん』を今までやめるきっかけとなったあの出来事のことであった。
「うん」結衣も真剣な調子になった。
「あれ、一体なんだったんだろう?……やっぱり、占いを頼んだあの子が何か関係しているのかな」
2ヶ月ほど前、私と結衣は占いの依頼を、ある女の子から受けた。私たちとそう年齢の変わらない子だったと思う。
「私はそう思う」結衣が言った。視線はしっかりと先にある関谷美香の家に向いている。「あの子が来てからだもん、あの霊が出てきたのは」
結衣もそう思っているのだ。
あの子の占いをしてから、私たち――正確には多分、結衣ではなく私の方に、変なことが起き始めた。占いの内容自体は、特に変わったところのないものだったと思う。ただ、占いが終わったあと、私は立て続けに小さな怪我をして、次に変な物音や声みたいなものが聞こえるようになり、最後には、あの『霊』が私たちの前に現れて、私たちは追いかけられた。
「七菜がいてよかった」結衣が言った。
「うん」
私に起きていた異変に途中から気が付いたのか、七菜は、万が一のとき、どうすればいいかを教えてくれた。
そして私は、あの日、七菜と結衣に助けられた。
でも……。
「あの時、二人はどうしてたの?」
あの時、私はすごく怖くて、訳がわからなくなっていて、二人がどうしていたのか、はっきりとわかっていなかった。
「えっと、どこまで覚えてる?」結衣は私に訊ねた。「結構、友梨動揺してたからさ……顔真っ青だったし、ガタガタ震えてたし」
そうだったのだろうか……?あの時のことは、自分ではよくわからない。
私はあの日のことを再び辿ってみた。
あの日はいつも通り結衣と一緒に下校していた。でも……。
「学校を出た辺りから、あの霊に追われ始めて……それで、なんかよくわかんないけど、どんどん怖くなってきて……」
「うん、それで一緒に七菜の家に走っていったんだよね」
「……あっ」
そっか。そうだった。ぼやけていた部分もだんだん思い出せてきた。
「そしたら、七菜も帰ってきて、どうすればいいか教えてくれたんだよ」
結衣が補うように言った。
「……うん、なんとなく覚えてる」私は答えた。でもそれから……。
「それから、どうしたんだっけ……?」私はあまり覚えていなかった。「なんか、山道みたいなところ走ってた?」
記憶にあるのは、風景の途切れ途切れのワンシーン。私は俯いて走っていた気がする。落ち葉や、根っこが写って見える地面。私は手を引かれてて……。
「山道っていうか、七菜の家の林」結衣が答えた。
あそこだったんだ。七菜の家の神社周りには、そこそこの広さの林があった。
「あのとき、まず、七菜が先に神社を出たんだよね」結衣が言った。「それでその後に、七菜に言われた通りに私たちも神社を出て、あの林の中に向かったの」
うっすらと思い出せてきた。あの時七菜は、真剣な、少し怖い表情で、強い調子で私たちに何かを言っていた。
「うん……それで?」
私は結衣に訊ねた。
「私たちは、七菜が神社を出る前にあらかじめ言ってた場所に向かってたんだけど、覚えてない?」
「う~ん……、なんか結衣、手に何か持ってた」
「そうそう」結衣がこくこくと頷いた。「七菜に言われてね。いろいろ、お守りとか、ご利益とか霊験っていうのかな、パワーのあるものを持たされてたの」
結衣は続けた。「それで、七菜が言ってた場所に着くと、そこに七菜が待ってて」
ぷつり、ぷつりと切れていた記憶が繋がってきた。
私は結衣に言った。
「そこで……髪を切った?」
「そう」結衣は答えた。
その場面だけは覚えていた。夢中で走っていったあと、七菜とまた会って、そこで七菜が何か言って、そして私は急に後ろ髪を切られたのだ。
「悪いと思ったんだけど、状況が状況だったから……」結衣が申し訳なさそうに言った。
「ううん……」私は首を振った。「そこから私、一人だよね?何か被って走っていったような……」
髪を切ったあと、七菜に多分お守りを首につけられて、それから白い布を被せられた。そして、林の奥に走っていくように言われたのだ。
「うん。」結衣は頷いた。「白い、あと日本語じゃない何かの文字を書いた布を、七菜が友梨に被せてたの。それを被れば、『姿を隠せる』って七菜は言ってた」
姿を隠すというのは、きっとあの『霊』から、ということだろう。
「そうだ……あの霊は、どうなったの?」私は結衣に訊ねた。
「ああ……」結衣はわずかに言い澱んだ。「来たの……友梨が逃げた後に」
「そうなの!?」そうとは知らなかった。「もう大丈夫」とは全部が終わった後に言われていたけれど。
「結衣と七菜は大丈夫だったの?」何事もなかったのだろうか?
