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夢わたり  作者: りり
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 紫苑は夢の領域で青磁と深紅の魂を探していた。

 自分の魂力(ちから)が、深紅の寿命の時限装置を作動させていたなんて知らなかった。闇の奥から黒焔の嘲笑する声が聞こえるようだ。

 せめて二人の魂を黒焔の手の届かない場所に確保しなくては、と紫苑は必死だった。

 ―――青磁‥! どこ?

 声を涸らして呼んでみる。だがどの画面も浮かび上がってこない。

 がっかりして項垂れた紫苑の前に、突然ぼうっと火の玉が燃えた。これは―――この火は狐火? 火の向こうに朧に浮かんでいるのは立派な斎域だ。中央に立ってこちらを見据えているのは誰だろう。前に見た場所、見覚えのある人影。あれは―――白燿だ。

 紫苑はどきどきした。もしや青磁を探していたから重なってしまったのだろうか?

 すると白燿はまっすぐな視線を紫苑に向けた。

「そこにいるのか‥人の子よ? 我にはおまえの気配しか視えぬ。だが、必死の声が耳に届いた。我の声は聞こえるか‥?」

 すっくと立ちはだかった神の前にかしこまって、紫苑ははい、と返事をした。

「‥碧玉と鬼人の魂を探しておるのか。探し出して何とする‥?」

「えっと‥。とりあえず黒焔にいじくりまわされないようにしまっておきたいなって‥。絶対に五色の儀式を成功させて、約束通り、二人の望む宿命に生まれ変わらせてもらうつもりだから、それまでの間傷つけられたりしないように‥。」

 まるで学校で校長先生に言い訳をしているみたいな気分だった。

 白燿はふうっと大きく息を吐いた。紫苑は思わずびくっ、として後じさる。

「ならば速やかに儀式を終えるが良い。おまえの探しておる魂は我が手にあるゆえ、時宜を得るまで、つつがなく保全すると約定しよう。」

「え‥? なんで?」

「碧玉が我に保護を願ったのだ。鬼人にも‥‥一応の恩義がある。」

 そうか、と紫苑は納得した。青磁は最後に黒焔の手から逃れるために、白燿の懐へ飛びこんだのだ。

 清涼な気が満ちている白燿の神域を見渡して安心すると共に、紫苑はまだ謝罪をすませていなかったことを思い出した。

「あ‥あのう‥。あなたにはどうもご迷惑をかけて、すみませんでした。俺の、ていうか前の人だけど‥。えっと、おかげでちゃんと転生できて感謝してます。ごめんなさい。」

 神は整った貌に苦い表情を浮かべ、冷たく答えた。

「人の子の分で、我に詫びるなど僭越である。感謝のみで良い。‥用は済んだゆえ、もはや去れ。おまえの為すべきを為すのだ。この通路(あな)は念のために我の方より塞いでおく。」

 白燿は優美な姿を翻して、狐火と共にふっと消えた。

 紫苑は全身の緊張を解いた。夢の中なのに掌が汗ばんでいる。

 為すべきことを為せ、か。紫苑の為すべきことって何だろう。西の谷を浄化して、虹を架けることか? しかし黒焔の罠をどうにかしないと、今度は誰を失う羽目になるか解ったものではない。あんな悲しい想いは二度としたくない。

 紫苑は今回の事件が黒焔と無関係だとは思わなかった。何かしたに決まっている。神さまより上の存在がすることだ、きっと解りにくい嫌らしい手を遣ったのだろう。

 黒焔は他者の運命を掌の上で弄んで喜んでいる。なんて傲慢で歪んだ存在なのだろう。それが『秩序』の統治者のすることか。

 きっと友だちのいない淋しいヤツなんだな、と紫苑はちょっと哀れに思った。

 そう言えば紫苑だって、七回の人生全部合わせても人間の友人は一人もいない。両親だってもしかしたら今頃、紫苑のことを忘れてしまったかもしれない。もしも仲間を救えなくて、一人ぼっちでこの夢の領域に永遠に閉じこめられたとしたら―――それは消滅よりも怖ろしいことかも。

 無性に泣きたくなった紫苑の掌に、橙の手の感触が甦った。温かくて柔らかい、お日さまのような手。

 すると胸の奥から何かに押されるように真白との思い出が噴き出してきた。

 初めて理解され、受け入れてもらった喜び。月の色をした優しい慈しむようなまなざし。大いなる懐に包まれて愛されて―――そうだ、確かに愛されていた。だがいつしか優しさに甘え、子供じみた独占欲に囚われ、何も見えなくなった。