「」
「そしたら、友梨の髪を置いたところで、あの『霊』が立ち止まったの」
「髪の毛の所?」どうして、そこに霊が……?
「髪の毛って、人の念とかが籠るって聞いたことない?」結衣は言った。「あの霊、友梨の念が入った髪の毛に釣られてたんだと思う」
「……それで」
私は結衣に訊ねた。
「食べてたよ……アイツ」
結衣は気味が悪そうに言った。「友梨の髪」
食べてた……?幽霊が、私の髪を?
「ほんとに……?」私は信じられなかった。
「嘘じゃないよ……見たのは後ろからだけど、間違いなく食べてた。手で友梨の髪を鷲掴みにして、口元に運んでたもん」
「……それで?」知りたいと思う反面、気味が悪かった。「どうなったの?」
「うん。七菜の合図と一緒に、七菜と私は木の陰から出て、あの霊を挟むようにして立ったの」
「えっ」二人はあの霊と対峙したというのか。
「それから、地面に置かれてた糸を引いたの」結衣は言った。
「糸?」糸とはなんだろう?私は首をかしげた。
「ああ、ごめん。まだ説明してなかったね。」結衣は説明を始めた。「友梨の髪を包んだ紙を置いたところを真ん中にして、糸があらかじめ引かれていたの。友梨は大変だったから、気が付かなかったかな」
糸……。そういえば、地面に毛糸みたいな太さの、色は確かに紫の糸が、あったような……。
「七菜の合図で、同時にその糸を引いたら、あの霊がいたところを中心に、陣っていうのかな……それが出来上がって」結衣は、両手それぞれを握って、体の方に引き寄せる動作をして見せた。
「ちょうど、あやとりみたいな感じ。まわりの木を支柱にして、糸を引くと糸がピンって張ったの」
「それで……?」
「それから、七菜が何かを口にしてた。何て言ってたかはよく聞こえなかったけど」
呪文か何かだろうか?「効いたの?」私は訊ねた。
「効いてた……のかな?」結衣は迷った感じで答えた。「苦しんでたようにも、なんか怒ってるようにも見えたから……」
「それから、どうなったの?霊を祓ったの?」私は結末が気になって訊ねた。
「いや……」結衣が苦い顔をした。「その、逃げられちゃった……」
結衣の顔は申し訳なさそうだった。
「私の方に来て……私はほら、素人だからダメだったんだと思う……こっちに来ると思ったら、七菜が咄嗟に逃げてって叫んで、そのまま糸を離しちゃった……」
「えっ」私は不安になった。「大丈夫だったの?」
「うん……」結衣は小さく呟いた。「私はなんともなかったけど」
「怪我とか、してないんだね……?」
「うん……でも、あの霊を逃がしちゃった」結衣は悔しそうに繰り返した。
「ううん」私は首を振った。「何もなくて良かった」
私のせいで結衣が怪我とかしら、耐えられない。
私はほっとしていたけれど、結衣はまだ暗い表情をしていた。
「……そうだよね」結衣がひとり呟いた。
「なにが?」
「いや……私があのときちゃんとしておけば、今までみたいに友梨に『こっくりさん』を禁止することもなかったんだろうなって」
「そんな……」
私は頭を振った。
「私のことを心配してくれてたんでしょ?」
「うん……」
「もう大丈夫だよ、きっと。ほら、あのあと七菜がくれたお守りもしっかり着けてるし」
私は制服のブレザーの胸ポケットから、ひとつのお守りを取り出して、結衣に見せた。
「ねっ?」
このお守りは、あの事件のあと、七菜が私にくれたものだ。七菜は「これを身に付けていれば、ああいう悪い霊から見えなくなる」と言っていた。七菜の家の神社の、特別なお守りらしい。
「うん」結衣の表情はまだ沈んだままだった。
「……あの霊、また出てきたりするのかな」結衣がぽつりと言った。
「七菜は何か言ってたの?」私は結衣に訊ねた。あの霊について、七菜は「調べてみる」と言っていた気がする。
「いや……」
「また、出てきたときは、その時はその時だよ」
私は結衣に言った。
結局、私たちは帰らなければいけない時間になるまで、関谷美香の家の前で見張っていたけれど、彼女の両親が帰宅する事はなかった。
さらに私たちは、私たちが帰った後――夜遅くに関谷美香の親が帰って来た可能性もあるのでは、と考えて、次の日の朝早くに、再び関谷美香の家を観察した。
けれど、外から見た限り、関谷美香の両親が帰宅した様子は見られなかった。
「見た感じ、関谷さんの親、今家にいないんじゃないかな」
私と友梨、栗本鈴は昼食の時間に再び集まった。三人で弁当を食べながら、私と友梨は、昨日と今朝の関谷美香宅の偵察の結果を、鈴に説明していた。
「朝も見に行ったんだけど、何て言うか、関谷さんの家、生活感が無かったんだよね。朝なのに家のカーテンが閉まったままで、家から出てきたのも関谷さんだけだったし」
普通の家庭なら、朝になれば誰かしらカーテンを開けるだろう。しかし、覗き見た関谷美香の家のガラス戸のカーテンは閉められたままだった。また、何かしら聞こえてくるであろう人の声や物音といったような生活音も聞こえず、関谷美香宅は静まり返っていた。さらに、二回のベランダには洗濯物が干されていたが、見たところ女子の衣類で、父親母親世代の年齢の者が着るような衣類は見られず、その数自体も少なかった。
「車はあったけど、これは別に関谷さんの両親が家にいるってことを示してはいないと思う。お父さんとお母さんがいる気配が全くしなかったことのほうが大きいから。車を残した状態で、関谷さんの両親は家を空けてるんじゃないかな」
これはあまり肝心なことではないかも知れないが一応鈴に説明しておいた。車はずっと車庫にあったが、普通、親が通勤に使うはずである。使わないとしても、やはり両親がいる様子が全く見てとれないので、
関谷美香の両親が不在である可能性はやはり高いように思えた。
「そっか」鈴は小刻みに頷いた。先程から、弁当の箸を止めて、私たちの報告に耳を傾けている。
「でも、まだ心配なら、関谷さんがいない間に、関谷さんの家を訪ねてみてもいいよ」
友梨が鈴に提案した。「学校が終わってから、関谷さんより早く関谷さんの家に行って、チャイムを鳴らしてみるとか」
「いいね」私は友梨に同意した。
これなら日中、関谷美香の親が家にいるかどうかを確かめることが出来る。
私は友梨の『こっくりさん』を信用しているけれども、多分鈴は多少はまだ『こっくりさん』が示した内容を確信してはいないであろうから、この友梨の提案はいいかもしれない。
「それ、私がやってみる」
鈴が言った。鈴も言い手段だと思ったようだ。
「あ、でも、鈴だと、関谷さんと同じクラスだから難しいんじゃない?」友梨が思い出したように言った。
「私たちのクラスが、鈴のクラスより早く終わった日に、私たちがやるよ?」
鈴は自分たちが関谷美香に対して調査を行っていることを、関谷美香本人に出来れば知られたくないと考えていた。関谷美香との関係を悪くしたくないのと、実際に上野莉理が関谷美香の家にいたとして、誰か他の人にそれを知られた場合、上野莉理が居所を他の場所に変えてしまうことが懸念されるためであった。
関谷美香と同じクラスである鈴が、彼女より早く学校を出て、関谷美香が家につくより早く、彼女の家を訪問するというのは、時間的に困難であるのに加えて、もしその姿を見られれば関谷美香に私たちが彼女の身辺を調査していることを知られてしまう。
「ううん、大丈夫」鈴は、ちょっと以外に思えるほど、積極的な姿勢を見せた。「そもそも、頼んでるのは私の方なのに、二人にばっかり動いてもらうのは悪いもん」
その言い分は理解できなくもないが……。
「大丈夫?」私は鈴に言った。
「物凄く急げば大丈夫!」鈴は笑みを見せていった。「走っていくから」
「そう……」そこまで言うなら止めるのも悪い。ここは鈴に任せてもいいだろう。
「友梨、いい?」私は友梨の方を見て、同意を求めた。