 青磁の光り輝く微笑が浮かんだ。

 ―――紫苑。わたしはあなたが好きですよ。

 隣に深紅の冷静で落ち着いた横顔が見える。

 もう二人には会えないのだ。そう思うと悔しくて情けなくて、涙が止まらない。せめて自分も大好きだと告げたかった。

 後悔先に立たず、とはよく言ったものだ。泣いている場合ではない、まだ何も終わっていない。黒焔が絶望を押しつけてくるのなら、紫苑は夢で希望を繋ごう。

 夢の領域を『浄化』してあるべき姿に戻す。黒焔にも天帝にも影響を受けない、紫苑の魂力(ちから)の生まれた場所―――すなわち『混沌』に。

 紫苑色の曖昧な闇に、明るい炎が力強く燃え上がり、瞬く間に広がっていった。


 朝の光が燦々と注ぐ部屋で、紫苑はすっきりと目覚めた。

 ヒョウスケの薬のおかげで、肩と脇腹の傷は跡形もなく消えていた。熱も下がっている。

 入浴して着替えると、酷い空腹を感じた。体がちゃんと存在している証拠だとしみじみ感じ入って、同時にメンテナンスに手間のかかる人間は不便だとも思う。

「ああ‥確かに。そう思うと、人間が雑念だらけなのも仕方のないことなのかもしれませんね。本能的に器の状態に左右されてしまうわけですから。‥ご愁傷さまです。」

 藍の皮肉っぽい口調に、紫苑はなぜか嬉しくなって微笑んだ。

 食事がすむのを待って、真白と紫苑は西の谷に向かった。

 西の水晶の谷は黒々とした瘴気に覆われて、殺伐としていた。殺気立った悲鳴が山々に谺して、獣の呻り声のようだ。

「術は何も残っていない。だがこの前の呪術のせいで瘴気が増している。どうだ、できるか‥?」

「うん‥。大丈夫、今度はできると思う。」

 紫苑は自分でも驚くほど落ち着いていた。既に谷のあるべき姿を脳裏に捉えている。七人分の紫苑になったせいだろうか、魂力(ちから)の制御がそれほど苦ではない。

「あのさ、真白。浄化する前に訊きたいことがあるんだけど。」

「何だ?」

「ここを浄化すれば西の柱に光が入って‥それだけで虹ができるの? それとも虹はまた別に何かしなくちゃ出てこないの?」

「五つの柱に光が戻れば、虹は甦ると聞いている。それ以上は俺にも解らない。何か気になるのか?」

 紫苑は少し躊躇ってから、心を決めて真白に考えを打ち明けた。

「全然的外れかもしれないけど。夢の領域で休んでいるうちにね、この儀式(ゲーム)そのものが黒焔の罠だって思うようになってきたんだ。虹が架かった瞬間に絶対、何かが起きる。そんな気がする。‥‥真白はどう思う?」

 真白は真摯な表情で紫苑を凝視した。紫苑がたじろぐほど強い視線だ。

「‥おまえがそう思うのなら、間違いない。それで何が起きると思っている?」

「それがね‥。昔の紫苑が黒焔と交わした約束を思い出しているんだけど、さっぱり解らないんだ。だけど解ることもある。黒焔は何か企んでいるんだ。俺たちを使って、何かたいへんなことを引き起こそうとしてるんだよ、きっと。」

 愚かな紫苑が真白への執着のために始めたゲーム。ほんとうは収拾をつけるのは紫苑自身がしなければいけない。誰彼構わず巻きこんで、傲慢なのは黒焔ではなく紫苑なのかもしれないけれど、みんなの助力がなければこの先には進めない。紫苑はそう思った。

「だからね。虹が架かる瞬間には、とりあえずみんな一緒にいた方がいいと思うんだ。」

「だがこの瘴気では、琥珀も童たちも立っていられまい。何が起きるか解らないからこそ、結界に力を削がれるのは得策とはいえない。」

 紫苑は真白の懸念にうなずいて、付け加えた。

「うん。俺もそう思うよ。で、今思いついたんだけど、五柱山から西の谷の浄化をしたらどうかな? ここの現状は感じ取ったから、離れていてもできると思う。五柱山にいれば虹が架かるのも間近で見られるし。」

 真白は一瞬呆気に取られた顔をし、それからくすくす笑い始めた。

「おまえは‥よくいろいろと思いつく。いい考えだ。すぐに戻ろう。」

 そしてひょいと紫苑を抱き上げ、すうっと空に舞い上がった。


 最後の浄化が始まった。

 パワーを増した紫苑の魂力(ちから)は、薄紫色の明るい炎を一瞬で天に噴き上げ、黒ずんで見える西の方角へ凄い速さで暈を広げていく。

 紫苑は傷ましい傷痕を優しく撫でてあげるイメージで、西の谷と山々の怒声を鎮め続けた。頭の中に響く呻り声が啜り泣きに代わり、次第に静けさを取り戻し始める。やがて西の空に水晶から反射する五色の光が輝いて、目の前の柱に鮮やかな緑色の光が宿った。

 柱がきらきらと一斉に震えだした。

 五つの柱から五つの色の光が、五柱山の頂へとまっすぐ立ち昇った。空全体が明るい光に包まれて、山頂に五色の虹が現れた。天上へと向かってゆるゆると架け橋を築いていく。

「なんて美しいのでしょう‥。」

 橙が感嘆の吐息をもらした。

 巨大な虹の架け橋はどこまでもどこまでも、遙か上へと伸びていった。

「成功したのか‥?」

 琥珀の声は震えている。

 紫苑は答えられない。何か、胸騒ぎがしてならない。

 突然真白が上空へ飛び立ち、大蛇に姿を変えた。全身から銀色の光を放ち、その場にいる皆を覆い隠した。

「虹が崩壊する‥! 天界が繋がることを拒んだせいだ‥!」

 空から虹の破片がばらばらと雨のように降り注いでくる。

 やっと破片の落下が止んだと思った時、上空に小さな歪みが見えた。空間がねじまげられて、歪みはぐんぐん広がっていく。

「天の干渉が始まったか‥。」

 真白は小さく呟いて、光の玉に変じ、歪みに向かって飛んでいった。ところが歪みに弾かれ、あっという間に地面に叩きつけられてしまった。

 紫苑は悲鳴を上げて駆けよった。

「何‥何が起きているんだよ? 真白、大丈夫?」

 真白は人形(ひとがた)になって、頬の血を拭った。ゆっくりと立ち上がる。

「紫苑、逃げろ。狙いはおまえだ。皆を連れておまえの領域へ行け。俺はもう少し時間を稼ぐ。」

 獣人に変化して扇を構えた琥珀が、紫苑の肩を掴んで橙の方へ押しやった。

「大丈夫。虹は完成した。儀式は成功したんだ。‥逃げろ。」

 銀色の光と金色の光は空の歪みに向かって再び飛び立った。

 歪みはますます大きくなる。紫苑には何が起きたのかさっぱり解らない。

 その時、漆黒の月が空にぽっかりと浮かんで、黒焔の高笑いが響いた。

 ―――虹は崩れた。儀式(ゲーム)は失敗だ。紫の瞳よ、我の勝ちだ。

 呆然と立ち竦んで空を見上げている紫苑の腕を、藍がぐいっと引っ張って橙の手を握らせた。そして黒い月に向かって叫んだ。

「まだ終わっていません。その証拠にこの世界の色は失われていない。これから虹を造ればわたしたちの勝ちです。」

 そして紫苑に言った。

「いいですか? 橙とあなたで五色の虹を造るのです。手伝いたいけれど、わたしは五色から外れているので手伝えません。橙の白い光から、空いっぱいに造るのですよ。できなければ皆、あの黒い月に喰われてしまうんです。早く‥!」

 藍は未だ呆然としたままの紫苑の肩を掴んで、激しく揺すぶった。

「それから虹ができたら『五色界』を丸ごと、あなたの夢の領域へ転送しなければいけません。今度は天の歪みに呑みこまれてしまう前にするんです。‥‥紫苑、腑抜けている暇はないんですから‥!」

 橙の明朗な澄み切った歌声が、紫苑の目を覚まさせた。

 藍の言葉をしっかり噛みしめて、紫苑は体の中心から魂力(ちから)を立ち昇らせた。眼を閉じて橙の歌に集中する。

 眼を閉じているはずなのに、傷だらけの琥珀が落下するのが見えた。地上に激突する寸前で、やはりぼろぼろの真白が受けとめる。

 黒い月がそろそろと下降してくる。

 ―――無駄なあがきだ。

 黒焔の嘲笑と共に、影の手がすうっと伸びてきて藍を捉まえた。

「気を逸らさないで‥!」

 藍は必死で抵抗しながら、紫苑に叫んだ。

 紫苑は唇を噛みしめて足に力を入れ、虹のイメージを描いた。空いっぱいに広がる、五色の虹。

 紫苑の中に響く橙の歌は、少しずつ故郷を失ったことを嘆く虹彩人の心情へと変わっていった。その想いは取り残された『五色界』自体の想いへと繋がって、増幅されていく。

「紫苑‥。次は『五色界』の転送です‥。」

 弱々しい藍の声に、紫苑は眼を開けた。

 ぱっくりと口を開けて迫っていた漆黒の月は消え、空には巨大な五色の虹が五柱山を跨いで東から西へとアーチを描いていた。

 ほっとして、傍らの橙を振り向くと、橙は影の刃に傷ついて倒れていた。すぐ横に藍も俯せに倒れ、起き上がれずにいる。

「橙‥‥! 嘘だろ、嫌だ‥。起きて、お願いだ‥!」

 橙に駆けよった紫苑を、苦しい息の下から藍が叱った。

「ばか‥! 早くしないと天の歪みに呑みこまれる‥! 相手は天帝なんです‥急いでください‥。」

 紫苑は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらうなずいた。

 腹の底に万感の想いをこめる。

 個々の存在など不確かで曖昧なモノ。天の秩序の前ではひとたまりもない。

 だがだからこそ愛おしい。何より大切で、守らなければいけないモノ。

 『秩序』が存在を否定するなら―――夢で生きよう。命が生まれた場所へ戻ろう。世界の始めに存在していた場所へ。

 紫苑は泣きじゃくりながら、大切な者たちの傷ついた光景を反芻した。

 そして轟音と共に暴発した。

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