「う、うん」友梨も少し意外そうな顔で頷いた。
鈴による関谷美香宅の訪問は、その日のうちに行われることとなった。
「関谷さんが家に着きそうになったら、メールで知らせるから」私は鈴に言った。
私と友梨、そして鈴は学校が終わると、関谷美香が学校を出るより早く、急いで校舎の外で集合し、互いに示し合わせた。
まず鈴が急いで関谷美香の家に行き、家に誰もいないかを確かめる。一方で私と友梨は、帰宅する関谷美香を追跡し、彼女が家に着きそうになったら、メールでそのことを鈴に知らせ、関谷美香に姿を見られないように、鈴に退去を促す。
「わかった。じゃあ、行ってくるね」
そういうなり、鈴は走って
行った。
残った私と友梨は、関谷美香が出てくるのを待って、昨日と同様に、彼女の跡をつける。
「大丈夫かな、鈴」友梨が鈴を気遣って呟いた。
「まあ、本人がやるって言ってるんだし」
確かに、走って関谷美香より先行して彼女の家を訪ねるというのはキツいだろう。
「来た」私は友梨に知らせた。校舎から関谷美香が出てきたのだ。
「私たちも行こう」
「そろそろ知らせなきゃ」
先を歩く関谷美香が、自宅付近に近づいたころ、友梨が言った。
「うん」私はスマートフォンを取り出し、鈴に関谷美香が自宅に間もなく到着する旨のメールを送った。
すると、そう置かずして、鈴から返信のメールが届いた。
「鈴はなんて?」友梨が訊ねる。
「大丈夫って。うまくいったみたい」
鈴は首尾よくやったようだ。
その後、私たち3人は、関谷美香の家を少し過ぎたところで落ち合った。
「家に誰かいた?」私は鈴に先の自宅訪問の結果を訊ねた。
「ううん、誰も出てこなかった」鈴は頭を振った。
「そっか」
これで、関谷美香の両親が不在である可能性が一層高まった。
「これから、どうする?」
友梨が言った。
「う~ん」
そう。ここからが問題なのだ。
「私たちが」「それが問題なんだよね」
私は初めて関谷美香を尾行したときから懸念していたことを口にした。
「上野さんが関谷さんの家にいるっていう可能性が高いのはわかったんだけど、直接確認している訳ではないんだよね」
私たちの今までの調査で分かったことは、関谷美香の家には今両親がおらず、そのため上野莉理を匿うのに適した状況であるということだけである。それと『こっくりさん』が示した上野莉理は関谷美香の家にいるという答えを出したことを合わせて、 上野莉理は関谷美香の家にいる可能性が高いを判断しているだけにすぎない。
要するに、まだ直接、上野莉理が関谷美香の家にいることを確認してはいないのである。
「どうにかして、直接、上野さんの姿を確認しないと……」
「う~ん……」
友梨も鈴も悩んでいる。
私も今まで何かいい案がないかとずっと考えていたが、今に至るまで妙案は思い付かないでいた。家の中に閉じ籠り、一歩も外に出ない人間を直接目で見て確認することができる手段を考えるのは、考え始めてみると実はかなり難しいことだと途中から気が付いた。
「例えばさ」友梨が口を開いた。
「私たちの誰かが、関谷さんを家から外に呼び出して、その隙に他の誰かが関谷さんの家の中に入っちゃうのはどう?」
友梨の大胆――というか、ほぼ犯罪行為の提案に、私は苦笑した。
「友梨……それ、住居侵入」
「だめ?」純朴な表情で、友梨が首をかしげる。
「う~ん、もうちょっと別の手段がいいかな」
仮に失敗しても、関谷美香が警察に通報する可能性は、――私たちが同じ学校の生徒であることと、事情を説明すれば、なんとか許してもらえるかもしれないという点で――低いかもしれないが、なるべく法的にも社会通念的にも許される手段を考えたい。
しばらく、その手段を考える沈黙の時間が流れた。
再び積極的に提案してきたのは、友梨であった。
「上野さんが家から出てくる日を調べればいいんじゃない?」
「どうやって……ていうか、どういうこと?」鈴が怪訝な顔で訊ねた。
「『こっくりさん』で当ててみるの」友梨は答えた。
なるほど。いや、でも……。
「いや、でもさ、家に閉じ籠ってる子が、自分から外に出るなんてことがある?」
鈴が、私も気になったことを友梨に訊いた。
「う~ん……、そうかもしれないんだけど、でも、関谷さんからしてみたら、友達を外に連れ出してあげたいって思わない?」友梨は言った。「だって、気が滅入っちゃうよ、ずっと家の中にいたら。だから、気分転換とかさせてあげたいって思うんじゃないかな?」
「う~ん」私は、友梨の――私が考え付かなかったぐらい優しい――考えが妥当であるか、判断に迷った。
確かに、友梨の言いたいことも分かる。しかし、行方不明と学校で噂されるぐらい、姿を隠し続けている上野莉理には何らかの、いや恐らくそこそこ大きな事情があるのだろう。そんな彼女が、自ら外部に姿を晒すということがあるだろうか?
「そんなことある?」鈴が言った。「自分から隠れてるのに」
鈴は懐疑的であるようだ。
「じゃあ、どうする?」私は二人に問いかけた。
「う~ん……」
友梨も鈴も思案にくれてしまって、無言の時間が流れる。
結局、誰もいい案を考え付かず「何かいいアイデアが浮かんだら、また集まろう」
ということになり、今日のところは解散となった。
「ん~」
自分の部屋の真ん中に突っ立って、目を閉じて手を腰に当てて考えてみる。
――家に閉じ籠っている上野さんに直接会う方法。
目を開けると、がらんとした部屋が改めて何もなくてさみしい場所であるように感じられた。
――上野さんは寂しくないのだろうか?
……いや、きっと寂しくはないのだろう。関谷美香が一緒にいるのだから。
でも、ふと思った。関谷美香が学校に行っている間は、上野莉理は一人、家の中で過ごすことになる。こんな風に、ひとりぼっちで。
――だったら、やっぱり……。
さっきは、結衣と鈴に賛成してもらえなくて、『こっくりさん』で尋ねてみることにはならなかったけれど、やっぱり関谷美香が上野莉理を、気分転換のために、外に連れ出すということも、あり得なくはないのではないだろうか?
――こっそりやってしまえば……。
試しに一回自分で『こっくりさん』をしてしまって、上野莉理が外出するということがなければ、そのまま終わって二人にも言わないでおけばいい。でも、もし上野莉理が関谷美香の家から出る日があったなら、それは上野莉理と直接会うことが出来る最大のチャンスになる。それを逃してはいけない。
――一応、やるだけやっておこう。
私は鞄の中から、『こっくりさん』の文字盤の紙と5円玉を取り出して、勉強机の上に置いた。
――「一人でやっちゃだめだよ」
勉強机に座ろうと、椅子を引いたとき、ふと結衣の言葉が脳裏によみがえった。
ずっと前に結衣に言われたことだ。
小学生の頃だったろうか。『こっくりさん』でいろんなことを当てられるということがわかり始めた頃、試しに私一人で『こっくりさん』をすることになった。
そしたら、結衣と他の友達がいうには、何か変なことが起きたとかで、『こっくりさん』が終わったあと結衣に強く、もう一人で『こっくりさん』をしてはならないということを言われたのだ。
――でも。
確かに結衣は、一人で『こっくりさん』をしてはいけないと言っていたけれど、
上野莉理を見つけるほうが大切であるはずだ。
それにもし、二度と無いチャンスが目の前にあるとしたら……。
私は椅子に座り、机に向かった。
勉強机のライトを点ける。
その光を受けた5円玉が、キラリと光った。
――大丈夫。
結衣にはだめって言われていたけれど、少しぐらいなら。
人差し指を5円玉に当てる。
「『こっくりさん』、『こっくりさん』。いらっしゃるなら返事をして下さい」
『こっくりさん』に問いかけて、その返事を待つ。
まだ5円玉は動かない。
―一人じゃ出来ないのかな……。
今さらだが、そんなことを思った。
しかしその時、見えない何かに引っ張られるように、人差し指を乗せた5円玉が勝手に動き出した。
――いける。
5円玉は文字盤に書いた「はい」の枠に進み、そこで止まった。
「『こっくりさん』、もしよろしければ、上野莉理さんが外に出る日を教えて下さい」
私は5円玉に向かって言った。
じっと5円玉を見つめる。
ス……ス……と5円玉が動き出した。
5円玉は文字盤の紙の下へと動いていく。
そして、あ行の列に入ると、すぐに動きを止めた。
最初の文字は「あ」である。
再び5円玉が動き出した。「あ」の枠から左に動いて……すぐにまた動きを止めた。ここは「さ」の枠である。
また5円玉が動き出す。今度は長い間移動している。次に止まったのは「っ」。小さな「つ」の枠であった。
――これは……。
『こっくりさん』が出そうとしている返事に予想が立ったてから間を置かずして、5円玉はある枠で動きを止めた。もう再び動き出す気配はない。
5円玉が最後に止まった枠は「て」の枠であった。
――明後日!
私は驚いた。まさか上野莉理が、こんなに近い日に外にでるなんて。
「『こっくりさん』、それは何時くらいですか?」
詳しく聞いていた方が、後で役に立つだろう。私は質問を追加した。
再び5円玉が動き始める。
私はしばらくその動きを見つめていた。だが、何か変な感じがした。
――あれ?
何か様子がおかしい。左に動き、下へ下り曲がった5円玉が、今度は右に曲がり、また上へと、四角を描くように動いている。まだ5円玉は動きを止めない。そこはすでにさっき通ったところだ。なぜか5円玉が同じところを動き続けている。普通なら、どこかの枠で止まるはずなのに。
何かおかしい。
すると、5円玉の動くスピードがどんどん速くなってきて、今度は縦横斜めと不規則に動き始めた。
――やばい!!
「『こっくりさん』ありがとうございました!」
私は咄嗟に叫んで、5円玉から手を離した。ドクドクドクと、波打つ心臓の音が体を通して、耳にまで届いている。
たった今、『こっくりさん』が見せた5円玉の動きは、これまでに見たことがないものであった。
結衣が言っていたのはこの事だったのだろうか。嫌な予感がして咄嗟に『こっくりさん』を終わらせたが、一人で『こっくりさん』をしてはいけない理由はこれだったのだろうか?
「はぁ……はあ……」
一瞬のうちに速くなった胸の鼓動も、少しずつ落ち着いてきた。
――もう、やめておこう。
やっぱり、『こっくりさん』は一人でしてはいけないのかもしれない。
私は勉強机のライトと部屋の明かりを消して、ベッドに横になった。
カーテンの向こうが明るくなっている。朝になったようだ。
ベッドの上で体を起こす。頭はぼんやりしていて、まだ少し眠い。
昨日の夜のことが思い出された。『こっくりさん』が勝手に動き出して、本当にびっくりした。
そうだ。上野莉理が「あさって」――日が明けたから明日、関谷美香の家から出てくるのだった。これを結衣たちに伝えなければ。
――あ、でも……。
一人で『こっくりさん』をしてしまったことが結衣に知られてしまっては、心配させて――というか、怒られるかもしれない。
――どうしよう?
なんとか、自然な流れをつくって、関谷美香の家に行くように結衣に働きかけるか。
取り敢えず、私はベッドから出て、立ち上がった。
そこで、ベッドの平行に置いてある机が目に入った。
そういえば、昨日、『こっくりさん』で変なことが起きて、文字盤の紙とか5円玉はそのままだ。
私は机に近づいた。
「なに、これ……」
なんだろう……?昨夜、机の上にそのままにしていた文字盤の紙に、赤く何か書かれている。
――えっ?
文字盤の紙には、書き込んでいた文字の枠の列の上に上書きする形で、赤のインクで、
「アシタ セキヤミカ オソワレル」
と、殴り付けるように書かれていた。